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ハマスホイとデンマーク絵画@東京都美術館

油彩画という視覚表現の可能性が、こんなにもあるんだというのは驚きだった。覗きこむとそのまま目が離せなくなる圧巻のヴィジュアルに至福の時間を過ごさせてもらった。

東京都美術館で今週はじまったばかりの「ハマスホイとデンマーク絵画」展。
展覧会の中心となるヴィルヘルム・ハマスホイは19世紀末から20世紀初頭にかけてのデンマークの画家。今回まで名前も知らなかった画家だが、なんとなく気になって観に行った。それでも本当に来て良かったとつくづく思えるほど、素晴らしかった。観ながら興奮する展示に出会うことはそう多くないが、久しぶりに1つ1つの作品にドキドキさせられる展覧会だった。

デンマーク絵画の独自性

ここ何年か毎年のヨーロッパに行っているが、楽しみにしているのはその土地の美術館に脚を運ぶことだ。あー、この作品はここに収蔵されているのかと著名な作品に出会うことや名前の知っている画家の知らなかった作品を見つけることももちろん楽しいのだけど、もうひとつ別の意味で面白さはその土地の画家やその土地で描かれた作品をまとめて観ることにある。
たとえば、プロヴァンスという土地ではプロヴァンス自然派の描く作品を観てワクワクしたし、印象派の作品もノルマンディで観るのが実際の海や空の色との関係でしっくりくる。
その土地ごとに異なる視覚イメージの可能性があるのだと思う。単に見た目の風景の違いだけがそうさせるのではなく、空気や時間の流れ、そして音も含めて、描かれる絵を異なるものにする。土地ごとに異なる違いというのを、僕らの社会は失いすぎているのかもしれない。そして、その違いを感じとる感性も。その状態でどうやって地域を活性化する活動などできるのだろうかとも感じる。

そして今回のデンマーク絵画も観ながら、これはデンマークで観るとさらに楽しいのだろうなーと思いながら観た。
コペンハーゲンで19世紀前半に華開いたデンマーク絵画黄金期の作品から展示ははじまるが、入口入ってすぐのところにあったクレステン・クプゲの「カステレズ北門の眺め」にまず目を奪われた。冷たい澄んだ空気がそうさせるのか、輪郭がはっきりとした硬質な印象の観たことのない風景画だった。

クプゲは、ハマスホイが最も敬愛した画家だそうだが、そのクプゲをはじめ、ダンクヴァト・ドライア、コンスタンティーン・ハンスンら、黄金期の画家の描く作品は、他のヨーロッパの画家たちが描く作品どれとも違って独特な印象を与えるもので、とても興味を引かれた。きっとこれはデンマークという土地の空気や景色によるものだろうと感じたから、デンマークで観たらさらに楽しいだろうと感じたのだ。

働く者たちの静謐な時間

黄金期の画家たちが主に首都コペンハーゲンで活動したのに対して、スケーイン派と呼ばれた画家たちは首都から離れた漁師町スケーインの田舎の風景に魅せられて活動をした。
漁師たちの働く姿を英雄的に描いた絵もとても魅力的だった。

漁師たちの働く姿だけでなく、女性が縫い物をしたり花を飾ったりする姿や、男性が漁網を手で編み上げる作業風景が描かれた作品が多かったのだけど、その機械で大量に高速に作られるのとはまるで異なる手作業での、時には気が遠くなりそうなのんびりした時間を描いた作品からは、とても静かでけれど密度高く感覚に喜びを与えてくれるような空気感が感じられる。

黄金期の画家の作品とはまた違うのだけど、スケーイン派の画家たちの作品またこれまで観たことのない印象を与えるものだった。

国際化した中での室内画という独自性

しかし、そうした独自の魅力をもった絵がたくさん生み出されていたにもかかわらず、そうした伝統的なものに反発して、国外にも開かれた美術を目指そうという動きも起こって、ゴッホやゴーギャンなどとの交流によって国際化を図る若い作家たちも登場する。
国外のポスト印象派の画家たちとの交流を通じて、それまでのデンマーク独特の作風からは遠ざかりはするものの、たとえば、下のユーリウス・ポウルスンが1893年に描いた「夕暮れ」という作品などは同時代の象徴主義の影響を感じさせつつも、ぱっと見でも異彩を放つ不自然な作品で、心を動かされた。

