伊坂幸太郎「夜の国のクーパー」読書感想文
最初の10ページで「合わない」と感じたら、その本は、読むのをやめるのも読書方法のひとつだという。
佐藤優だったか見城徹だったか立花隆だったか。
いずれかで読んだのだけど、高名な読書人がいうから間違いないだろうと覚えている。
とはいっても、5分間とはいえ選んでいるのだから、最初の10ページで「合わない」と感じる本には、そうもブチ当たらない。
あったとしても、逆にいえば、最初の10ページさえしっかりと読み込めば、そこそこは「合わない」は解消される。
しかしこの伊坂幸太郎の「夜の国のクーパー」は、最初の10行も読まないうちに呻きが出た。
これはマズいのではないか?
挫折するのではないか?
はじめての、最初の1冊の、伊坂幸太郎なのに。
読売新聞の好きな作家調査では、10位となっているのに。
で、10ページに達する頃には焦る。
懸念は解消する兆しがない。
むしろ深刻だ。
しかしながら、伊坂幸太郎の読書は敢行する!
『読書は、映画やゲームとちがい、人と一緒にできない。
イベントにはならない自分だけのもの。』
という言葉を、伊坂幸太郎は贈ってくれている。
回覧新聞でそれを目にして、読書ノートに記入してある。
独居の受刑者に贈られた言葉のようだ。
そんな伊坂幸太郎の本を・・・。
今さら放りだすわけにはいかないではないか!
ネコが話すのはヤバイ
しょっぱなから、ネコが話を進めていく。
これが、ネコでなければ、まだよかったのかも。
だって、ネコが大好きだから。
ネコ派である。
今まで挫折した本は、夏目漱石の「我輩は猫である」の1冊だけという状況からすると、ネコちゃんが話すのがダメらしいということに初めて気がついた。
夏目漱石が嫌いではなかったのかもしれない。
ともかく、ネコちゃんによって状況が語られていく。
トム、クロロ、ギャロ、グレ、ブチ、シマ、ヒメといった可愛らしいネコちゃんたちである。
城壁で囲まれた小さな国
その国は、城壁で囲まれていた。
“ 冠人 ” という王が治めていた。
小さな国だ。
ネコたちも “ 町 ” といっているので、以下、町とする。
実際に町のようだ。
冠人は王であるのに、住民の距離は近い。
住民に慕われて、信頼されてもしている。
が、ある日。
“ 鉄国 ” の部隊が町にきた。
馬に乗り隊列を組んでいる。
銃で武装し、顔には迷彩のペイントを施している。
鉄国は隣の強国だったが、町とは友好関係である。
王である冠人は、部隊に抗議する。
が、部隊を指揮する “ 片目の兵長 ” は、町の中心の広場で、住民の衆目のなかで、冠人を射殺したのだ。
住民は混乱する。
片目の兵長は、住民は家の中で待機するように命じた。
・・・ 読んでいてムズムズさせるのが、ネコちゃんたちは、話しながら何度もアクビをしたり、伸びをしながら呑気に語ることだった。
この緊迫した状況下では、ネコちゃんは役不足ではないかと感じてならないが、これは個人の好みだろう。
猫と会話ができる理由
ときを同じくして、第3の男も登場する。
「私」と話す彼は、名前はとくにない。
年のころは40過ぎ。
市役所に勤めて、地域振興課で仕事をしている。
妻の浮気で落ち込んでいる。
小額の株取引をしている。
でも、名前はとくにない。
彼は、仙台からボートで釣りに出ている。
天候悪化で沖に流されて遭難する。
目覚めたときには、体は地面にツルで縛られていて身動きが取れないという状況。
便宜上、彼は “ 仙台の男 ” と名付ける。
いったい、仙台の男は、どこに漂着したのか?
それより、誰が、仙台の男の体を縛ったのか?
