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【『砂の女』と『ARIA』が描く「労働観」】

私の好きな小説『砂の女』(著:安部公房)。
そして、私の好きな漫画『ARIA』(著:天野こずえ)。
 
ジャンルはかなり違いますが、どちらも著名な作品です。
この二作品って、対照的な労働観を反映していると思うんですよね。
そこで今回はこちらを題材に「労働観」について考えていきたいと思います。


①『砂の女』本質的に不自由を求める労働者

『砂の女』は安部公房の代表作であり、ノーベル文学賞を受賞するんじゃないかとまで言われていた名作中の名作です。
他の安部作品と比べてかなり読みやすいので、ぜひ一読してください。
ネタバレを含んだ、ざっくりとしたあらすじを以下に載せます。

【ざっくりあらすじ】
教師の男が趣味の虫取りをしに、砂丘を訪れる。
砂の部落にある女(寡婦)の部屋(砂穴の中)で一晩過ごさせてもらったが、翌朝起きると登るための縄梯子が外され、砂を掻き出し外に出す強制労働を強いられていく。
もちろん男は反発するが、女に懐柔され、肉体関係を持つようにもなり、段々と馴染む。
脱出のチャンスが一度あり、試みるも失敗して逆に命を助けられる。
男は再び脱出の機会を伺って大人しくしながら、砂の中から水を取り出す溜水装置を開発する。
女が出産のため部落を離れる際、縄梯子が上げられたままになり脱出のチャンスが訪れる。
だが男は脱出せず、上手くいった溜水装置のことを部落の人間に話したくてしょうがない気持ちでいっぱいだった。

特にこの作品で印象的なのは、どんな過酷な環境だろうと、人間関係をその環境で長く築いてしまうとそこから抜け出すのは困難を極めるということですね。
ブラック企業に勤める人が仕事を辞めないのはなんで?と思う方もいるでしょう。
これは現状維持バイアスや単純接触効果が発動して適応してしまうからです。
 
現状維持バイアスとは、変化をすると現状よりも好転することが分かっているのに、現状を手放すことができない心理効果のことです。
砂を掻き出す重労働を強いられる主人公の職業は教師です。
脱出して教師に戻ったほうが、よっぽど人間らしい生活を送れるでしょう。
 
単純接触効果とは、何度も接するうちに最初は興味がないことでも興味が湧いて好意を持ちやすくなるということ。
女や砂の部落民と長く過ごすうちに馴染んでしまった主人公は、自ら変わることを放棄してしまいます。
一度脱出を失敗し、手痛い目を見た影響もあるのでしょう。
 
ここの生活も案外悪くないんじゃないか?
もし出ていったら、またひどい目にあうんじゃないか?
 
具体的な描写は本文にはありませんが、深層心理でこのようなことを考えていたのかもしれません。
 
主人公が嬉々としながら溜水装置について女に話す場面もあります。
自分の成果物を認めて欲しい、そして集団の一員として認めて欲しいという帰属意識や承認欲求が伺えるシーンです。

私は本作を読み終えると「人間は社会の歯車として、ブルシットジョブ(クソみたいな仕事)をあてがわれるのが本質なのかもしれない……」と毎度想い耽ります。
生きていくために行う生産性のかけらもない砂掻きは、まさに私たちの仕事そのものを象徴しているでしょう。
生きていくためには働くしかないし、その仕事は常に社会の歯車である単純作業なのです。


②『ARIA』やりがいがあれば労働は楽しく、そして美しい

『ARIA』は天野こずえの代表作であり、アニメシリーズも大変好評な超名作です。
「日常系ファンタジー」という、日常なのにファンタジーってなんやねん?って感じなのですが、まぁ見ればわかると思います。
「異世界スローライフ」系の先駆けなのでしょうかね?
とにかく面白いです。
※当時は「アリシアさん引退」で百合界隈も盛り上がりましたね……。

