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牛、蜂、そして、百合の花

古今東西問わず、さまざまな神話をみると古代の人々のなかに「変身」という概念がごく当たり前のようにあったのだろうということに気づく。
西洋であろうと、東洋であろうと、はたまた現代においてもアメリカ大陸先住民の神話の世界であろうと、いまでは信じがたいくらい異質なもの同士のあいだの形態変化がごくごく普通に語られる。そこでは明らかに僕らが信じているのとは、まるで異なる世界の存在および生成の原理が信じられているのだ。

「この全世界に、恒常なものはないのだ。万物は流転し、万象は、移り変わるようにできている」と語られるのは、オウィディウスによるローマの叙事詩『変身物語』のなかだ。「『時』さえも、たえず動きながら過ぎてゆく」とされ、「それは、河の流れ同じだ」とオウィディウスは歌う。

河も、あわただしい時間も、とどまることはできぬ。波は、波に追いたてられる。同じ波が、押しられながら進みつつ、先行する波を押しやるように、時間も、追われながら、同時に追ってゆく。こうして、それは、つねに新しい。以前にあったものは捨て去れれ、いまだになかったものがあらわれるからだ。そして、この運動の全体があらためてくり返される。

古代人の世界観において、河も、時も、流転する。
この叙事詩のなかで、河や湖に変身する人間やニンフはたくさん登場する。

だから、同じ神が人間の姿で描かれたり、動物の姿で描かれたりしても、なんら不思議なことではないのだ。人や動物、自然が変化するなら、それらを生みだした神が自在に姿を変えるのは、古代の人々にとっては当たり前のことだっただろう。

エジプトにおける主神格であり、かつ、前回紹介したイシスとともにその代表的な神として知られるオシリスもまた、人間のような姿と同時に、牛の頭をもった姿でも描かれた。

バルトルシャイティスの『イシス探求』によれば、古代エジプト人は「オシリスから農耕の技を授かったため」に「雄牛をそのシンボルとした」という。

オシリスの図像は、頭に一種の僧冠を戴き、その下から2本の角がのぞいている。

しかし、エジプト神話で牛の姿で描かれるのは、オシリスだけではない。
「アルゴスの王。ユーピテルとニオベーの間に生まれた子」であるとされるアピスもまた牛の姿で描かれる。そして「この君主は、王位を弟アイギアレウスに譲った後、エジプトに行き、オシリスの名で知られるようになり、イシスと結婚した」とあるように、そもそもオシリスと同一視さえされる。

ただし、次のようにも伝わる話も考えると、すこしややこしくなる。

ともあれ、彼は雄牛の姿のもとに崇拝された。ユーピテルから征服された時、雄牛に変身して他の神々と共に逃れたとされたからである。

ユーピテルから逃げる牛といえば、イーオーが有名で、イーオーはイシスと同一視されることもあるからだ。さらにアピスはアルゴスの王とされるが、イーオーが逃げ出さないよう見張りを任されていたのが他ならぬアルゴスだとされる。
ようするに、エジプトの3つの神、オシリス、イシス、アピスのいずれもが牛の姿で描かれるのだ。

この人面と牛頭の面が前後に一体化した2面の増加こそが、変身を当たり前のものと考えた古代エジプト人の世界観を表しているのだ。

牛と蜂

さて、この牛をかたどった宝物が17世紀のベルギーのトゥールネーという地方で発見されたことを、バルトルシャイティスは伝えている。

1653年5月27日、トゥールネーで、サン・ブリースの代官所跡を掘り返していた聾啞者アドリアン・カンカンの鍬が、思いも寄らぬ宝物を掘り当てた次第は、人の知ることである。一振りの剣、いくつかの占め金と襟止めと金銀の指輪、300個を越える蜜蜂、黄金の雄牛の頭部と水晶球が、2個の頭蓋骨を含む人骨の周囲から拾い上げられた。

この牛は、アピスの神像だとされ、これが発見されたのは「481年にトゥールネーで没したシルデリックの墓」だとされた。シルデリックはローマに占領されたゲルマン系のフランク族の王であり、当時のゲルマン人たちはエジプトの神を崇拝していたとされる。
だからこそ、墓にアピスの像があったというわけだが、では、いっしょに埋葬されていた蜂のほうは何だろう?

これがまた変身に関わるのだ。

墓所から出た300個を越える黄金の蜜蜂も、やはりシルデリックの馬の馬具に飾られたものに相違ない。これもまた同一の神話に属している。蜜蜂はアピスつまり牛から生まれるとは、数多い著述家が書いているところである。

蜂が牛から生まれる。
その話はオウィディウスのなかにもある。

オウィディウスは『転身物語』(364-367行)で、肉体が分解して蜜蜂に変わるさまをつぎのように述べる。さて、穴をひとつ選び、雄牛をそこに葬って土をかぶせる。実験の結果によれば、腐敗したその肉のここかしこから蜜蜂が生じ、花蜜を吸いに飛び立つ。

牛がその死後、蜜蜂に転身するというのだ。であれば、その両者が王の墓のなかで両方仲良く存在しているのも、理解することはできる。

ヴァロによれば、蜜蜂は、一部は蜜蜂から生まれ、一部は腐敗した牛の体から生まれる。キルヒャーの語るところでは、蜜蜂と牛は大の仲良しである。したがって、この宝石に似た昆虫が王の乗馬の周りに群がるさまは、いわば神の息吹に包まれているようなものである。

この蜂が牛を通じて、アピスにつながるのであれば、イシスにつながってもいいだろう。
それが「パリとローマのエジプトかぶれ」で、イシスと同一視されることの多い、デメーテルやアルテミスのような大地母神の像に馬や鹿などの彫刻といっしょに浮き彫りにされる理由だといえる。

さらに、この蜂。
イシスの船が描かれたパリの紋章にも描かれている。船の上に3匹の金の蜂がいる。

しかし、バルトルシャイティスが「変身のサイクルは、雄牛から蜜蜂までに止まらない」というように、変身にはまだ続きがある。

百合の花

パリの紋章に蜂が描かれたように、フランス紋章にも描かれる。下の図版で「1」と書かれた紋章の例で見られるように。

しか、この蜂が2つ右側の紋章では、百合の花に変わっているのだ。

この紋章を見ると、同じ蜜蜂が今度は百合の花に変わっていることがわかる。蜜蜂の三角形と、様式化された百合の花の三角形は完全に同じであり、この変身は、古代の装飾品からカペー王朝の紋章の模様へと、一貫して続いてきたものに相違ない。

ここにも「変身」だ。
牛が蜂に、そして、蜂は百合の花になる。そして、それはアピスであり、オシリスであり、イシスでもある。イシスであるからには、デメーテルやアルテミスのような大地母神でもある。

それがパリやフランスの紋章にあらわれているわけだ。

「フランク人の百合」は、民衆から天界の花とみなされていた。同様に蜜蜂も、古代人にとっては神的な性格をもつ、つまり天界に属する生物と考えられていたのである。

天界を通じて共鳴している、牛、蜂、百合の花。このつながりを保つ場に「神の力」を見てとった古代エジプト人たち。この仮説力の豊かな思考力は現代人にもまったく引けをとらないと思う。


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