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「読書日記#3」〜戦争とは血を流す政治〜関ヶ原・司馬遼太郎

戦後の、特に昭和30年、40年代生まれの男子にとって
司馬遼太郎は必須科目だった。
司馬遼太郎で歴史を、そして生き方を学んだと言っても過言ではない。

僕たちはそれぞれお気に入りの司馬遼太郎を抱えていた。
深夜、大学の友人の下宿で、遅くまでやっぱり「燃えよ剣」だ、
いや「坂の上の雲」で涙をした、「世に住む日々」で自分も何者かに
なれると誓いを立てた、といった日々を過ごした人も多いのではないか。

かく言う私は「竜馬がゆく」派であり、アメリカ留学の際にも
全8巻をカバンに入れ辛い日は夜を徹して読んでいた。
何度勇気づけられたことか。

さて、話が逸れたが関ヶ原である。
彼の随筆や他の作品から、司馬遼太郎はアンチ徳川家康で石田三成派
だと思っていたし、3分冊の上巻の終わりあたりまではその色が濃いと思う。

確かに心情的に家康には寄り添っていない。
だからと言って三成に肩入れをしている訳ではないということが
読み進めるうちに分かってきた。

晩年の家康は政治家なのだ。
彼にはこの先日本をどうしていくかが見えている。
どうしないといけないかがわかっている。
その中心に徳川家を据え置くという青写真ができている。
関ヶ原の合戦の前に全てはもう決定されていたのだ。
しかし、世の中に分かりやすく変革を伝えるためには
決戦という舞台が必要だったのだ。

一方の石田三成。
どこまでも生真面目で優等生。
しかしこのタイプによくあるように、人の心は
理解ができない。完璧な計算がなぜ狂っていくのか
最後まで理解できなかったんだろう。
そして老練な家康の筋書き通りに舞台に上がっていく。

最後まで彼らしく、最後の瞬間まで諦めない姿は胸を打つ。
家康にとっては決戦の相手としては釣り合わないが、
釣り合うように舞台を整えられ、舞台を降りることさえ
許されなかった男。

そして島左近。
自分の最高の舞台を探していた彼は主人の三成では
家康に敵わないことも最初から分かっていた。
それでも、最後まで家康と三成の芝居に付き合っていった。
歴史が自分に求めているものを理解して、それを全うする。
主要人物の中では一番司馬遼太郎の登場人物らしい人物だ。

合戦の描写を期待すると肩透かしにあうだろう。
これは政治群像劇なのだ。
時代にあがらう人、時代に取り残されないようにもがく人
それぞれ何を考え、どう生きたのかが生き生きと描写されている。

読み終わって、
改めて司馬遼太郎は家康のことを人間的には好きではないが
時代に必要とされた人物として評価していると感じた。

そして今は大阪の陣を描いている「城壁」を読んでいる。
ここでも家康は嫌なヤツだ(笑)


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