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死について考える【79日目】

死ぬまでの時間は有限だ。有限だからこそ有効活用したい。いつ死ぬかわからない、明日死ぬかもしれないから今日できることをやろうという考えは私には合わない。毎日コツコツとやって、それが1年後のためになるように過ごしたい。そうであれば、明日死ぬなんてことは考えず、それこそ、100歳までしぶとく生きることしか考えずにすごしたい。そうして、その100年のうちの残りの人生を優雅に過ごすために、この1年を修行に回すというのは大賛成だ。

考えは人それぞれだから私はこうするというわけであって、もちろん、今日を一生懸命生きる、やりたいことだけをやってもいいだろう。しかし、そういう人たちは実は昔に修行を越えて、その技術がすでに身に付いている人かもしれないことを忘れてはならない。また、毎日、すでにその修業を行っていて、その途中経過として、それを発揮する、そういう段階にいるのかもしれない。つまり、今何もやっていない私はやりたいことをやっても言い訳がないわけだ。やってもいいが、それは成長をしない方向での、つまり、惰性の、堕落の、奈落の底へと落ちていくようなものだ。

1年後、3年後、5年後の自分の姿を見つめ、死は必ず来るものだが、今はそれをある意味忘れ、生きることを念頭に、また、その生きるということがずっと続くという考えをもって、何事にも取り組んでいきたい。ただ言っていても仕方ない。何か、毎日少しずつ続けなければならない。そう、毎日のルーティーンに、TODOリストを消化していくように。それは退屈な毎日を生み出すかもしれないが、それは修行であり、耐えざるを得ないことなのだ。

再三いうが、いうだけでなく、やらなくては。ただ素敵な絵を見ていれば、絵が上手くなるわけではない。ただ、素敵な音楽を聴いていれば、素晴らしい音楽が作れるわけでもない。そういうものを作りたいのであれば、まずは、毎日コツコツと練習しなければ、ならないのだ。そして、練習方法はネットを探せば多くある。どれが正解かはわからない。そして、その正解はやってみないとわからない。もちろん、お金を払って、プロに学ぶこともできる。プロに学べば、正解にたどり着く可能性は高い。

たどり着くまでの道のりはまた長く、その途中で諦めてしまっては正解がわからないままだ。続けないから、成果は出ないし、結果は出せないし、何があっているのか間違っているのかさえわからない。やって後悔しなければ、ならないのだ、後悔するならば。だから、途中で諦めてしまうことはこの上なくいけないことだ。その成果が、結果がすぐに出ないのは当り前で、それが出ると信じてやっても、すぐ出ず、諦めてしまう。その変化が見えないから、気力が持たない。何か信じるものがないから、続けられない。

プロの助言をもらえば、それを信頼して、それを芯にもって、それを目標にして、その道を突き進むことができる。自分で始めたことというのは、それはそれは険しい道だ。答えがなく、闇の中を歩くようなものだ。そして、正解もなく、ゴールもなく、ただただ漂う。それが苦しいから、途中で諦めてしまう。それは誰だって同じだ。だから、私も同じなのだ。私も諦めてしまうのは、その霧の中が怖く、早く抜け出したいと思うからだ。しかし、そこに光を灯すことはできたのだ。それが何か信頼できるものだ。それはプロの助言なのか、もっと違う目標なのか。

何かを毎日続けることが大切なのはわかった。しかし、それに伴う心持ちを整えることがそれ以上に重要だということがわかった。信念を持てるように、働きかけたい、自分の心に、脳に。

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