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理解し難い存在になるということ 

  僕たち「いつかは天才鬼才」、悪く言えば「現状はただの凡人」の日常生活では、基本的に、常に「わかりやすい」ことが求められるし、僕らも求める。

  わかりやすい滑舌、わかりやすい説明、わかりやすい参考書、わかりやすい味、わかりやすい料金システム、わかりやすい動機、顔が整ってることや胸がでかいみたいな、わかりやすい異性の魅力…

  そうなれば当然、世の中の一般的な仕事で求められることは「易→易」もしくは「難→易」「易→超易」の3つであって、「易→難」をしてしまうと、進次郎構文をはじめとする、政治家の答弁みたいになってしまい敬遠されてしまう。この人仕事できないんだね、要領が悪いんだねとなり、だんだんと職場で腫れ物扱いされてくる。

  大衆的な感性を持った人たちは、「難→易」ばかりを評価し、自分たちの理解を超え出した存在からは距離を置き始める。それに、学校教育、道徳の授業、社会人生活などによって、「正しい価値観とされるもの」を鎖のように取り付けられると、自分の素の欲望と可能性を深層心理という名の海に沈めて、水圧で押し潰してしまう。そして、他人からできるだけ理解してもらえそうな部分を水面に浮かべて、それを「自分」とする。それが、大体の人間がやるうわべの「人格形成」だ。

  誰しも、その人その人によって、世間全体の平均値から外れている要素が存在する。そういった世間一般との差を「個性」として尖らせるのか、皆と違っていて「恥ずかしいもの」としてロードローラーで平らにしてしまうのかは、あなたの自由である。

  どの特徴を平らにして、どの特徴を「個性」にするべきかはその人自身が選択するものだ。1つ分かりやすい例を述べよう。「30歳過ぎて経験人数0」という特徴は、ほぼ全ての場合において、一刻も早く平らにするべきだろう。そんな状態で得をするのは、バキ童ことぐんぴぃ氏しかいないからだ。

  「個性」にまで昇華した能力は、「易→難」で大衆からの称賛を得ることができる。もしくは、分かりずらいのみならず、「様々な解釈を生み出す」=正しく理解することができない人たちを発生させることができる。これは創作者にとって不本意であるのと同時に、ある意味快感であるとも言えるだろう。

  例として音楽、作詞を挙げる。椎名林檎は、ここ20年間の第一線のJPOPシンガーたちの中でも、とりわけ異才であり、歌詞も「易→難」なものが多数みられる。 

  2023年大みそかの紅白歌合戦、椎名林檎は、「㋚~さすがに諸行無常篇~」を披露した。曲自体は「歌舞伎町の女王」と「丸の内サディスティック」のメドレーなんだけど、(㋚→〇サ→丸サ)、
歌舞伎町の女王は曲調も歌い方もアレンジを加えており(やや演歌調)、丸サに関しては、曲調をジャジーにアレンジしたのに加えて、2番のサビ以降の歌詞を大幅に変更した上で英語(英語だと思うけど、正直全然聞き取れませんでした)で歌うという、見ている人にとって非常に難解で盛り上がりにくいパフォーマンスをしていた。
時間があれば動画を見ていただくのが1番理解し易いと思うけど、https://youtu.be/zuLy6OWzd9U?si=TAfhJK2AeiFTK8fC  ←全体の流れと歌詞を見れます。

言葉で説明しようとすると、
 全体の構成としては、
「歌舞伎町の女王」2番Aメロ→大サビ
→「丸の内サディスティック」1番(英語)→2番AメロBメロ→オリジナルサビ(英語)→2番サビ→オリジナル大サビ(英語) 
であった。


