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又吉直樹「夜を乗り越える」読書感想文

又吉直樹が「なぜ本を読むのか?」を語る本。

本には捨てるところがない。
読むことで感覚を確認できる。
本の中に答えはない、自分の中にある。
再読のほうがおもしろかったりする、などと読書の魅力を語り尽くす。

パクろうかな・・・。
自分の言葉にしたい・・・。

とにかくも、文章を書く作家が、読書について書く本というのは、読んでいてうれしい。

すぐに取り込むことができる箇所も多いし、正直に気持ちが書かれているような気がして、大好きなジャンルの本となる。

まず、又吉直樹は、読書遍歴を披露していく。
影響を受けた作家を挙げていく。

挙げられている順番でいえば、芥川龍之介太宰治夏目漱石谷崎潤一郎三島由紀夫織田作之助上林暁遠藤周作となる。

現代の作家では、古井由吉町田康西加奈子中村文則となる。

それらの作家の、影響を受けた本も紹介していく。
数えてみると、ざっと60冊ほど紹介されている。

本の紹介に合わせて、自身の生い立ちから現在にかけて、本との関係も振り返っていく。

もちろん、お笑い芸人としての遍歴も合わさるが、おもしろ
おかしくではなくて、いたって真摯だ。

読むことに合わせて、書くことにも触れていく。

以前に出版した「火花」や「劇場」のエピソードもあるが、これも自賛も内輪ノリも全くなく、目線は読者に向けて親切に書かれている。

よく知らない又吉直樹だったけど、好感が持てた。


「おもしろい」とは?

おもしろさとはなにか?

そんな疑問を感じさせられた。

とりたてて、お笑い芸人がすごいとは思ってないけど、この読書では思わされた。

一部の一部になるけど、おもしろさについては以下である。

本のおもしろさの半分は共感。
残りの半分は新しい感覚の発見。

わかっていることを、わかっている言葉で書かれていても、あまり共感もしないし、発見もない。

複雑で、どうしようもなかった感情や感覚を、形の合う箱にいったんしまうことができるのです、などと語っている。

おもしろいとは何なのか、少しだけわかった気がして、読んでいて気分が広がっていく。

一方では、自分の読書感想文が、いかにもつたないものに感じてしまう。

だって「おもしろい」とか「よかった」を連発してばかり。

さんざんと「おもしろくなかった」とも書いているけど、そんな自分がいちばんにおもしろくない。

が、個人の感想だからと、今となっては開き直るしかない。

新書|2016年発刊|272ページ|小学館

お客さんの感覚

“ お客さん ” の感覚が書かれているのが、他の作家と大きく異なるのを感じた。

お客さんが足を運ぶ。
お客さんが料金を払う。
おもしろくなければ、お客さんはすぐ離れる。

そのような芸人を仕事としてきただけあって「お客さんにウケるには?」ということが肌感覚で書かれている。

そのせいだろうか。
紹介する本の解説も、文学を究めた人にありがちな知識や解釈の羅列になってない。

“ お客さん ” となる読者を置いてけぼりにすることなく、興味を持たせながら語っていく。

相手の反応を見るようにして、例え話を交ぜたり、自身の話しをしてみたり、セリフを交ぜたり、問いかけてみたり。

ときには断言したみたり、下手に出たりして伝えてくる。

「売れる」とは?

