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1-4.新しい学と、自然と人工の劇場

同じように、過去における思考史の転換点がまさに16世紀と17世紀にまたがるくらいの時期にあったのだ。ただ同じ転換点でありながら、16世紀、17世紀という時代は、すでに迷宮の中に深く迷いこんでしまっている現代よりは、人間が自分たち人間の思考の仕方自体を意識的にデザインしていく必要があるのだということに自覚的だった時代であるように思う。そして、その新たな思考方法を自覚的にデザインにしていこうとするプロジェクトのひとつが、各地に数多くつくられたミュージアムでの蒐集・陳列であったと理解するとよいだろう。

自然をコントロール化に

16世紀から17世紀のルネサンス期からマニエリスム・バロック期にあたる初期近代のイタリアにおけるミュージアムについて考察した『自然の占有』の著者ポーラ・フィンドレンは、その時代の景色をこう表現している。

自然を占有するということは、科学的に価値ある対象を蒐集するという、より大きな喜びの一部であった。16世紀と17世紀のあいだに、最初の科学ミュージアム−技術と民族学的珍品奇物と自然の貯蔵庫−が出現した。その出現は、全ヨーロッパが蒐集に熱を上げていた時代と重なる。後期ルネサンスとバロックのヨーロッパの風景には、ミュージアム、図書館、精緻な庭園、人工洞窟、そして美術のギャラリーが満ちあふれている。

フィンドレンは「科学的に価値ある対象」と単純に書いているが、すでに見たとおり、この時代はまだ「科学」という概念はなく、博物学がそれに対応する概念だった。その博物学の中に自然を相手にする自然哲学があったのだが、博物学の対象は何も自然だけでなく、人工的なものも対象となっていたので、「技術と民族学的珍品奇物」が「自然」と同時に博物学のミュージアムの対象となっていたわけだ。

そういう視野が当時の科学である博物学の範囲だということを確認した上で、この引用中にリストアップされた「ミュージアム、図書館、精緻な庭園、人工洞窟、そして美術のギャラリー」をあらためてみるとよい。この時代にあっては、自然のもの、技術や民族学的なもの、アート作品などはすべて博物学の対象なのであって、とにかく自然のものであれ、人工的なものであれ、驚異を感じるものを集めて並べてみて、観察&体験できるようにしようとする時代の雰囲気があったのだ。

まさに「見る」ことがキーとなった時代である。言い換えると、それは個々人が既存の権威や教えに「盲目」的に従うのではなく、それぞれが現実を「直視」して新たな学びを得ることが重視されはじめた時代でもあったということだ。

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フィンドレンによれば、この時代、アリストテレスを筆頭とした古代の権威を重視したそれまでの自然哲学の姿勢に代わって、フランシス・ベーコンに代表される新しいタイプの自然哲学者たちは観察と実験を重視する姿勢から「氾濫するオブジェや情報を監視/調整するための貯蔵庫/宝庫を設立することを提唱」したのだという。そうした蒐集活動を通じて「新しい自然哲学は、学識というよりはむしろ経験に基づいて出現」することが期待されていたのだ。そして、この期待は先にも述べたとおり、「神の完全なる円環の写し」であった世界を破壊する様々な事物が大量になだれ込んできた世界を新たに理解しなおしたいという欲求からくるものでもあった。世界はマニエリスムの画家たちが描いたように大きく歪み、捻れて見えていた。

17世紀の自然科学者にして新しい百科全書の創作者は、混乱し、次第に拡張し、多元化する宇宙を説明しうる新たなモデルを探していた。現在と直面して過去の優越性を想定できなくなったとき彼は、イエズス会士たちの仕事においてもっともよく例証されているように、なぜそうなりえたのかを証明するか、あるいは自然の探索のための代替の枠組みを創出するべく議論するか、いずれかをなさねばならなかった。

先にも述べたように、新しく何かを理解するということは、集まった素材を様々に並び替えて順序や分類について思いを巡らせることによって理解の枠組みとなる文脈を組み立てることにほかならない。初期近代におけるミュージアムは、自然がつくりだしためずらしい品々を集めて並べて観察することで、その時代にあった自然を読み解くための新しい枠組みをデザインしていくための試作(プロトタイピング)の場であったのだ。旧来の知識体系が機能不全を起こしていた状況で、ミュージアムでは新しい枠組みの再構成(リフレーミング)が行われていたのだ。

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