体を縛ったのは、ネコのトムである。
用心のために縛ったのである。
トムは、仙台の男の胸に乗って話す。
町から駆け出した馬の背に乗って、そのまま寝ているうちに、ここに着いたという。
仙台の男は、ネコと話ができることに驚く。
トムのほうも、人間と話ができるのに驚いている。
2体の話しは続き、人間が40歳なら、ネコでいえば6歳だ、などのお互いの生態の擦り合せなどもされる。
・・・ 途中で飽きてしまいそうだった。
しかし、伊坂幸太郎の最初の1冊目だ。
想像するには、おそらくこうだ。
仙台の男は、遭難したことによって、ネコと話せる特殊能力を開花したのだ。
漂着した先は、仙台の沖で遭難ということからすると、北海道、千島列島、もしくはカムチャツカという辺りか。
読みながら、無理やり想像していくのが苦痛ではある。
やっぱり「ファンタジーだから」で済ませるのが手っ取り早いのかもしれない。
珍妙な名前の登場人物の意味
仮に、仙台の男は、空間の歪みたいなスポットに入りこんで、ファンタジーの世界に行ったとする。
そうすれば、珍妙な名前の登場人物の説明もつく。
冠人にしてもそうだし、酸人、複眼隊長、頑爺、幼陽、鵬砲、腱士、医医男、号豪、弦、丸壺、美瑠、菜呂、奈菜、などなど。
自分からすれば、取っつきにくい名前にムズムズする。
ただ、これらのムズムズは、自分の無学からきているのを巻末のあとがきで、伊坂幸太郎に知らされる。
登場人物の命名の最上のお手本は、大江健三郎の作品以外にはない。
とくにこの本は「同時代ゲーム」に由来している、ということだった。
となると、珍妙だなんていえない。
自分には、大江健三郎を読むという課題ができたのだ。
やっぱ、読書ってのは、完全に理解できるよりも、あるいは全く理解できないよりも、なんとなく理解できない部分が残っているほうがおもしろい。
猫と鼠の会話の解釈
トムと仙台の男の会話、ときどき場面は入れ替わって、町のネコ同志の会話が延々と続く。
状況が解かれて明かされていく。
しかし途中で、ネズミが登場する。
しかも、また今度は、ネズミが話しはじめる。
ネコもネズミと話せることに驚く。
リーダー格の “ 中央のネズミ ” はいう。
ネコとネズミが話せることは “ 遠くからきたネズミ ” が教えてくれたという。
そして、中央のネズミは、この町における “ ネコ界 ” と “ ネズミ界 ” の和睦を提案してくる。
・・・ そりゃ、中卒の自分だって、小説における “ 寓話 ” という手法はわかる。
“ ネコ界 ” と “ ネズミ界 ” の和睦は、なにかを例えている。
“ 遠くからきたネズミ ” は何かを指している。
ほかの事柄を示唆している。
それはわかる。
しかしだ。
二つや三つくらいだったらいい。
次から次へと、寓話が放り込まれる。
たとえば、仙台の男だって「鉄国は敵国ではないのか?」と思ったり、次には「冠人はカントからきているのか?」と心の中でつぶやいたりして、あっちこっちから放り込まれる。
いってみれば “ 寓話ラッシュ ” がきている。
すべてを受け止めて、頭の中でなにかを探りながら、読み進めないといけない。
探るほうに時間がかかる状態。
なにかしら見出さなければ。
早くしなければ。
そんな、焦りばかりが出てくる疲れる読書だ。
クーパーとはなんなのか?
鉄国との緊張状態にある町の人々は、危機のときは “ クーパーの兵士 ” が助けに来てくれる、という言い伝えを信じている。
で、クーパーの兵士とは?
そもそもがクーパーとはなにか?
ひとまず “ 寓話ラッシュ ” を耐えながら、ひとつひとつ読み進める。
クーパーとは、その町で恐れられている化け物。
基本、杉の木らしい。
町から離れたことろに林立している杉となる。
それらが、突然さなぎになる。
孵化をすると、根が抜けて歩き回り、人を襲う。
そんな怪物がクーパーだ。
だから、町の周りは高い壁に取り囲まれていて、住民は壁の外にでることがない。
じゃあ、そうなる前に、全部を伐採すればいいじゃないかと仙台の男もいうが、そうすると、季節風が町に直撃して生活ができなくなるとトムはいう。
じゃあ、さなぎのうちに手を打てばいいじゃないかというが、クーパーになるのはひとつだけ。
そこで町は、クーパーと戦う若者たちを、壁の外に送り出してもいた。
年に1度で、2人から4人ほどだ。
長年にわたって送り出されている。
そして、壁の外に出てからは2度と戻ることはない。
彼らは、命を賭して町を守ったのだ。
そのため “ クーパーの兵士 ” と敬意で呼ばれる。
いや、彼らを引率する “ 複眼隊長 ” だけは戻ってくる。
複眼隊長によると、クーパーは水分を多く含む。
毒性が強い液体だ。
なので、クーパーと戦って勝利するには、谷に突き落とすしかないという。
そのクーパーの液体を浴びるとどうなるのか?
透明になるという。
なので、クーパーの兵士の生死は不明となっている。
これが、クーパーの兵士が助けにきてくれる、という言い伝えの元となっている。
・・・ 寓話地獄である。
ここまで整理したい。
まずは、可愛いネコちゃんたちの、あくび交じりの話にムズムズさせられて、無理やり想像していく苦痛に耐え、ファンタジーをしのぎ、寓話ラッシュからの寓話地獄。
それでも、なぜ読書を敢行するか。
伊坂幸太郎だからである!
