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もう思い出せない無数の言葉を信頼するということ。

中学生の頃、最も仲の良かった女の子は、とても可愛かった。クラスで目立つ派手なタイプではなくて、控えめで知的な女の子だった。それに陸上部のエースで、体育の持久走ではクラスで断トツの成績だったし、引き締まったスタイルは私の憧れだった。だが私が彼女について最も好きだったのは、彼女の書く作文だった。国語の授業ではよく自由作文を書いた。私は当時、歴史小説の感想や普段の違和感の考察みたいな小難しいことを書き連ねて自己満足するような面倒な少女だった。そんな私にとって、病気の家族や震災のことや(当時は3.11が起きた年でもあった)、自分の弱さについて率直に書いた彼女の作文は、シンプルで素直な言葉ばかりで綴られ、私はいつも胸を打たれた。そのように素晴らしい友人だけれど、ひとつだけ不可解な点があった。
彼女が熱心に片想いをしていた相手が、私にはどこが良いのかまったくわからない男の子であったという点だ。当時の私は「男を見る目だけはないらしい」と首を傾げた。どこが良いのかまったくわからない、というのは失礼な表現だけれど、もっと正確に言えば、彼女には絶対にもっとかっこよくて頭が良くてスポーツマンな男の子が似合うのに、と思っていた。だが彼女は、サッカー部のキャプテンでイケメンと名高かった一学年上の先輩にアプローチをされたときも断っていた。私は彼女についてそれだけが謎で、不満な点ですらあった。

彼女が想いを寄せていた男の子は、背の高い彼女よりも頭ひとつくらいは背が低くて、その割に体型はふくよかで、お世辞にもモテないタイプだったし、あだ名は「ガンダム」だった(ガンダムオタクだった)。教室ではいつも同じような趣味の男の子数人と、カードゲームをしたり宿題をしたりしていた。いったい何がきっかけで好きになったのか、彼女に何度聞いてもそれだけは教えてくれなかった。それで私はその男の子をじっくりと観察してみたけれどわからなくて、やっぱり絶対にサッカー部キャプテンの方が素敵だという結論にしかならなかった。

卒業式のあと、彼女はガンダムに告白して振られた。彼女が泣いているのを見るのは初めてだった。その時、あなたはこんなに素晴らしいんだからもっと良い人がいる…という趣旨の慰めの言葉は大量に浮かんだが、いざ泣いている彼女を前にしたら、それらの言葉は脳内で全て瓦解してしまった。私は何も言えず、悔しかった。


昨日、彼女から結婚式のスピーチを頼まれた。彼女は今や、当時からの夢だった医師の卵になっている。10年前、地下鉄のホームで電車を待っているときに、難産だった母のような女性を救える産婦人科医になるのだと話してくれたことを今でも覚えている。私は彼女との接点は中学3年間しかなくて、それ以降もたまに会うとはいえ年に1度あるかないかだ。それなのに私が結婚式のスピーチをしていいのだろうか、もっと相応しい友人がいるのでは?と思い、「私で良いの?」と聞いた。すると彼女が可笑そうに笑った。

「あなたがいいんだよ。いっぱい話したこと、楽しかった。そのときくれた言葉たちが好きだった。作文も私には書けないもので大好きだった。でも私が落ち込んでる時は何も言えずにそばにいてくれたでしょ。そういうのが、今思い返しても、本当にうれしいの」

私はびっくりして黙った。10年も経って、その間会わない期間も長く、お互い変わったし、互いについて知らないことの方が多いだろうし、歩む道はもう違う。それなのにあの頃いつも書いていた雑文や毎日紡がれていった会話、そこで出てきた他愛の無い言葉たちを、この人は今でも信じてくれているのだ。とうの私は、あの時どんな話をしていたかも(大した話でないことは確かだ)、自分が何と言ったかも何も覚えていないのに。あるいは彼女も、具体的な言葉などは何も覚えていなくて、ただ私の言葉や沈黙にたいして抱いた何かを…実感というにはもう朧げで余りにも頼りない何かを、かたく信じてくれているのかもしれない。私は目頭が熱くなってさすがに沈黙では居られず、誤魔化すように呟いた。

「…やっぱり見る目ないでしょ」

「なんでよ〜!まあ、彼氏、カッコ良くはないけど。あなたは面食いだもんね。でもやさしいし真面目な人だから、今度、会ってね」

ああこのやりとり懐かしい、何百回目だっけ。
可笑しくなって吹き出しながら頷いた、結婚式のスピーチではありったけの言葉を尽くして、彼女に伝えられるといいのだが。と思いながら。

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