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遠藤周作「沈黙」読書感想文【後半】

この「沈黙」の著者あとがきでは、主人公のロドリコにはモデルがいると明かされている。

ジュゼッペ・キャラという。

検索して確めてみると、現在ではジュゼッペ・キアラとなっている。

棄教してからのジュゼッペ・キアラは、幕府所管の切支丹屋敷で暮らす。

検索してみると、現在の丸の内線茗荷谷駅から500メートルほどのところ、後楽園からだと1キロほどのところに、それを記す石碑だけがある。

切支丹屋敷はけっこうな広さがあって、寝食は保証されてはいるが、そこからは出ることは許されなかったというから軟禁というか幽閉の状態。

そこで43年間暮らす。

死去したのは、1685年で84歳。
小石川無量寺に葬られている。


登場人物

ロドリコ

捕縛されて役人に棄教を迫られる。
フェレイラ師の説得も受ける。

拒み続けていた棄教だったが、信者の農民の命を救うために踏み絵をする。

以降は、江戸の切支丹屋敷に住み没する。

ガルペ

ロドリコの仲間の司祭。
役人に捕縛されてからは最後まで棄教を拒み、信者と共に海で溺死する。

フェレイラ師

ロドリコの師。
日本におけるカトリックの大司祭だったが棄教する。

棄教を拒み続けるロドリコを説得する。

イノウエ

井上筑後の守。
キリスト教弾圧の指揮をとる。

狡猾な方法で次々と司祭に棄教させて、隠れキリシタンの間では悪魔のイノウエ・・・と呼ばれている。

奉行所でロドリコの取り調べをする。

ロドリコが話すあらすじ

棄教か、人の命か

イノウエが来てから10日ほど経ったその日、牢舎から出されて海辺に連行された。

そこで、遠くにガルペの姿を見た。
向こうは、こちらに気がついてない。

ガルペと同行している3人の農民がいる。
縄で数珠繋ぎに縛れているから信者らしい。

その3人の体に筵(むしろ)が巻かれた。
首だけ筵から出して、蓑虫のような姿となっている。
そのままの姿で、3人は小舟に乗せられている。

・・・まさか。
そのまま海に突き落とされるのか!

予想したとおりだった。

もし、ガルペが「転ぶ」と一言だけでもいえば、3人の信者の命は助けるようにと奉行が命じている、と通訳も告げる。

「日本の島々には、キリストを奉じる百姓があまたいる。それらを立ち戻らすためにも、まずはパードレたちが転ばねばならない」

体のなかを突風のように通り抜けたのは、怒りだった。

もし、私が聖職者でなければ、今すぐに通訳の首を力の限り締めつけていただろう。

ガルペの死

ガルペは棄教しないらしい。
3人の信者は、小舟に乗せられると浜を離れはじめた。

・・・転んでもいい!
いや、転んではならぬ!
いや、転んでもいい!

もし、私がガルペと同じ立場だったら?
どうするのだろう?
わからなかった。

小舟が浜から離れたときだった。
ガルペは両手を上げて走り、波打ち際から海に飛び込んだ。

悲鳴とも、怒声ともつかぬ声を上げて、泳ぎはじめた。

「我等の祈りを!聞きたまえぇ!我等の祈りを!聞きたまえぇぇ!」

水しぶきをたてて泳いで、小舟に近づいていく。
波にもまれてからは、叫び声は途切れ途切れになった。

3人の信者は小舟から落とされて、波に呑まれていった。

ガルペの頭だけがしばらく漂っていた。
波が間もなく、それも覆ってしまった。

通訳が振り返って言い放った。

「お前は、彼らのために死のうとこの国にきたという。だが実際は、お前たちのために、あの者たちが死んでいくわ!」

通訳の眼には怒りがこもっていた。
はじめて見た彼の眼だった。

フェレイラ師との対面

夏が過ぎて秋になると、寺に連れていかれた。

そこで、フェレイラ師と対面した。
着物をきて、まげを結ったフェレイラ師だった。

姿をみせたときには、眼には卑屈な笑みが走った。
同時に、羞恥の光も。

『私はあなたを責めるために来たのではない、裁きにいるのでもない、優者でもない』と内心で言い、微笑をつくろうとしたが、涙が目から溢れるのは止められなかった。

涙は頬をゆっくり流れていく。
師は黙ったままだったが、挑むような薄笑いを浮かべた。

通訳がいう。

「今は沢野忠庵と名を改め、天文学の本の翻訳をしておられる。また、キリスト教の誤りと不正を暴露する書物にもとりかかっておられる」

「むごい・・・、どんな拷問より、これほどむごい仕打ちはないようにおもいます・・・」との私のつぶやきに、師は目に涙を光らせて言った。

「20年間、私は布教をしてきた。この国は沼地だ。考えていたより怖ろしい沼地だった。どんな苗も、その沼地に植えられれば根が腐りはじめる。我々は、この沼地にキリスト教という苗を植えてしまった」

