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「イタリア料理」の統一運動

パスタ、ピザ、生ハム、リゾット。
「イタリア料理」と言われると思い出すのは、 だいたいこの辺りではないでしょうか。

ただ一口に「イタリア料理」と言っても、パスタもピザも、地方や家庭によって星の数ほどもバリエーションがあるし、生ハムもリゾットも、地域によってはポピュラーじゃなかったりします。

イタリアには様々な地方料理があり、ラツィオ料理、プーリア料理、シチリア料理、ピエモンテ料理などなどその豊かさには圧倒されるのですが、あまりにバリエーションがありすぎて「イタリア料理」という明確に定まったものが存在するわけではないです。

ただ「イタリア料理」というものは漠然と意識の上で存在し、イタリア人はイタリアの食文化を大変誇りに思っている。その中でも特に、自分たちの郷土料理こそ一番だと思っている。
今日はどういう過程で様々な地方料理が「イタリア料理」となっていったかのお話です。


1. イタリア統一運動

Work by Franz Wenzel

西ローマ帝国崩壊後から長い間、イタリア半島は統一王国が成立せず、各地方でそれぞれの独自に王国が築かれたり、スペインやフランスの傘下に入ったり、バラバラの歩みを見せてきました。

1796年から始まったナポレオンのイタリア侵攻で一時期「イタリア王国」が成立。ところがその後の反動ウィーン体制で、それまでの地域バラバラの王政復古が戻ってきてしまいます。
しかし革命思想は広く行きわたり、憂国の志士たちによりイタリア国家統一運動が展開されていきます。秘密結社・カルボナリ(炭焼き党) の運動、マッツィーニの青年イタリア同盟、サルディーニャ王国の立憲君主制強化、カヴールの「リソルジメント」運動などなど。
小さい運動から徐々に民衆を巻き込んだ運動へと高まって発展していくのですが、数多くの挫折を重ねながらの進展でした。特に自領を奪われた教皇や宗教勢力の反動や、ナポリ=シチリア王国があった南部の抵抗は激しいものがありました。

1861年、いくつかの摘み残しがありつつも、イタリア王国が成立

法的にはサルディーニャ王国の憲法が全土に適応され、行政・警察・衛生・公共事業などの諸制度が整備。フランス型の中央集権国家へと進んでいきます。

ただ全く違う国に同じ鋳型をはめ込んだわけなので、社会に歪みが生じるのは当然のこと。いびつで不均衡な状態がうまれ、すぐに政治・経済・社会に悪影響が出始めました。

南イタリアでは諸特権を失った貴族が没落し、代わりに商売や投資で成り上がった新興のブルジョワ階級が台頭。彼らは貴族が手放した土地や権利を貪欲に買いあさっていきました。
北イタリアでは貴族がブルジョワ化し、様々な商売に手を出し、弁護士や医師、官僚など専門的な職業に落ち着いていきます。これらブルジョワ勢力は、資本を元に商売を拡張する一方で、利益を追求して労働者を酷使し、資源を求めて海外に進出していきました。その結果、労働者階級の間では格差の均等を求めて社会主義運動が盛んになります。

一方で政府や軍はより多くの資源を求めて東アフリカなど海外に侵略を強めていきます。そうして集積された富を元に、北イタリアのトリノ・ジェノヴァ・ミラノに工業地帯が作られ、繊維・織物産業、自動車・製鉄・造船などの重工業が発展していくことになります。

社会に様々な歪みを生みながらも新生イタリアは統一国家としての結束を強めていき、社会全体が「統一」に向かう中、イタリア料理も人々を統一たらしめるための大事な要素としてまとまり始めようとしていました。

2. 地方料理の収集

ペッレグリーノ・アルトゥージ

近代イタリア料理の父と言われる、ペッレグリーノ・アルトゥージ。
彼がイタリア料理に果たした功績はとてつもなく大きなものがあります。
それは、「イタリア各地の地方料理を、イタリア料理としてまとめ定義した」ことによるものです。

アルトゥージはロマーニャ地方フォルリンポポリの食料品店の息子の生まれ。家業は継がず、リヴォルノとフィレンツェで銀行家・両替商としてひと財産を築き上げました。当時のイタリアの主人公・ブルジョワであったわけですね。
アルトゥージの趣味は料理で、作ることもそうですが、何より食べることが大好き。食料品店を営む父親譲りのものがあったらしく、若い頃からナポリ、ローマ、パドヴァ、トリエステ、トリノなどなどイタリア各地を巡っては、その土地の名物料理を食べて周りました。

レストランや宿屋、市場、一般家庭にまでお邪魔しては、その料理のレシピについて話を聞き、また調理の様子を観察して記憶。そのレシピのメモを郵送してもらうことを大変好みました。
それら長年に渡る地方観察をまとめた本が1891年にフィレンツェで出版された「料理の科学と美味しく食べる技法」でありました。

