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「愛がなんだ」:愛ってなんだ

純粋に人を愛する女の子の片思い物語ということで、私は主人公に共感するつもりでこの映画をみにいった。

だけど、それほど共感できなかった。

共感できなかった理由は、一見、主人公のテルちゃんがあまりにも自分のことを大事にしていないように思えたからだろう。

私は自分が好きになった人のことはすごく好きだし、とても大事な存在だと思うけど、同時に、自分も大切にしたいと思っている。自分も相手も幸せであることが大事だ。

だから、大事にされていないことが分かっていても、マモちゃんの望みに常に応え続けて、自分の本音を無視してでもマモちゃんの言うことに同調するテルちゃんに、あまり感情移入できなかった。

でも、テルちゃんの気持ちが分からないわけではない。

「好きになることに理由はない」という言葉はその通りだと思うし、「タイプなんてものよりも、好きになった人の積み重ねの方が大事」というのも分かる(つまり、どんな人を好きになるかは、演繹法よりも帰納法で決まるということ)。

先日、友人が話していたように、「嫌いなところがたくさんあってもなお、相手のことが好き」という謎の現象が発生するのが、恋愛だとも思う。

そして、「一見、テルちゃんがあまりにも自分のことを大事にしていないように思えた」と書いたけれど、「本当にそうなのか?」という問いを持てたことが私の収穫だ。

もともと、私は自分のことを大切にしてくれない相手の言うことに唯々従って、相手にひたすら尽くすことは幸せではないし、それは本当の愛ではないと思っていた。

だけど、映画に出てくるテルちゃんと中原くんの姿をみて、そういう状態を幸福と感じる人も存在するのではないか、とも思った。

彼らは彼らなりに、相手の幸せを尊重しつつ、自分の幸せを追求しているように見えた。

つまり、私が思う愛とか幸せのかたちが絶対ではないのだと思う。これは、大切な学びだ。

それでもやっぱり、私が実現したい恋愛は、雑に扱われても一方的に突き進む恋愛ではないし、私の好きな人もまたそういう恋愛を好きではないと思う。

追記:と、こんなふうに書いたけれども、1日経ったいま、私の中にもやはりテルちゃんがいると思いました。テルちゃんとの境目がわからない自分が怖いと言ったら、「それでもいいじゃん」と私の友人は言いました。

2019.5.12 鑑賞

花を買って生活に彩りを…