師は、私に転ぶように説得するつもりなのだ。

「日本人はデウスを大日と呼ぶ信仰に変えてしまった。これにはかのザビエル師も気がついていた。それからも日本人は神を変化させて、別の神をつくり上げてしまった」

師の言葉には、胸に圧しかかる重みがあった。

子供のとき、神は存在すると初めて教えられたときのような重力を持っていた。

「彼らが信じているのはキリスト教の神ではない。日本人は今日までに神の概念は持たなかったし、これからも持てないだろう。日本人は人間を美化したものを神と呼ぶ。人間と同じ存在のものを神と呼ぶ。それは教会の神ではない」

たとえ師の説得だとしても、私は棄教はできない。
反論した。

言い合いになった。
師は、力強く言い返す。

「切支丹が亡びたのはな、お前が考えるように幕府の禁制のせいでも迫害のせいでもない。この国にはな、どうしてもキリスト教を受け付けない何かがあったのだ」

フェレイラ師は、目を熱っぽくさせて続ける。
表情には真実さが感じられた。

が、私は棄教は拒んだ。

死んでも棄教はしない

翌日、牢舎に通訳がきて、お願いの口調で言ってきた。

「沢野が申したとおり、無益な強情は続けぬほうがよい。我々とて本意から転べとは言うておらぬ。だた表向きは、表向きだけは “ 転んだ ” と申してくれぬか。あとはよいようにするがゆえ」

