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見ることと考えることの歴史 第1章

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人間の思考の形は時代によって大きく異なる。 その思考の形を左右したのは、他でもない視覚技術の変遷だ。このマガジンでは、人間の見ることと考えることに関する歴史的な変遷を紹介していき… もっと読む
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記事一覧

1-7.遠近法のウソ

1-7.遠近法のウソ

デカルトが、1637年の『方法序説』の中に、ガリレオの異端審問をきっかけに公刊を断念していた『世界論』の一部を『屈折光学』『気象学』『幾何学』として略述していたことはすでに紹介した。後には、こっちの内容の方がよく知られることになったが、『方法序説』は実はそれらの序文のようなものである。
その略述のひとつ、レンズの研究を元にした光学的思考を展開しているのが『屈折光学』だが、そこで問題とされているのが

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1-6.正しい視点

1-6.正しい視点

その観点で、ここでもう一度、遠近法の話に戻ってみたい。ようやく、何故この話を遠近法の話からはじめたかが説明できる段階にきたからだ。

遠近法はレオン・バッティスタ・アルベルティが1435年の『絵画論』の中ではじめて体系的にまとめたことはすでに紹介した。ただ、この『絵画論』の中でアルベルティが遠近法を「正しい制作術(コンストルツィオーネ・レジティマ)」と呼んだことはまだ言っていなかった。

アルベル

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1-5.内実VS見かけ

1-5.内実VS見かけ

実験を重視した16世紀、17世紀のミュージアムにおいては、解剖学劇場での解剖の公開も含め、様々な実験が公開されている。もちろん、ミュージアムであるから、実験以外にも、珍品奇物を集めた展示自体も公開されていた。

ただし、公開された実験や展示のどれもがまともだったかというと、そうではない。
そもそも、ミュージアムが新しい知の体系をつくるための試作(プロトタイピング)の場という位置付けであったことはす

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1-4.新しい学と、自然と人工の劇場

1-4.新しい学と、自然と人工の劇場

同じように、過去における思考史の転換点がまさに16世紀と17世紀にまたがるくらいの時期にあったのだ。ただ同じ転換点でありながら、16世紀、17世紀という時代は、すでに迷宮の中に深く迷いこんでしまっている現代よりは、人間が自分たち人間の思考の仕方自体を意識的にデザインしていく必要があるのだということに自覚的だった時代であるように思う。そして、その新たな思考方法を自覚的にデザインにしていこうとするプロ

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1-3.蒐集家たちは何故「集めて、並べた」のか

1-3.蒐集家たちは何故「集めて、並べた」のか

さて、ここまで、16世紀の後半から17世紀のはじめにかけて「デザイン」というワードが意識されるようになった時代のヨーロッパ社会の背景として、

・ そもそも、16世紀、17世紀のヨーロッパは宗教改革やそれにともなう内乱や戦争が頻繁に生じたり、小氷河期による農作物の不作やペストの流行なども重なったりと危機的な時代であったこと
・ また、世界観の面でも大きな変化が生じた時代であり、航海術や天文学、医学

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1-2.芸術家たちの視野の中で

1-2.芸術家たちの視野の中で

望遠鏡や顕微鏡などの新たな光学機器が科学の分野にもたらした影響について、視覚文化の研究者でもあり映画史家でもあるジャン・ピエロ・ブルネッタが『ヨーロッパ視覚文化史』が次のように書いている。

話は今、科学革命前夜の時代に差し掛かっている。微視的研究と巨視的研究、すなわち解剖学と天文学は、光学機器の系統的な利用のおかげで実現可能となる。つまり、光学機器はアリストテレスやプトレマイオスの思想体系に

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1-1.世界がヨコにもタテにも広がって

1-1.世界がヨコにもタテにも広がって

過去に向き合うのはむずかしい。

人間にとってむずかしいことは2種類あって、ひとつは知らないことに向き合うことで、もうひとつは知っていることに真に向き合うことだ。結論からいうと、そのむずかしさに対処するひとつの方法としてデザインはある。そして、同時にそのむずかしさを一層ややこしくしているのもあるデザインである。結論というにはややこしすぎる? まあ、そうだろう。だから、安易に結論を急ぐべきではない。

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