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プラムのケーキ

8月と9月の境目、例のごとく寝付けない夜、私はプラムのケーキを作り始める。

くすんだ深いプラム色、ついついこの色の口紅を買って集めてしまうくらいには好きな色だ。だがプラム自体は、それほど食べたこともない、馴染みのない果物だった。一年中ある果物ではないからということを差し引いても、人生で数える程度しか食べたことがない。どこか渋みもあり、桃やら無花果に比べると圧倒的に酸っぱいから、意図的に選んでこなかった。
だが昨日、いつものスーパーで、ふとプラムが目に留まった。

隣には沢山の果物があった。桃のほうが甘美で、苺のほうが可愛らしくて、林檎のほうが人気で、無花果のほうが色っぽいと思った。だがその時私は、プラムが一番魅力的だ、と、言ってあげたくなった。
それで、プラムを1パックだけ買って帰った。

プラムを綺麗に水で洗って、ナイフの刃を入れるときになって、私は急にどきどきし始めた。
へんな話だが…なんだか、愛しくなってしまった。この果物がとても可愛いと思った。いよいよ変態かもしれないが。

コンポートもいいし、ジャムもいい。「プラム レシピ」で検索してみると、酸っぱいからか、多めの砂糖で甘く煮込む料理が多いようだ。でも今は、しっかりプラムを味わって、この空腹を満たしたい。
だから今夜は、プラムのケーキを作ろう、と決めたのだ。

イギリスに住んでいた時、ホストマザーがよく焼いてくれたレシピ。ダークチェリーだったり、無花果だったりしたけれど、どれも紅茶に合って、私の大好物だった。だが、プラムで作るのは今回が初めてだ。

今晩の隠し味は、RADWIMPSの「夏のせい」が相応しいだろう。八月が終わろうとしている今、私は既にこの夏が懐かしく、早く消化して無くしたい。のんびり微睡んだ夏、とも、全速力で走り抜けた夏、とも言い難い。敢えて表現するならば、そろそろと始まり、そろそろと過ぎ去るのを、最後まで止める術の無い夏、だった。あの人がいた夏はいつの間にか終わり、あの人のいない秋は否応にも始まっている。

九月、ここからホンモノの孤独が始まる。それはある意味で、彼と出会う前の私に戻るに過ぎないようにも思えるが、一方で、元の自分に完全に戻ることは不可能であるようにも思える。完全に元の自分に戻りたくはないし、戻ってしまえる自分でありたくない、という気持ちもある…
だがいずれにしても、恐ろしく未知だ。なぜなら、これほどに、誰かに恋をした季節は無かった。私はまだ「喪失のその先」に何があるのかを明確には知らないのだから。

彼は、思い出を糧に生きていくよと言った。だが私はそうしたくはない。だから決めた。

「八月最後の深夜、この夏を完全に隠蔽しよう。」

この残された数時間、プラムケーキを作る。その間、全力で、一生分、この夏を想い、愛し、あの人のことだけを考えよう。想い尽くそう。そう決めた。
そうして九月からは、この夏を引き摺ったり、事あるごとに引っ張りだして、感傷に浸ったりはしない。かつてのメッセージの応酬や、彼と一緒に写った写真を見て、自分を慰めるようなことはもうしない。追憶の箱に鍵を掛け、大切に、心の奥底に、誰にも奪われない場所に置いておくのだ。

出会った頃からずっと、みてきた。どんなひとなのか知りたくて、少しでもその本質に触れたくて。

シャツのにあうひと。
革靴のにあうひと。
冷めていて、それでいてナイーブなひと。
努力家で、それを見せないひと。
孤独で、少し頑固なひと。
頭が良いのに、ばかにもなれるひと。
優しくて、ノーと言えないひと。
頼ったら、見捨てず包み込んでくれるひと。
声が少し低くて、ベッドの中だとあまいひと。
ロマンチストなのに、現実を生きようとするひと。
浮ついているように見えて、純真なひと。
ずるいけれど、ゆるしてしまうひと。
睫毛と指が、長いひと。
背が高くて、横顔がきれいなひと。

バター、卵、砂糖、小麦粉を、どんどん練っていく。ひとつひとつの、彼にかんする断片的な記憶をすべて、溢さないように、漏れないようにすべて、閉じ込めていく。この夏で見つけた甘い記憶をすべて混ぜていく。