この本は爆発的にヒット。

版を次々に重ね、イタリアの各家庭にあるとすら言われるほどの、「国民的料理本」になりました。

アルトゥージの偉大なところは、現在の我々が想像する「イタリア料理」の定番を採用し提示したところにあります。
「ジャガイモのニョッキ」がイタリア人の好物になったのも彼の本の影響だし、「トマトソース」をパスタにかけることを全土に普及させたのも彼の功績です。18世紀までトマトは「有毒」な植物と考えられており、19世紀からようやくジュースやソースとして使われてはいたものの、肉にかけれていた程度で、パスタにかけるという発想は当時の人はなかったのです。

初めてトマトソースをパスタにかけて食べてみたのはナポリの庶民。そのレシピをアルトゥージが入手して料理本に掲載したことで、一気にイタリア全土に広がったのです。今や、トマトソースのないパスタなんて考えられませんよね。

3.  地方料理がイタリア国民料理へ

アルトゥージはイタリア各地を巡ったわけですが、全土を均等に巡ったわけではないので、収集した地域には偏りがあります。

まずは、フィレンツェがあるトスカーナ地方。それに故郷のロマーニャ地方。この2つの料理が大きくアルトゥージのレシピに濃く反映されていると言います。
出版後、読者から「自分のところの料理も」という投書が殺到し、版を重ねるごとに新たなレシピを追加していきましたが、マルケ、プーリア、バジリカータ、カラブリアの料理は全くないし、シチリアも3品のみあるだけで、南イタリア料理は冷遇されているようです。

ただし、故郷や馴染みの料理を手放しに賞賛しているわけではなく、

フィレンツェはパスタとミネストラがぶよぶよで、食感が悪く旨くない

など、あくまでアルトゥージが感じる「旨い」の価値判断で評価していたようです。ダメだと思う料理や要素は他の地域の優れた部分を取り入れました。

アルトゥージは各地の料理を統合すると同時に、その材料を「ブルジョワが日常的に買える値段」のものに限定しました。
それまで貴族が食べていたような、雉子やシャコといった高級食材は排除し、鶏肉や豚肉、トマト、カブ、インゲン豆、パスタなどの庶民的なものに限定することで普及を図ったのです。
アルトゥージのイタリア料理は、まずはブルジョワで普及し、生活水準の向上で後に農民の手に届いていくことになります。貴族の料理なんかではなくいつでも作れる日常的なレシピだったからこそ、多くの人が買い求めたわけだし、また普及と浸透もなされていったのでしょう。

4. 料理名や食材のイタリア語化

レシピを収集すると同時に、本を出版に当たって最もアルトゥージが苦労したと思われるのが「言語」の問題です。

幕末の日本で薩摩と会津の人が全くコミュニケーションできなかったように、当時のイタリアも方言の宝庫で、地方出身者同士はほとんど会話ができなかったそうです。
イタリア政府は国語純化論(Purismo Scolastico)の元、国語であるイタリア語の普及に努めていくわけですが、アルトゥージもイタリア料理を普及させるにあたって、何とかこのバラバラの方言同士と国語との橋渡しをするべく慎重に言葉を選び、料理の世界の言語の統一化を図っていきました。

アルトゥージのイタリア語のベースは、料理と同じくトスカーナ方言とロマーニャ方言で、「肉」や「魚」、「野菜」といった基本的な食材の単語や、「豚の血のドルチェ」など地方で呼び名が違う食材は、これらの2地域の単語を採用。その上で、ボローニャ名物のパスタ「Denti Di Cavallo(馬の歯)」など、各地の名物は翻訳して取り入れました。

それまでイタリアの貴族はフランス趣味で、様々なフランス語の借用語が溢れていましたがアルトゥージはそれを排除。庶民の言葉を用いてなるべく多くの人が理解しやすいようにしたことで、多くの支持を得たのでした。

まとめ

愛国教育と 国語教育、新聞などマスメディアの発展、小説など娯楽の流行での価値観の共有などなど、それまでバラバラの価値観と言語世界の中で暮らしていた人々を統合するための手段は数多くありましたが、毎日食する「食事」も統合化と平準化の手段であります。

それまで食べたことがなかった「トマトのパスタ」と「ジャガイモのニョッキ」を食べてその美味しさと手軽さを知り、自分の子どもに食べさせる。
子どもたちは「トマト」と「ジャガイモ」を食べて育ったわけで、目新しいどころか、それに深い愛着を抱く。そしてそれがイタリア全土で起こる。様々な地方出身者が会っても「トマト」と「ジャガイモ」があれば、一緒のものを食べているということで分かり合えるし、仲間意識が芽生える。
大ざっくりとした「イタリア料理の統一」はこうやってなされていきました。

ただよく見てみたらトマトソースに入れるものは、肉、魚、野菜、それぞれ地方によって違うでしょうし、パスタの種類も全然違う。それが、「漠然とは存在するが、実際は存在しない」国民料理と言うものなのでしょう。

参考文献

世界の食文化15 イタリア 石毛直道, 池上俊一 農文協

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