又吉直樹いわく。

言葉を信用しすぎることを警戒している。
一言では駄目。
でも、省略した上の一言でなければ駄目な瞬間もある。

本の中には、無駄な文章はひとつもない。
漫才の中に、無駄な言葉があってはいけないのと同じ。

無駄なおもしろさはあるけど、それは必要な無駄。
仕掛けのための無駄。

・・・ そのように語る又吉直樹は “ スベる ” ことを最大の恐怖にしている。

“ お客さん ” である読者との距離が近い。
目の前くらいまでに近く迫っている。

だからか、文章を書くことに対して、切迫感を持っているのが伝わってくる。

過去に「火花よりも、こっちの本のほうがいいです」と別の本を薦めていた文芸評論家を「楽な仕事をしている」とこき下ろしてもいるのも痛快だ。

新規で “ お客さん ” を開拓する気概がない。
だったら、酒を飲みながら出版不況を嘆くのはやめてくれ。
文芸の世界では、かなりぬるいことをやっている。

創作物が “ 売れる ” ことに対しては、厳しい基準を持つ又吉直樹だった。

こういう真剣さって好き。

お笑い芸人としての又吉直樹には興味がなくて、漫才を見たことがないのだけど、この本で漫才のほうを逆に見たくなった。

太宰治のおすすめ

この本は、6章が配されている。
半分をすぎると、本の紹介になる。

そのうちの1章は『僕と太宰治』となっている。

太宰治が大好きらしい。
中学のころに『人間失格』を読んでからだという。
暗記しているのではないか、とも思わせる。

しかし、又吉直樹によると「太宰治の人間失格が好き」と公言するには勇気が必要だという。
文学を修めた人からは、なめられやすいという。

「それほど本が好きでないだろ?」と言われることがあっても「文学に詳しい」と評価されることはありませんとこと。

また “ 熱狂的太宰ファン ” というのがいて「軽々しく太宰治を語るな!」と指弾されるという。

知らなかった。

が、そんな文学を修めた人よりも、熱狂的なファンよりも、又吉直樹が語る太宰治のほうがおもしろいし、興味を湧かせるのは確かだ。

で、紹介している作品と所感は、おおよそ以下となる。

『斜陽』が才能が発揮されている。
『桜桃』は理解されにくいが、カフェで読んで泣いた。

それと、奥さんが書いた『回想の太宰治』は美しい文章、と解説する。

太宰治は、短編もいいらしい。

『駆け込み訴え』は、一文一文のリズムがいい。
『彼は昔の彼ならず』は、書きぶりがおかしい。
『人喰い川』が一番アホな話。
『お伽草紙』は泣けてくる。

このほかにも、10ほどの短編が紹介される。

近代文学のおすすめ

「なぜ本を読むのか?」がテーマの本だけど、又吉直樹は簡単に読書をお薦めはしてない。

「読書をすると知識が増えます」とか「読書をすると感性が磨かれます」などと一言で済ませてない。

こういうように言われるが、こうでこう、と自身の体験から「なぜ本を読むのか?」を掘り下げていく。

同様に、本のお薦めも非常に丁寧。

簡単には、お薦めしてはないけど、あえて簡単にいえば以下のようにやんわりとお薦めしている。

はじめて読んだ芥川龍之介は『トロッコ』で中学のとき。

『或阿呆の一生』(あるあほうのいっしょう)は、かなり影響を受けている。

『戯作三昧』は、いちばんに繰り返し読んでいる。
これは『南総里見八犬伝』の滝沢馬琴を描いたもの。

『羅生門』は、答えが作者によって用意されているから理解も解釈もしやすい。

『蜜柑』も同様。
目線が残酷なのがちょっと怖い。

夏目漱石の『こころ』は言葉が格好良かった。

『坊ちゃん』も『我輩は猫である』もめちゃくちゃおもしろいけど『夢十夜』が一番すごいと思っている。

『それから』のラストが格好良くて好き。
でも『門』や『草枕』のようなシリアスなほうが好き。

谷崎潤一郎の『痴人の愛』を読んだときには、気持ちがわるくて衝撃をうけた。

『春琴抄』も好き。
ドキュメンタリーのように始まる構造もおもしろい。

『瘋癲老人日記』(ふうてんろうじんにっき)が、変態性がいちばんに出ている。

三島由紀夫は『午後の曳航』が好き。
『金閣寺』は言葉のひとつひとつが装飾されていて美しい。

織田作之助は、普通の人間の、そのまま生身を書いている。
