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発明の方法の発明

「誰しもほっとしたことだが、2つの文化をめぐる論争がやっとしずまった」。

20世紀が誇るアメリカの文化史家ワイリー・サイファーの名著『文学とテクノロジー』はそうはじまる。僕がいままで読んだ本のなかで10本の指におさまる、読んでよかったと思える1冊だ。
あの高山宏さんが「先哲サイファーの『文学とテクノロジー』が全く読まれていないのにほとんど絶望して、最近とにかく復刊企画を通した」と書いて絶賛するその1冊を、僕はその復刊の恩恵をあずかって読めたわけである。

さて、冒頭紹介した一文でサイファーがしずまってほっとしたという論争とは何なのか?

われわれの2つの文化をめぐるうんざりする論争は、科学と文学の関係を誤解していた。そしてかりに対立が存在するとしても、それは科学と文学(あるいは他の芸術)の間にあるのではなく、テクノロジーと科学の間に、およびテクノロジーと芸術の間にあるという事実をおおいかくしてしまったのであった。

という指摘のうちに語られる科学と文学(あるいは、その他の芸術)の間の論争がそれである。
サイファーは引用中にあるように、そもそもその対立が誤解に基づくものだとも指摘していて、それこそがこの名著の主要なテーマである。

冒頭の一文のあとも実際こう続いている。

そもそもこの論争は、双方ともが間違いをおかすところからはじまったのである。たとえば、19世紀後期およびその後において、詩人も小説家も画家も、しばしば科学者と同じくらいに一切を方法に賭けていたという一点は、のっけから見おとされていたのである。

方法に狂った19世紀。その方法のうち最強だったのがテクノロジーという方法で、科学はもちろん、文学も美術もその影響下にあった。

確かに美術は方法によって伝統的な主題主義からの解放を目指した。ロマン派から印象派へ、そして、点描主義の後期印象派やナビ派とどのように描くかという方法を鮮明化させていった。文学においても同様で、ロマン派のあと、自然主義・写生主義の移行においては、同時代の美術がカメラや映画に限らず、より広いテクノロジーから影響を受けたのと同様、科学と同じくらい方法への意識を高めたのである。

サイファーはその様子をこんな風に描く。

あの唯美的運動も実は方法に深くとらわれていたのであって、ウォルター・ペイターの芸術の香り高い文章でも、そのあるものは一種の文学的技術主義といっていいものであり、それは最後の語句や抑揚にいたるまで計算しつくされ、どんなにこまかい細部でも、すみずみまで巧緻に工夫されている。まことに矛盾することではあるが、最も文学的な文学がますます増大する技術的文化に反抗するにあたって自ら用いた手段は、技術の洗練ということだったのである。

技術的な文化を批判的である一方、その批判の態度を示すために採用したのは、きわめて技術的な手法であるという矛盾。社会が無批判にテクノロジーに迎合しはじめた産業革命の19世紀。
『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』といったナンセンス小説を書いたルイス・キャロルなどは方法によって方法を嗤う道を選んだわけだが、このキャロルの背景にも高山宏さんが『アリス狩り』で、「キャロルの家族は、彼が11になった1843年までデアズベリーに住んでいたが、有名なリヴァプール・マンチェスター運河のすぐそばにあったこの村で、幼いキャロルの見たものは、おそらく農本的文化対工業文明という形で演じられた、こうした閉ざされ、自足した親密な空間の解体劇ではなかったかと思われる」と描くような19世紀産業革命による強い影響がある。

だからこそ、サイファーが次のように書くように、一見、テクノロジーとは程遠い印象がある作品すら、技術に背を向けたつもりが、同じような方法主義の道を選ぶしかないのである。

まことに奇妙な事態ではあるが、唯美主義者たちは科学を拒否しながら、実は19世紀の「お耽美な」芸術の多くは、ある種の技術主義的な前提ないし動機を敏感に受け入れていたのである。

サイファーは、このテクノロジー、方法狂いが一体なんのための方法であったかを、こう記している。

一方、科学はそれ自体一定の方法を正確かつ厳密に適用し、活用することの謂であった。19世紀について語りながら、ホワイトヘッドは「この世紀をそれ以前の世紀と分ける特有で新しいものはなにかといえば、それはテクノロジーである」と言っている。19世紀の偉大な発明は、「発明の方法の発明」ということにほかならなかった。そして同じ時代の芸術もこの意味では発明的だったのであり、いずれも方法を発明することを求めたという点において違いはない。

発明の方法が発明された19世紀。
当時は、科学的な方法と芸術的な方法が相容れないものであるかのように対立し論争を繰り返していたが、その論争がおさまり、さらに、科学と芸術、いやScience 学と Art 術を別け隔てなく扱うことこそが創造のための早道だと多くの人が気づきはじめた21世紀の現代だろう。自然を相手にするScience、人工的なものを相手にするArt という境界さえ曖昧になりつつ、現代の状況において「発明の方法」はより意識的に用いられて然るべきだろうと感じる。
というのも、19世紀の科学者も、芸術家たちも対立しながらも、常にクリティカルな目で扱った方法が、いまや振れば何かが出でくる打ち出の小槌かのように無批判に方法を用いた挙句、何も手に入れられない結果で終わることが多発してるからだ。しかも、方法を使うことだけに満足してしまい、結果が出ないことを残念にも思わないのだからタチが悪い。

だが、一方で、方法を無批判な態度で批判するのも結局は同じ穴のムジナの対立でしかない。それは19世紀の対立の凡庸な繰り返しであって、方法そのものを批判するのは無意味である。僕らが方法から逃れることなんて金輪際ないのだから。

方法を無批判に使用するのでもなく、方法を無批判な態度で批判するのでないのだとしたら、僕らが選ぶべき道は、批判的な姿勢を崩さずにいかに方法も使いながら、目指すべき道を目指すことなのだろうと思う。

サイファーはこう書く。

テクノロジー、科学、芸術の間の関係についての最近の議論は、おそらく一世紀も前にジョン・ラスキンが書いていたことに、あまりつけ加えることがないものだろう。というのは、つとにラスキンも、産業主義的なものであれアカデミックなものであれ、方法論的解決というものに反抗していたからである。すべての芸術におけるラスキンの理想は、本質的に技芸的理想であって、それは技術主義的なものを美的なもの、人間的なものと調和させることであった。

サイファーからすれば1世紀前、いまの僕らからはさらに半世紀プラスした150年以上前のラスキンの姿勢としての「技術主義的なものを美的なもの、人間的なものと調和させる」やり方をとっていくことこそ肝要なのだろう。

19世紀末のフランス人画家ギュスターヴ・モローの美術館に行った際の写真を何枚か差し込みながら思うのは、そんなことである。

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