もちろん私は拒んだ。
これで、いよいよ拷問がはじまるのだ。

翌日には、想像した通り朝食が与えられなかった。
昼には、今まで顔を見せたことのない大男が錠をあけた。

両手を後ろに縛りあげられたときは、くいしばった歯から声が洩れてしまうほど縄が食い込んだ。

すべての結末がきたのだ。
しかし不思議と、今まで味わったことがない清冽な新鮮な興奮があった。

そしてロバのように痩せた裸馬の背にまたがり、長崎の街を引き回される。

誰かが、馬糞を投げた。
しかし私は、どのようなことがあっても、微笑みを口元から消すまいと決心していた。

辱めと侮辱に耐える顔こそが、人間の表情の中で最も高貴であることを教えてくれたのはキリストである。

キリストもロバに乗せられて、エルサレムの街に入った。
私も最後まで、今こそ、この表情を持ちたい。

道端には、ボロを身にまとったキチジローがいた。
私を待っていたようだ。

視線が合う。
人々の間に、素早く体をかくしている。

そんなキチジローにうなずいてみせたのは『もういい、もう怒ってなどない』と伝えたかったからだった。

拷問がはじまっていた

引き回しのあとは、真っ暗な牢に入れられた。
目が暗闇に慣れる。

壁には刻まれた文字がいくつもある。
拷問を受けた者が、必死で刻んだ文字だ。

覚悟が揺るがないうちに、はやく拷問がはじまってほしい気持ちにもなった。

イビキが聞こえる。
すいぶんと長い時間、イビキが聞こえてきていた。
それを私は、牢の番人のイビキだと思っていた。

が、やがて姿をみせたフェレイラ師は、あれはイビキなどでないと言う。
気がつかなかったのか、という言い方だった。

それらは、農民の信者たちが、別室で逆さ吊りの拷問を受けている呻き声だったのだ。

私が「転ぶ」と言いさえすれば、信者たちへの拷問は終わるのだった。

師は牢の扉を開けた。
さっきまでは死の覚悟をしていたのに、今度は一気に動揺が起こっていた。

中に入ってきた師は言った。

「私が転んだのはな、拷問を受けたからではない!私は3日間、汚物が詰め込んだ穴に逆さに吊るされたが、一言も神を裏切る言葉は口にしなかったぞ!」

逆さ吊りは、鬱血ですぐに死なないように、耳たぶに針で穴をあけて、血を抜きながら続けられる。

今、呻いている信者は耐えられずに、すでに全員が棄教すると言っているのに、私が「転ぶ」というまで続けられるのだった。

「私が転んだのはな、そのあとで、ここに入れられてから耳にしたあの声に、神がなにひとつしなかったからだ!神が沈黙していたからだ!」

それでも私は棄教はできない。
師は叫ぶ。

「おまえは彼らより、自分の救いのほうが大事なのだろう!おまえは自分の弱さを、そんな美しい言葉で誤魔化してはならぬ!」

なぜ、私を拷問しないのか。
壁に頭を打ちつけて、泣き声で反論するだけだった。

「おまえは教会を裏切るのが怖ろしいんだ!私だって、今のおまえと同じだった!だが、それが愛の行いか!司祭はキリストにならって生きよという。もし、キリストがここにいれば、たしかにキリストは彼らのために転んだだろう」

大声で否定し続けた。
涙が止まらなかった。

私の返事を確めないまま、師は牢の扉を開いた。

「キリストは転んだだろう。愛のために、自分のすべてを犠牲にしても」

言いながら、師は肩に手をかけてきた。
やさしい手だった。

「さあ、今まで誰もしなかった、いちばん辛い愛の好意をするのだ」

私は牢から出た。
朝がきていた。

よろめきながら足を引きずり廊下を歩くと、通訳が踏み絵の支度をしていた。

踏み絵に足をかけるとき、銅版のキリストは言った。

『踏むがいい。わたしは、おまえたちに踏まれるため、この世に生まれ、おまえたちの痛さを分かつために十字架を背負ったのだ』

私は、キリストの顔を踏んだのだった。

棄教してからのロドリコ

最後の3ページほどには、資料のようにして「切支丹屋敷役人日記」が付されている。

江戸時代の候文のため読解が難しい。
拾い読みとなる。

岡田三右衛門が、ロドリコの日本名となるようだ。
「召し連れ候。中間吉次郎」とある。

これはキチジローのことだろう。
中間とは下男みたいなものか。

キチジローは、長崎から江戸の切支丹屋敷に移り住んだロドリコに従いていき、雇われて、身の回りの雑事をしている。

キチジローの年齢は54歳となっている。
ということは、ロドリコが棄教してから約25年もの間、2人の関係は続いていたのだ。

その54歳のキチジローが、騒動をおこした様子だ。

「首に懸け候、守り袋の内より切支丹の尊み申し候、本尊みいませ」からはじまるところから、隠れキリシタンを疑われている。

周囲の者まで隠れキリシタンではないかと、かなりの人数が調べを受けている状況がわかる。

くりかえすけど、候文のため読解が難しい。

何度も読み返してみると、調べを受けたキチジローは、自身が隠れキリシタンというのも否定して、ロドリコの関与はないと言い張って、首飾りは拾ったものだと言い張っているようでもある。

首飾りを落とした者への調べがはじまり、とばっちりのようにして、直接は関係ない有力者にまで隠れキリシタンの疑いの調べは及んでいる。

それを認めた者は処罰されている。
当の吉次郎の名は騒動の途中であっさりと消えていることから、また踏み絵をして姿を消したと思われる。

さらに「切支丹屋敷役人日記」の年月が経つ。
「昨廿五昼七つ半過ぎ、相果て申し候。右、三右衛門六拾四歳に罷りなり候」とある。

死去したロドリコは、小石川無量寺に戒名をもらい火葬となる、と読めた。

読み終えてから3年経っての感想

受刑者として書いた読書録をキーボードし終えてから、ジュゼッペ・キアラの検索を続けてみた。

ジュゼッペ・キアラの墓所は転々としている。

小石川無量寺が移転する際には雑司が谷霊園に。
近代になってからは練馬の神学校に。
現在は調布の神学校に所在している。

転々としてはいるが、司祭帽のような変わった形をしている墓石は340年前のまま。

もちろん、当時は棄教したといっても、現在では神父として祀られている。

獄中で読み終えたときには、長崎の踏み絵を見てみたいと思ったが、今は茗荷谷の切支丹屋敷あとの石碑、調布のジュゼッペ・キアラの墓碑を合わせた三箇所に行ってみたい。

行ってみて何するわけではないけど、ウロウロするだけだけど、とりあえずは行ってみたい・・・と心に残り続ける本だった。


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