『夫婦善哉』(めおとぜんざい)は、大阪のイメージそのもの。

上林暁(かんばやしあきら)は、当時からも売れていた小説家ではなかったけど、そんなことは重要ではない。

『星を撒いた街』や『花の精』は、真理と風景が一体となっていて、こんな小説があるんだと知った。

現代文学のおすすめ

又吉直樹いわく。

「前向きに生きるためには、自分に自信をもとう!」と、大ヒットしている前向き思考の本には平気で書いてある。

いやいや、簡単に言いますが「自分に自信を持とう」という言葉は、僕にとっては「翼は無いけど飛んでみよう」と同じくらい難易度の高い言葉です、と湿った又吉直樹だった。

共感できる部分ではある。
が、たしか「共感できるなんて一言でいってほしくない」とも、前の章に書いてもあった。

そんな憂鬱を持つ又吉直樹が、ラスト30ページでは現代文学を紹介する。

ほとんどが読んだことがない本なので、なにも感想もなく、簡単な抜粋となってしまった。

以下となる。

遠藤周作の『沈黙』は、小学校のときからあるのは知っていた。
母親がキリスト教徒だったから。

高校生のときに読んで、一気に心を持っていかれた。
そこで書かれていた迷いは『深い河』で答えのようなものが書かれている。

古井由吉の本との出合いは、上京してからの古本屋。

『杳子・妻隠』(ようこ・つまごみ)で、初めて読んだときは、脳が揺れるような、めまいを感じる思いだった。

『山躁賦』(さんそうふ)は衝撃だった。

町田康は、近代文学からの系譜のど真ん中にいる。

『きれぎれ』などは、普通のことを書いているのに普通ではなくて驚く。

『告白』は、実際におきた大量殺人事件を題材にして書かれているのだけど、こんなにも笑った小説はない。
奇跡的な小説。

西加奈子は、感覚がスバ抜けている。

『サラバ!』を読んで『火花』を書こうと思った。
『炎上する君』は、舞台でもウケる文章となっている

中村文則は、特別な作家。

はじめて読んだ『銃』は、大学生が銃を拾う話。
殺人は、おかしい人間だけがすることなのか。
読んだときに、自身のなかに確かに変化がおきた。

『何もかも憂鬱な夜に』は、死刑制度をめぐって、あらゆる角度から命を考えさせられる。

この『何もかも憂鬱な夜に』は、誰かにとっての “ 夜を乗り越える ” ために1冊になり得るかも。

この小説を読んだときに、あと2年は生きられると思った。
別に死のうなんて思っていなかったのにそう思った。

みんな、そんな夜はないでしょうか。
その夜をどうやって乗り切るかです。

太宰治だって、その夜だけを乗り越えれば、生きていたのかもしれませんと、この『何もかも憂鬱な夜に』は強く薦めている。

・・・ 残念でもある。
自分が自分で。

なにか深く考えたり、心配だったりして、夜が寝れないという体験が一度もないのだった。

この檻の中でだって、もっといえば明日から刑の執行だという前の晩だって、しっかりと寝れていた。

“ 夜を乗り越える ” という感覚がピンとこない。
みんなあるのでは、と繊細な又吉直樹はいうけど。

いや、1度だけあった。
20代のときだ。
彼女にフラれて、夜は寝れなかった。

で、ウトウトしてから金縛りに会う。
目がさめると朝だった。

それを思い出すと、なんだか、いたたまれないような残念さに陥って、ここだけは、どんよりとした気持ちの読書となってしまった。

あとがきで

「なぜ本を読むのか?」というテーマについて、真剣に考えたのは初めてでした、と又吉直樹はあとがきで記す。

小説に期待しすぎるのは嫌だ。
ただ、そこにあるだけ。
いつでも、ただ読みたい。
楽しく読みたい。

このテーマについて、こんなにも長くお話するのは最初で最後かもしれません、とも記してある。

そんなこといわずに、また同じテーマで発刊してほしい。

正直いえば、あの「火花」を読む前までは「どうせ、お笑い芸人が書いた本だから・・・」と思っていたのだけど。

新聞の書評で取り上げられる本だと、読むのを慎重にさせるが、ここで挙げられた本は、すべて読みたいと思わせた。

宣伝臭がしないからかも。
ヨイショ感もなかった。

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