  変更が加えられた丸サ2番のサビ以降の歌詞は、椎名林檎おなじみの縦文字特殊テロップで、このように表記されていた。

「その袈裟を脱がしてもいい? 悟りがひらけるから
 私専任の僧侶と気持ち好くなっちゃいたいのに
 無我の境地で煩悩に溺れてむしろ涅槃を識る
 カートの歪みギターに射たれてぶっ飛ぶようにね
  →(通常の2番サビ)→
 見付けたいのは イイぶっ飛びかた
 そんなのお金で 買えるモンじゃない
 カッコいい死に方なら 周知のとおり
 早死にすれば ロック教の殉教者決定
 ヤバい まだ結構キマッちゃってる」 
(前述の通りこの部分は全て英語だと思われる言語で歌われた)

元の歌詞もどうせ意味わからんからいいんだけど、こちらも1,2回見ただけだとまず真意が分からない。どうやら2023年に亡くなったロックミュージシャンのチバユウスケ追悼の意を込めた歌詞らしいんだけど、同番組に出演していたバンド「10ーFEET」が、自身の曲の間奏で「チバユウスケ!」と絶叫するというまっすぐすぎる追悼をしていたのと対照的だろう。
10-FEETが「易→超易」なのに対し、椎名林檎は「易→難」だ。

  椎名林檎は、毎回ライブではコンセプトを決めて、独自の世界観をつくってパフォーマンスを行うことで知られる。今回の「㋚~さすがに諸行無常篇~」は、諸行無常という単語もあるように、諸行無常の思想、仏教的思想が随所に見られた。1曲目の歌舞伎町の女王は2番からのスタートだったが、1番は決して時間の都合だけでカットされたわけではない。この曲の2番は「一度栄しものでも必ずや衰え行く」から始まる。また、丸サのオリジナルサビでは、「悟り」、「僧侶」、「無我の境地」、「煩悩」といった言葉が出てくる。(単語だけポンと出すと結構低レベルな仏教用語だな)さらに、初期にも名曲「ギブス」の歌詞に夫婦で登場していた「涅槃=ニルヴァーナ」の「カート(・コバーン)の歪みギター」の部分から、通常の2番サビへ。ここから雲行きが変わって、歌詞のロック色が強くなっていく。「🍕屋の彼女」というフレーズも、ベンジー(浅井健一)の昔の楽曲からの引用。グレッチもギターメーカー。2番サビの後は、Xでチバユウスケの追悼と言われてる部分なんだろう。「イイぶっ飛び方」、「カッコいい死に方」、「早死にすれば ロック教の殉教者決定」と、昔のロックスターの生きざまのようなイカした歌詞が続き、フィニッシュまで導かれる。

   これを紅白の舞台でやったのである。10代で作った楽曲にも、地元にいる元恋人への思いを表現するのに、

都会では冬の匂いも正しくもない
百道浜も君も室見川もない

「正しい街」

という言葉を創り出す椎名林檎。彼女こそ、「理解されずらい」己の内面を陳腐にすることなく、見事に昇華して表現することのできる人物だろう。それに対して、大衆は
①これの何がすごいん、ぜんぜん良さ分らん
②あんまよく分からんけどなんかかっけえ、すげえ、センスいい
という反応することがほとんどである。本当に良いもの、パフォーマンスをしたところで、世間の反応は大体が①である。
それでも。

PS:でも分かりやすそうな雰囲気を携えながら、専門的に見るとかなりクレイジーなことをやっているというものも、1番世間を騙してる感があってかっこいいよなあ。大学では顔の造形はキレイだけど、化粧も垢抜け切ってない普通の子のように見せといて、夜はキャバ嬢とかホステスやってるみたいな。たまたま六本木とか新宿歩いていて、神々しいお姿してるのを発見して、それからというもの授業のたびに妙にあの子のことが気になってしまう、、、学科やサークルで遊び慣れしてるような印象もたれながら、大学の外では普通の子、って言うのよりも底知れない感じがあって断然かっこいい。

  若いうちって、裏で遊び慣れてて、裏でワルイことしてそうな人がモテるのってなんでなの?セフレがいる人ってなんで新たなセフレ候補がひょいひょいやってくるんだろう。

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