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「セカンドシーズン」は悲しい

深夜にビールでも飲みながら、かつて好きだったバンドの曲をyoutubeなんかで検索して。少し聴いて、またほかのバンドの曲を検索して、聴いてすぐにまた他のに換えて。

ずいぶん前の曲だけれど、頭の中では鮮明で。CDなんてもう疾うに手元にないけれど、こういう夜にしばしば聞いているもんだから、お気に入りが長らくそばにいて、過去と共に生活の一部にある感じ。なつかしさというよりも、もはや自分の中にある定番はかつてから今に、絶えずに続いている。クラウドの先にあの頃が残り続けている様は、思い出というより現在な気がする。

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20年近く前、大阪は三国ケ丘。Fuzzというライブハウスcunewaiveの対バンを観に行った。

どちらのバンドも微塵も知らなかったけれど、当時仲の良かった女の子に連れられて、知らないバンドのライブに行くのもなんかの肥やしになるだろうなんて、自発な理由をこねたのを覚えている。

テイストの異なる二つのバンドは、どちらも大層刺激的で、若かりし自分の心を打った。かっこよかった。特にwaiveの一曲目で流れた曲。ライブハウスの存在を一瞬で支配するイントロ。一斉に頭を振る客たち。そういう空気が初めてで、圧倒されつつ平静を装った。

「cuneのベースとwaiveのギターってもともと同じバンドやってんで」
「へー、そうなんや」

cuneはその後、SAMURAI DRIVEをHitomiに提供し、メジャーデビューに至って世に名が知れた。waiveは実力はあるながらも惜しまれて解散した。

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15,6年後の池袋のホーム。

東京に行く用事があるから会おうとメッセージが入り、待ち合わせた。

「すぐに行かなきゃいけないから」そう言われて、改札を出ずに話していた。

当時目にした、ためらい傷であろう薄い自傷は、ファッション的に笑い飛ばせて、当時見慣れて気にもならなかった。

今はとても、露出して歩くにはひける程、手首から二の腕に掛けて深く何度も傷つけられ痛まれたケロイドが隙間なく、所々は十字となり浮き出ていた。長袖をまくった彼女は「ちょっとやり過ぎちゃった」と微笑んだ。露出した左腕の内側は見るも無残だった。

「もう、あんまいじめたらあかんよ…」

両手でゆっくりと彼女の腕を擦る時の表情は不安にさせないような表情であっただろうか。

そういう事に慣れている人ってどれ程いるのだろう。

自傷で腕の内側がバシバシになっている知人、身内がいる人ってどれ程いるだろう。そうでもない限り、きっとこれを直視するには衝撃が強い。

血を見て気絶する人がいる。気分が悪くなる人がいる。同じくして傷を見て気分が悪くなる人がいる。まして、自傷であることが明白で、しかもそれが過度である。本能的にも社会性から来る嫌忌からも、直視が憚られるには十分な理由がある。

男女向き合って、そのようなものがここに晒されているけれど、ホームで行き交う人々は当然にも全く気にも留めず、足早に過ぎていた。

金の無心であったらどうしようかと、ちょっとした身構えがあった。金の惜しさからではなく、貸し借りをつくること、借りた方に残る負い目みたいなものに、不要にも関係性を毀損されるのが嫌だった。

仲の良かった二十歳そこいらの頃、回らなくなった消費者ローンの支払いを、一度だけ肩代わりした、ATMでの支払い明細の印字。5000円程の支払いの大半が金利分であった事に、ミナミの帝王やナニワ金融道なんかの漫画がリンクして失笑したことを思いだした。あの頃は良かった。恋みたいなものと、将来の楽観で気軽にお金を肩代わりできるくらいに良かった。

身なりは今も綺麗だった。20代中盤くらいだと言っても恐らくは、違和感ない程に。ミンキーモモやクリィミーマミ、彼女は80年代に流行ったそういう魔女っ娘シリーズと呼ばれる類が好きだった。淡いパステルカラーと、もこもこの質感に包まれた身なり。

こうして向き合って、幻想こそが楽観を押しつぶす位に物を知って、自分はこうして馬鹿になったんだと気づいた。返済を立て替える対症療法にも、浪費への忠告にも、浪費しなくては埋められないのであろう寂しさや虚栄や強迫観念や何もかもにも、言葉を紡げずに感情が拘束される。経験則によって、古くからの友人に不当な距離のくさびを打ち込んでしまう。

「頭の目の裏くらいのところに転移してるかもしれへんねんて」

乳癌が見つかった後、切除はせず自然療法で治療していたこと、経過がよろしくなく放射線治療を受けることにするかもしれないことを聞いた。池袋でのお別れの言葉は「またね、元気でね」とハグを交わしたけれど、もしかすると会うのは最後になるかもしれないと、少し、つくり笑いさえぎこちなかったかもしれない。

再会の後の2年後、彼女のSNSを見て亡くなっていたと知った。

知人であろう人物が、訃報を書き込んでいた。最後は苦しむことなく安らかに眠ったと。

古く良い仲にあった相手と、再会して言葉を交わしたことは、喪のしごと、こころの折り合いに何らか影響している。あの時会えてよかったと、きっと良かったんだと、そう思った。

***

そして今程、酒を飲みながら。

Fuzzで聞いた一曲目が何だったか探りたくってyoutubeに上がっているwaiveの曲を片っ端から聞いてみていた。

うわー、この曲やったわー。

なんてことを懐かしくLINEできる相手はこの世にいない。
ただ、殊更の寂しさと共に冥福を祈る。

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