国際化する中でもデンマーク絵画を独特なものにしている要素のひとつは、室内画が圧倒的に多いことだろう。冬など日照時間が極端に少ないがゆえに必然的に室内を描いた絵が多くのだろうと想像はつく。しかし、それと同時に室内で過ごす時間が多いからこそ、その室内の時間をどう幸福に過ごすかという文化がしっかり醸成されてもいるのだろう。描かれた室内風景はどれも温かみがある。
数十年ほど前の時代のイギリスのラファエル前派の画家たちも多くの室内画を描いたが、その人工的で偽物っぽい印象とはまるで異なるのがデンマークの室内画だった。

何より室内を照らす光の描き方がとても優しく自然な印象を受けた。ここでも先のスケーイン派の画家たちが描いた作業風景と同じように静謐な時間の流れがある。都会の生活が描かれている分だけ、すこし時間の流れは早そうだけど、それでもそこには幸福な空気が漂っている。

それでも圧巻なのはハマスホイ作品

と、ここまででも十分デンマーク絵画に楽しませてもらっていたので、いよいよハマスホイ作品が展示されるコーナーに入るという時でも、特に期待はしていなかった。いいものは見せてもらえたし、同じようにいいものが見れるのだくらいに思っていた。

しかし、同じではなかった。
ハマスホイの作品はひとつ次元の違う独特なものをもっていた。

ほかのデンマーク絵画同様、室内画が多いのは変わらない。だけど、そこに描かれて提示されている視覚イメージは、時間が静止せずけれど進みもせずに静かに揺れているような、不思議な印象だった。油彩画なのに時間が静止せず、描かれたものは確かに止まった状態で描かれているものの、絵画として切り取られたというより、なおその画面のなかで動きを維持しているように見える奇妙な印象なのだ。

たとえば、ハマスホイがピアノを弾く妻の姿を含んだ室内の様子を描いた絵。これもピアノの音も聞こえないし、ピアノを弾く動きもなきのだけど、ある意味、室内に差し込む陽射しや、音は響かせないものの空気の動きは続いているかのような奇妙なイメージがある。手前のテーブルの上には置かれた銀色の器の生き生きとした様子など、もともと動くはずのない静物が描かれることで動きを与えられるようなイメージなのだ。

こんな表現は他の手法で実現できるのだろうかと思える不思議なイメージだ。

時間のうちに堆積したものを描く

ほとんどの作品に感動したさせられたがもうひとつ紹介するとすれば、この教会を描いた作品か。

この作品も静謐な時間の動きがある。しいて言えば動かない静物を描いた動画のような印象なのだ。静止画として描かれた教会を見ているというより、動かない教会の無音の動画を見ているような感覚がある。いや、本当に無音というより、もっと自然な感じで静謐なのだ。
その意味ではロシアの映画監督アレクサンドル・ソクーロフの1990年代の作品――たとえば、『ストーン/クリミアの亡霊』あるいは『静かなる一頁』など――を思い出した。止まっているものを延々と映し出している動画。

ハマスホイ自身が語っているのは、室内や建物に蓄積したものを彼が描こうとしていたということである。その時間とともに積み重ねられたものが描かれているからこそ止まっているのに動きがあるような印象をもたらしているのかもしれない。土地や建物に積み重ねられた文化の蓄積、人生に折り重ねられていく日々、そうしたものの残映にハマスホイは目を向け、それも含めて絵を描いているかのような印象がある。

流れる時間にただ押し流されるのではなく、ひとつひとつの時間を丁寧に生き過ぎ去った時間にも敬意をもって接するようなそんな時間の捉え方がされているので、ハマスホイの作品にはカルロ・ロヴェッリが時間と関係づけた熱力学第二法則がハマスホイの作品からは見てとれたといったら言い過ぎだろうか。

会場は、東京都美術館。
会期ははじまったばかりで、2020年1月21日(火)~3月26日(木)。
おすすめなので、気になる方にはぜひ観てもらいたい。


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