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1-1.世界がヨコにもタテにも広がって

過去に向き合うのはむずかしい。

人間にとってむずかしいことは2種類あって、ひとつは知らないことに向き合うことで、もうひとつは知っていることに真に向き合うことだ。結論からいうと、そのむずかしさに対処するひとつの方法としてデザインはある。そして、同時にそのむずかしさを一層ややこしくしているのもあるデザインである。結論というにはややこしすぎる? まあ、そうだろう。だから、安易に結論を急ぐべきではない。蛇のようにまがりくねった道を遠回りしながら進むことで、なぜそうなのかが徐々に見えてくればいいと思っている。蛇状曲線(セルペンティナータ)。マニエリスム期の絵画に特徴的な画面をうねりくるう動きである。マニエリスム絵画では道や建物も細長くうねれば、赤子を抱く聖母の首や手足も長く伸びてうねる。赤子であるキリストでさえ例外ではない。うねる。デザインという意識が言葉として歴史に登場してきた、そのうねる曲線は、18世紀の頃のイギリスの風景式庭園にも登場してくる。右へ左へとうねりくねる道を進めば、自然といろんな角度から景色を眺められるという仕掛け。1960年代のパリでアンテルナシオナル・シチュアシオニストたちが既存の方向感覚を覆すことを目指して行った「漂流(デリーヴ)」でも、そのうねりは再現される。本稿もこれまた一直線には進まない。あっちへこっちへとうねりくねりながら、既存の見え方とは違う景色を様々な角度から見えるようにしたい。そのことで知っていること/知らないことに関する先の2つのむずかしさがなぜむずかしくなるのかを示したい。結論ではなく、道程での体験として。

とはいえ、いったん話を戻してみれば、過去に向き合うのはなかなか大変だということを言いたいのだった。本稿のテーマが、人間の歴史においていかに視覚に関するテクニックあるいはテクノロジーが思考のあり方の変遷に関わってきたかであることはすでにプロローグで示したとおりである。過去における人間の思考は往々にして、現代の私たちの思考とは同じものではない。そのことを本書では示したい。けれど、これが厄介なのだ。過去の人間の思考を私たち現代人は知らない。知らないことに向き合うのだからむずかしい。一方、私たち自身の現代の思考に本当の意味で向き合うのもこれまたむずかしい。普段、特別意識しないでやっていることであるだけに、自分たちがどのような方法で思い、考えているのかを明らかにするのは、そう容易いものではない。

意外と理解されていないが、基本的に人間は自分の知っていることしか理解できない。だから、知らないことはなんだか本当によくわからないと感じるし、そういう知らないことでも、いったん自分の知っていることに置き換えて説明してもらうとわかった気になる。でも、それはわかった気になるだけで、本当にわかったわけではない。この傾向があるから知らないことに近づくことはむずかしい。知らないことを知ろうとすれば自分の知っていることに囚われてしまう可能性があるからだ。わかった気になって、本当の知らないことには近づけない。本書で知らない過去に近づこうとする時、現在の常識から過去を捻じ曲げて理解してしまう危険性もある。だから、リセットの準備をしてほしい。

16世紀に突如表面化しはじめた、外の世界をそのまま受け入れるのではなく、その逆に、自らが思い描くイメージに合わせ外の世界を変えていこうとするマニエリスム的なスタンス。これも現在を生きる私たちが思うほど、当たり前の思考、普遍的な思考ではなかった歴史的なある地点から可能になったものであったことをまずはしっかり見つめ直すといい。そのスタンスが小氷期による農作物の不作やペストの流行、三十年戦争などが組み合わさり、16世紀から続いて危機的な状況にあった17世紀のヨーロッパに生じたのは偶然ではないだろう。自分たちを襲った数々の危機的状況を前に、人は自らの住む世界の改善を神の力に頼るのではなく、自分たち自身の力でデザインする術を見つけたのだ。

さて、それから約400年後の現在、人間は神が作った世界ではなく、人間が作った世界のなかで生きている。人間がより良く生きるために作られた人間中心の世界。それはマニエリスム期の芸術家たちが理想と考えたギリシア神話に登場する偉大な発明家・工人ダイダロスが自ら作り、自らがそこに閉じ込められた迷宮のようだ。ダイダロスはクレタ島の王ミノスの命令により牛頭人身の怪物ミノタウロスを閉じ込めるために迷宮をつくった。そして、英雄テセウスが王女アリアドネの力を借りてミノタウロスを退治し迷宮から脱出する事件が起こると、ミノス王の怒りを買い、自らがつくった迷宮に息子イカロスとともに幽閉される。ダイダロスは蝋で人工の翼をつくりイカロスとともに逃亡するが、イカロスは父の教えを守らず太陽に近づきすぎたために蝋の翼が溶けて墜落死する。イカロスの死はダイダロスをもはや抜け出せない迷宮に封じ込めてしまった。

人は、そんなダイダロス同様、自分たちが作った人工の世界に閉じ込められているのかもしれない。と同時に、人間はデザイン的思考の外にも出られずにいる。迷宮の中を彷徨うダイダロスのように、自分たちが住む世界をさらに良くする方法を考え、実際、良くすることはできても、その世界の外、その良くし続ける活動の外には出られずにいる。そんなダイダロス的活動がマニエリスム期以降続いていると考えるとどうだろう。私たちは自分たちを人間中心の世界に閉じ込めているデザインという思考をこれまでとは違った角度から見直す必要があるのではないかと思う。

ただ、現在のデザイン的思考が置かれた環境は、マニエリスム期に表面化して間もない時期のそれとはすこし違っているのも事実だ。人はいま、自分たちに降りかかる様々な問題の多くに対して、科学的視点で原因を理解し、エンジニアリング的な力を用いながら解決策を模索することで、原因から解決への道筋をデザインしている。科学やエンジニアリングの力が、デザイン的思考が導き出せる解の範囲を大きく拡張した。デザインだけが今の世界をつくっているわけではないのは当然のことだ。科学やエンジニアリングの力が大きいのはいうまでもない。

けれど、その科学が自然哲学や博物学の中から分化してくるのは実は19世紀になってからにすぎない。1859年にはダーウィンが『種の起源』で進化論を発表した頃からだ。それまでは生物学も物理学も天文学もすべてごっちゃに博物学あるいは自然史とされた。19世紀の半ばに科学という領域が新たにデザインされるまでは。この科学やエンジニアリングという思考ツールが新たにデザインされたことも思考の歴史を捉える上では大事なことだ。その点も歴史をすこし遡ってみる必要がある。

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