暴かれた王様の噓
が、残り3分の1ほどで、事態は急展開する。
実はクーパーは嘘だったのだ。
丸ごと噓。
殺された、町の王様の冠人の嘘だった。
外部に敵をつくることで、治世をしていただけだった。
本当は、若者たちは、鉄国に徴兵されていたのだった。
すでに町は、鉄国の支配下になっていたのだ。
100年も前から。
冠人は、自治を任されていただけにすぎない。
本当のことを住民に隠して、クーパーと戦うことを名目にして、兵士を送り出していたのだった。
しかも、戦争はすでに終わっていたが、冠人は、鉄国の王様のご機嫌をとるために兵士を送り続けていた。
鉄国のほうも必要はなかったが「それだったら」という感覚で、送られてきた若者を鉱山で強制労働をさせていた。
それらすべてを、住民の前で暴露したのは、冠人を射殺した鉄国の部隊の片目の兵長。
彼は “ 複眼隊長 ” だったのだ。
クーパーの兵士を、鉄国まで引率していた複眼隊長だ。
数年前から、複眼隊長の独断で、クーパーの兵士を鉄国には連れていってなかったのだった。
当然として冠人とは対立していたので、身元を隠すために顔には迷彩柄をペイントしてした。
複眼隊長は、引率の途中で、すべては噓だったと明かして、離れたところにある村で皆で生活していたのだ。
やってきた鉄国の部隊の全員は、町に帰ってきただけだった。
突然に出現した大男
そのころ鉄国からは、50名ほどの部隊が町に向かっていた。
鉄国の王が代替わりしたことにより、町の自治を認めずに、管理下におさめる方針に変わったのだ。
仙台の男も、トムと共に町に向かっていた。
で、城壁の外で、鉄国の部隊と遭遇。
仙台の男は、彼らと戦うことになる。
仙台の男は、ここでは5倍ほどの大男となっていたのだ。
当の仙台の男も、なんでそうなっているのか意味がわからなくて戸惑ってもいるが、とりあえずは鉄国の部隊は追い払った。
町の住民も驚いたが、争いにはならなかった。
しばらくは、そのまま町に滞在した仙台の男だった。
町のために井戸掘りなどをやるが、少し日が経つといづらくなる。
町の人は親切にしてくれるが、大食だし、水も多く飲むし、トイレだって不自由する。
帰ろう、ということ
そんな、ある日。
仙台の男は、トムと土を掘るための木を探しにいく。
遠出をして道に迷った。
すると海の気配がするのだ。
杉林を抜けると、果たして海はあった。
仙台の男は、推測する。
クーパーとは、クックパインからきているのではないのか?
クックパインとは、ハワイに自生する杉のこと。
以前にも漂着して、この杉林を抜けた者がいたのだ。
大男の出現に、驚いた誰かが「クックパイン」と叫んで、それが変化してクーパーになったのかもしれない。
それはそうとして。
砂浜には、乗ってきたボートもあった。
トムは帰るようにいう。
帰れるかどうかわからないなんて関係ない。
クーパーの兵士も帰ったではないか。
仙台の男は、すべては思い込みだったのかもと悩む。
夫婦には問題があったが、ネコとだって話せたのだ。
トムは一緒にはいかないというが、仙台の男は帰ろうというほうに気持ちが傾いた。
ラストの5ページ
結局のところ、仙台の男はどうなったのか?
ボートで海に乗り出したのか。
家には帰れたのか。
そのままだったのか。
なにもわからない。
題名にある “ 夜の国 ” が何を指していたのかもわからない。
全編を通して、夜の場面も描写も、まったくといっていいほどないが、何かを指しているのだろう。
まさか、仙台の男の夢でしたなんてオチはないだろう。
ラストの5ページは「本当のクーパーの兵士の話」という小章があって、この物語は終わっているからだ。
複眼隊長が、クーパーの兵士を引率して、鉄国に向かっている場面になる。
途中で休憩したときに、そのうちの1人の若者が、こっそりと複眼隊長に「帰れますか?」と尋ねる。
若者にとっては、ずっと抑えていた質問だった。
若者は怒られると思ったが、複眼隊長は真剣な顔になる。
なにかを決断するかのように息を吐き、もう1度吸い、口を開いた。
「みんなで帰るか」
・・・ で終わる。
いきなり涙がにじんだ。
最後の最後の1行がいちばんよかった。
檻の中だからか。
勝手ながら、伊坂幸太郎から言葉をもらった気がした。