司馬遼太郎「アメリカ素描」読書感想文
素描とかいて “ そびょう ” と読む。
本文中では “ スケッチ ” と使われている。
そのまんま。
司馬遼太郎が、アメリカをスケッチしていく。
文章で。
40日ほどアメリカ旅行をして、目にしたこと、耳にしたことから、いわく “ 人工国家アメリカ ” を考察して描いていく。
自分の中で “ 司馬遼太郎ランキング ” をつくるとすれば、今のところ3番目なるかな、というおもしろさ。
1位は同列で「項羽と劉邦」と「坂の上の雲」か。
3位が、この「アメリカ素描」か。
旅と本の組み合わせ
旅をしながら、本も紹介していくのもおもしろい。
本の中で紹介されている本って読みたくなる。
ジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」。
アレックス・ヘイリの「ルーツ」。
「ガリバー旅行記」の著者のジョナサン・スウィフトは、偉大なアイルランド文学の作家として称賛する。
ジャック・ロンドンの「馬に乗った水夫」は、じつにおもしろい本と紹介している。
R・H・デーナの「帆船航海記」は、1815年生まれの著者がハーバード大学の学生のときに、2年間水夫として働いたときの記録。
知識と実感を与えてくれたと評している。
文倉平次郎の「幕末軍艦咸臨丸」は名著だと熱い。
昭和13年に発刊された本。
咸臨丸の乗組員の “ 峯吉 ” の墓をサンフランシスコで発見した経緯が書かれているという。
すべて読んでやろうと、読書録に書いた。
読感と内容
第1部はサンフランシスコを中心にした西海岸一帯
サンフランシスコに到着した司馬遼太郎は、観光らしきことはせずに、日本人移民の痕跡を追う。
日本人墓地を訪れる。
20世紀はじめの、アメリカでの排日運動を想う。
「死者たちはよく耐えた」と、当時の日本人移民排斥の激しさを書く。
とはいっても、批判的な文章は一切ない。
理解の目で見ている。
韓国移民の街も訪れる。
WASP(アングロサクソンプロテスタント)についても考える。
サンフランシスコのゲイストリートにも行く。
ホモなのか、ゲイなのか、どっちの呼称がいいのか迷ってもいる。
スケッチのようにして、あちこち動き回って描いていく。
あの風体でウロウロしているのが目に浮かんで、ひとつひとうが楽しい読書となっている。
余談に飛びまくる
いつもの司馬遼太郎のように、余談が多く入る。
話があちこちに飛ぶ。
サンフランシスコを歩きながら、考察は明治の士族に飛ぶ。
そこから中国の文化にも飛ぶ。
やがて収拾がつかなくなったようにして「とにかくも車で走った」とグイッと本編に戻す。
ベトナム移民の街にいくと「唐突だが、中国料理にもハルマキがある」とさっそく話が飛んでいる。
さらにそこから「ギリシャ人がソクラテスのことを・・・」と、アメリカを飛び出して大きく繋がっていく。
またさらにそこから「ついでながら、少し御託を述べたい」と軽快に他の話題に飛んでいき、我にかえったようにして「話が飛んだ」とスコーンと本題に戻す。
思索に耽るばかりで、今いるアメリカなど目に入ってないのではないかと、少し心配している自分もいる。
文化と文明のちがい
この本の特徴は、アメリカ合衆国やアメリカ人という見方ではなくて “ アメリカ文明 ” として見て描いている。
アメリカ文明だという。
現在の地球上で文明といえるものは、アメリカ文明しかないという。
・・・はて?
アメリカ文明?
どこが文明なのか?
その前に、文明と文化の違いが解説される。
両者のちがいを、司馬遼太郎は明確に定義する。
・・・ そういえば、今まで。
文明と文化の違いなど考えてもなかった。
文明は大昔で、文化は近代。
そんなふうに、ぼんやりと理解していただけだった。
ともかく、司馬遼太郎の言をまとめると以下である。
集団が “ 文化 ” を持つ。
文化には不合理さがある。
特殊さもある。
が、集団に秩序を与えて安堵が生まれる。
ところが長い歴史では、なにかしらの要因で、集団と集団が密集する。
隣接して擦れ合わさると “ 文明 ” がおこる。
そのため、文明とは便利さがある。
親切さも含まれる。
誰でも参加できる普遍性もある、という。
文明は合理的で便利、文化は不合理で不便
司馬遼太郎は、違いを具体的に示す。
以下である。
膝をついて、襖(ふすま)を開けるのは文化。
音を立てずにスッと開ける。
対して、文明は合理的である。
襖などは、立ったままガラッと開ける。
これこそが文明である。
それなので、アメリカ文明はあっても、日本文明はない。
歴史が長く島国の日本には、文化がありすぎる。
不合理な文化ばかりだ。
その代わり、弁護士の世話にならずに、平和に生涯を終える日本人はたくさんいる。
これは文化があるから、と説く。
現在は「アメリカ文明」しか存在しない
司馬遼太郎は、アメリカ文明を “ 濾過装置 ” ともいう。
たとえばジャズ。
もともとは、1部の黒人音楽だったのが、アメリカ文明という濾過装置を経て地球上に普及した。
サーフィンは、ハワイの原住民の文化だったが、アメリカ文明を経て地球上に普及した。
同様に、インディアンのバンダナも実用性を持った文化だったが、アメリカ文明に触れるとファッションとなって世界に広まる。
ジーンズはゴールドラッシュの労働者の作業着だったのが、アメリカ文明を経て、世界中に広まる。
・・・ 今まで漠然と「文化」という語句を使っていたけど、意味合いがすっきりと理解できた。
第2部は東海岸を探索する
第2部では、フィラデルフィア、マサチューセッツ、ボストンを探索する。
ポーツマスでは「坂の上の雲」にも登場していた明治の外務大臣の小村寿太郎を追う。
身長が143センチだった小村寿太郎は、ポーツマス会議でどのような交渉をしたのかと想いを巡らす。
次はニューヨークだ。
マンハッタンでは、ハーレムの黒人が、本当のアメリカ人なのではとも述べる。
ブロードウェイも歩く。
やはり観光らしいことはしなくて、近辺の歴史を辿っていく。
ウォール街では「この文明は沸騰している」と驚いている。
同時に不安を抱く。
投機を「バクチ」と言い切って「危険ではないか」と不安を重ねる。
アメリカの原形
アメリカの歴史についても解説されている。
それがまた、わかりやすい。
以下である。
1534年、英国国教会設立。
清教徒(ピューリタン)が登場する。
1629年、102人が乗るメイフラワー号がアメリカに到着。
上陸に先立ち “ メイフラワー誓約書 ” が船上で行われた。
「正義公平な法」に対して服従を誓った。
メイフラワー神話がここで成立。
小さなアメリカが、ここで出来上がったといってもいい。
“ メイフラワー誓約書 ” は、のちの思想家のルソーの「社会契約論」を思わせる。
しかし、メイフラワー号の人々は、100年先に行っている。
ルソーは書斎で思索して、紙の上に書いた。
が、メイフラワー号の人々は、切羽詰った現実のなかで、この思想を成立させて定着させた。
近代の幕開けとして感動的である、と司馬遼太郎はアメリカの地でも熱い。
読み返せば、その度に発見があると思われる本だった。