【あらすじ】
惑星改造によって生まれ変わった水の星「アクア」。
その観光都市ネオ・ヴェネツィアを舞台に、ウンディーネ(水先案内人)を夢みてマンホーム(地球)からやってきた15歳の少女、水無灯里(みずなしあかり)を主人公に優しくてちょっぴり切ない物語が広がります。

TVアニメホームページより引用 URL:https://ariacompany.net/1st/story.html


ネオ・ヴェネツィアというヴェネチアっぽい水の街で、一流水先案内人(プリマ・ウンディーネ)を目指して奮闘する少女たちと、その師匠や街の人の生活を描いています。
水先案内人は船を漕いだり、観光案内をする人のことです。
 
本作の特徴はファンタジックで幻想的な世界観でありながら、仕事をする上での心構えなどの自己啓発を説いている点ですね。
そういうのを作品内に持ってくると思想が強くてうんざりするケースもあるのですが、塩梅が大変すばらしく、まったく押しつけがましくない。
ファンタジーさのおかげで非現実感が演出され、どこか別の世界でありながらも、同じように悩んでいる人間がいるんだなという気にさせてくれます。
「どの年代で本作を読むか?」で作品から受ける印象が変わる、少し風変わりな作品とも言えるでしょう。 

また、主人公たち仲良し三人組がとても可愛らしく、キャラクターの立て方も抜群で見ていて飽きません。
へちょ顔や特徴的な喋り方でキャラ付けしていますが、メチャクチャこの子たちが頑張っているのが読者は分かるので色物みたいにならないんですよ。
また水先案内人が接客業のためか「お客さんにどう楽しんでもらうか?」というやりがい部分も可視化されていて、共感しやすい。

私は本作を読むたびにどう思うかといいますと「仕事って素晴らしいな……。こんな風に好きな仕事に没頭して、好きな人たちと一緒に過ごせたら、きっと幸せだろうな……。」となります。
ヒューマンドラマの部分が大変優れている作品ゆえに、出てくる感想でしょうね
まさに『ARIA』の世界は理想の職場。
自分を高め、友人たちとも高め合い、尊敬できる師匠がいて、その風土が脈々とネオ・ヴェネツィア全体を循環している。
そういうエネルギッシュさと美しさが溢れています。
こんな世界なら、私だってずっと生き甲斐を持って働きたいです。

ちなみに私がシナリオを描いた作製中の長編百合SRPG「Luminous Re-lien ~小さな騎士の誓い~」は『ARIA』をモチーフとして採用しております。具体的なところを出すのは難しいですが、通底するテーマも割と似ている気がしています。

※皆さんが「ARIA」で好きなシーンはどこですか?私は間違いなく11巻でアリスちゃんがアテナさんに対して手を出しながら「お手をどうぞ」と微笑むシーンですね。号泣しました。あのアリスちゃんが、こんな美しい笑顔を向けてくれるようになるなんて……と親になった気持ちで涙が零れました(早口オタク)


③そして躁鬱を拗らせる

仕事でなんか嫌なことがあったら、しょっちゅうこの二作品を読み返しているわけですが、そうなると何が起こるか?
躁鬱になります。
 
『砂の女』を読んで「やっぱ仕事ってクソだわ……。何もしたくねえ……。」となり、『ARIA』を読んで「仕事って美しいんだな……!もっと頑張らないとな……!!」となる。
ハイ、情緒が不安定になりますね。
 
結局のところ、自分がどういう精神状態なのかで受け取り方も変わるわけです。
物事には絶対的な基準はなく、「良い部分」も「悪い部分」もある。
仕事のおかげで賃金を貰って生活しているし、そのせいで時間を無限に吸われ、デスクワークにより腰を痛める。
光あれば、陰あり……。


おわりに

一面的な価値観は人間としての幅を狭くしやすいと思いますので、様々な価値観を醸成するためにも、小説や漫画を読むのは大変すばらしい自己啓発なのではないでしょうか。
「小説を読むと共感力が上がる」っていう研究データもあるくらいですからね。
意識的に時間をつくらないと本を読む時間は生まれないので、「寝る30分前は読書!」みたいに習慣化させるのがベターかなと。

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