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就活体験記(中の人の場合)

今日はタグに寄せて書いてみますか。

自分の就職活動となると、世間一般それらしいことをしたのは大学生のときになるかと思うのですが、実態ははっきり言って世間一般からはほど遠い活動内容だったと思います。

だけど、それに関しても後ろめたさも失敗感はもとより、後悔などナノミクロンクラスの塵すらない。これでよかったとすら思える。
それぐらい、おそらく少数派の展開だったと今でも思う内容をここにまとめます。

当時のいわゆる四大生(標準的な四年制大学に通う学生)は、本格的な就職活動は4年生になってからとはいうものの、業界の絞り込みやインターン制度の活用、就職部の出入りについては早い人なら3年生の夏ぐらいから動いている人もいたという感じ。こちらも一応、一族の同世代組で最年長、しかも大学に通っているのは自分だけということもあって、身内の中ではまさしく未知の領域であることから、まずは基本路線に乗っかるという姿勢で見聞を深めていった。

そして4年生になる段階において、方針として決めたことは次の3つ。

・業界は「旅行業」「交通・物流」「音楽関連」「教育関連」のみ
・地元に営業拠点がない企業は選ばない
・最初に内定が出た企業で決める(就職活動終了)

実はこの方針、大学受験のときとほとんど同じ。大学受験のときは、

・受験する学部が経済系。商業・経済・経営の範囲ならどれでもいい
・下宿は想定にない
・最初に合格通知が手元に来たところに通う

で、この考え方はいま現在においてもほぼ変わらず、自身の生涯方針として確立されたものといってよい。

4月に入ってから、考え得る企業の資料請求や説明会のアポを進めて、順次各企業に足を運んだその数、9月末ぐらいまででざっと25社ほど。当時の趨勢からすれば相当少ないと思われるが、それぐらいしか足を運ぼうと思った企業がなかった。資料請求しても資料が来なかったところもあれば、本社が他県にあって、地元出身者しか採用しないからと門前払いだったところもあるし、都市伝説だと思っていた縁故重視がどうやらガチだったというところもある。
当時は何だかなあと思うところもあったものの、ある程度世間を垣間見てきた今からすれば、理解できる側面もあるし、業界の内部構造を知って居場所が違うと気づくことができた一面もあると、今はとらえている。

そして居場所が決まったのは3月下旬。大学の学位認証式、つまり卒業式を終えた翌週のことだった。学習塾が新規で運営を始めたサポート校、つまり現在でいう通信制単位制高等学校のサテライト校の講師として採用された。前述した方針に沿ってまとめると、「教育関連」で自宅から電車を乗り継いで約30分の勤務地へ通うもので、まさに唯一の内定による就職活動の終了であった。

在学当時は卸売市場でのアルバイトを継続しており、契約社員としての採用でありながらも実態は非常勤講師のような待遇だったので、アルバイトの継続も可能であった。この形態が3年ほど続いて、教育関連での仕事が板についてきた頃には卸売市場の業態変更で人手が浮き始め、これを契機として卸売市場の仕事は終了、空いた時間をサポート校の枠増加と学習塾講師としてのキャリアアップに振り分けるようになった。

ちなみに3年ほどの間、二刀流のような暮らしを続けていたのはどうということはない、卸売市場の方がそこそこ賑わっていて辞めるどころではなかったということと、教育業界という環境で3年も続けることができるのであれば、おそらく当面続けることができるであろうという考えによるものであった。

その後の展開は想像以上のストーリーに仕上がっていくのだが、それについてはまた機会があったときにでも。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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