見出し画像

目的を忘れて暴走する「もぬけ」

1000万円売り上げるために、500人の見込み客とつながりましょう!

この場合だと1000万円を売り上げることが目的で、500人の見込み客を集めることが手段。

500人とのつながりを作るにはそれなりの努力が必要である。

500人の見込み客を集めるために、顧客リストを作り、アプローチし、コミュニケーションを取り、つながりを継続するために定期的に連絡する。

見込み客を集めることは難しい。また、つながりを持ったお客さんと関係性を維持することはさらに難しい。

だから人・物・金を投じて見込み客のさらなる拡大と維持を図る。

見込み客は集まるけれど売り上げは全然あがらない。

なぜか。

見込み客を500人集めるという「500」が先行して、全く物を買ってくれない見込み客、いや、ただのつながりがどんどん増えていた。ただのつながりを維持するためにコストがかかり、買ってもらうためのアプローチを行えていなかった。1000万円を売り上げるための手段であった見込み客集めが、だんだん目的化して、当初の目的とはずれたアプローチになっていた、と。


手段の目的化


良くある話で、見聞きしたことのある人も多いと思う。

ビジネスシーンに限らずとも……

■楽しみのためにはじめたnoteなはずなのに、スキがつかず、続けることがプレッシャーで苦しくなる
■仲良くしたくて共通の趣味としてランニングをはじめたカップル。女子は本気で男子はライトに取り組んでいて、さぼりがちな男子に女子がむかつく
■健康のためにダイエットをはじめて、食事制限によって不健康になる
■就活のために資格取得に励んだけれど、就活してみると就活市場で評価されない資格であった。やりはじめた勉強をやめるにやめられず、時間がなくて就職もうまくいかない
■自分に自信を持ちたくてファッションに力を入れはじめたが、生まれ持った骨格やそれに必要なお金に絶望してやればやるほど自信を失ってしまう

その手段を本心から好きでやっているというのであれば問題ないだろうけれど。

こういう場合、大抵はサンクコストが惜しくて損切できず、好きだと暗示をかけているか、なんだか目的を見失って暴走しているかのどちらかであることが多いように思う。

わたしはそれを「たたり神」と呼んでいる。

目的を忘れて、なぜだかそこに居続ける。

たたり神の仕方はそこかしこ。
資格試験の勉強に毎朝スタバに通っていたことがありまして、その時に思いましたよ。最初は勉強のために毎日通っていたのですが、だんだん勉強に飽きて仕事しだしたり、スマホをいじったり。

当初の目的を忘れて、スタバに通う習慣だけ残っているようなもぬけ。

毎日通って、周りを見渡すとそういう人がたくさんいることに気づきます。特に難関資格試験の受験予備校の近くとか。勉強が目的化して、その場にいることが目的化して、なんでそこに居るのかわからなくなる。学ぶことが好きなんだって思いはじめる。

無償の愛ってこういうことかしら。

だめだだめだ、たたり神になってしまう。

サン「ダメーッ!乙事主さまたたり神なんかにならないで!」
引用:もののけ姫

って思いながら「たたり神の仕方」って小説を書いてました。

勉強もせずに。


***


蛻(もぬけ)
蝉 (せみ) や蛇が脱皮すること。また、そのぬけがら。
引用:https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%9B%BB/


この記事が参加している募集

学問への愛を語ろう

いただいたサポートは活動費につかわせていただきます!