 このひと夏の蓋が取れるほど 詰め込むよ
 昼と夜 視線と恍惚と 臆病と覚悟を
 ごちゃ混ぜたプールで

とろっとした、なめらかなクリームいろの生地になったら、型に流し込む。そこに、大きめに切った沢山のプラムを均等に並べていこうとしたのに、なんだか歪になってしまった。

まあいいや。真剣に、彼に恋をした私のことも、一つずつ埋め込んでいこう。そんな気持ちで埋めていく。

このダークトーンの直毛。最近少し気になる下腹。深爪する癖。顎にできたニキビ。背中の荒れ。末端冷え性。貧血体質。内省的で考えすぎてしまう癖。勇気が出ないところ、臆病なところ、無意識にいい子ぶるところ、平気ぶるところ、秘密主義なところ、感情表現が苦手なところ、面倒くさがりなところ、溜め込んでしまうところ、冷たいところ…以下略。多過ぎてキリが無い、きらいな部分ばかりだ、だから今までずっと、もっとこんな自分だったら、と嫌悪し続けてきた。

この夏だってそんな私は健在だった。それなのに、背伸びする私ではなく、ありのままの私を知りたがって、肯定しようとしてくれるひとだった。自分のことを伝えることが苦手な私を急かしたり責めたりしないで、逆に沢山話してくれて、私の言葉をやさしく待ってくれるひとだった。愛しさや申し訳なさを、目と態度で、くすぐったくなるくらい伝えてくれるひとだった

焼けた生地に埋もれたプラムは、生の時の渋いプラム色よりも、なんだか鮮やかに見えた。
私は早速、片隅を取り分けて味見をしてみた。

──酸っぱい。でも生地は甘い、
そのせいかプラムの酸味がやさしく感じられて、あつくて舌の上で溶けて、コンポートのように滑らかな食感だ。そのふにょふにょのプラムを咀嚼していたら、ばかみたいに涙が出ていた。えっ、なに。そんなに酸っぱいの?それとも私、こんなものが、泣くほどおいしいの?
へんなの!と笑い飛ばしたかったけれど、できなかった。ケーキを作って食べたら満足すると思ったのになぜこんなに足りないのだろう。あんなに砂糖を入れたのに。こんなに沢山作ったのに。

記憶に蓋をするのはもったいないよ
時間が流れて 少しは綺麗な言葉になって
夏になると思い出す 別れの歌も
今なら僕を 救う気がする

今日だけは夏の夜のマジックで
今夜だけのマジックで歌わせて
今なら君のことが
わかるような気がする

流れてきた、夏夜のマジック、今まで心地よい歌だなあ、くらいにしか思わなかったのに今こんなにも胸を抉るのはおどろきだった。

私は蓋をできない。足りないし、ずっと足りなかった。会いたい、声が聴きたい、話したい、笑ってほしい、最後まで、そのどれも伝えることはできなかったし、彼の前で泣くことなんて、当然のように一度もできなかった。あの夜、俺ばかりが緊張していると言わせてしまった。

だから最後の最後、本音と一緒にこのプラムのケーキを食す。

私は貴方のことが本当に大切だった。
できるならずっと、大切にしたかったのです。


*・☪︎·̩͙プラムのケーキ*・☪︎·̩͙

*材料(スクエア型1個分)*
・卵2個
・バター100g
・砂糖70g
 きび砂糖がおすすめ。
・小麦粉100g
・プラム4個
・‘‘夏のせい” /RADWIMPS
 "夏夜のマジック" /indigo la End
夏に浸る、とびきりの曲。
*作り方*
1.プラムを皮ごと、くし切りに。
2.溶かしたバターに砂糖を入れ混ぜる。卵も割り入れて、とろっとするまで混ぜる。
3.小麦粉を振るい入れながら、ゴムベラでさっくり混ぜていく。
4.3を型に流しいれ、プラムを一面に並べていく。
5.180度で35分、焼く。
*ひとこと*
焼きたても美味しいけれど、冷やした次の日は、ずっとしっとり。
クリームティーやダージリンティーと合わせるともう最高な昼下がり。明日が楽しみだ。

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