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【バリから始める地方創生(2)】地域おこし協力隊になって気づいたこと。

愛媛の地域おこし協力隊の方が地元の方とトラブルになり、移住撤退を余儀なくされたとYoutubeで告白し、一部でちょっとした話題になっています。実際に起きたことの真実は当人以外は知り得ないのでコメントはできませんが、そのニュースを見た友人から「トシは大丈夫か?」という連絡が殺到しま・・・せんでした。

友達のただ一人からも連絡がないのは信頼でしょう。
友達がいないんじゃないか?いやいやいいや・・・いや?

幸い、僕の住んでいる島根県美郷町ではもちろん全くトラブルがないわけでもないけれど、とても心地よく住まわせてもらっています。というわけで今日は地方移住について少しお話させてください。べんべん。

地方移住、昔よりも頻繁に聞きますよね。コロナの影響で都市型でない生き方に注目が集まったように思います。でも最近驚いたのはテレビで「東京から藤沢に移住しました!」と紹介されていたこと。

いやそれお引越しじゃね?

「ここには東京になかった人のつながりが~」っていやいやあの辺は都会だし、50㎞前後の移動でそんな変わるかい!と画面に突っ込んでしまいました。テレビに話しかける、わたしはおっさん。

それはさておき移住と引っ越し、使う人によって言葉の意味は変わるでしょうけど、僕の感覚では現在の暮らしから大きく変化する環境へ移り住むことが移住なんじゃないかと思います。

それで言うと僕の移住は今回で2度目。1度目は24歳の頃にバリ島へ海外移住、2度目がこの島根県美郷町へ地方移住。どちらもものすごく生活環境は変わりました。

今回戸惑うことが多かったのか、と言うととそんなことはなくて、むしろバリ島での生活環境に近い気がしてます。

バリ島の中でもウブドという山側に住んでいたので、今でこそ買い物も便利になった町ですけど大きな買い物になると車で一時間は普通でしたし、狭い地域コミュニティで暮らすがゆえの人との距離の近さや関わり方はなじみのあるものだったんですよね。

むしろここに来てそれがすごい感動することだったり。
バリ時代にうらやましく見えた地域社会のつながりが日本でも生きているんだーと思ったのが住み始めの感想。寺社のお祭りに対する取り組み方や、地元の方が仕事の後に集まって神楽の練習をしているのを見た時にちょっと感動しました。

祭りに参加する次男次女

ただこれが難しいところで、じゃあ僕がそっち側の人間になれるかというと少し違うんですよね。僕はバリでは外国人でしたし、ここでは移住者。同じ日本人なんだけど、やっぱり新しくひょこっと現れる人間に対して身構えられたりもするし、価値観や世界観は絶対に違うわけです。

僕も地域おこし協力隊として活動を始めた当初、振り返ると反省があります。今までの経験を活かしてこの町に貢献したい、という思いが先走り、町の問題点や活動の問題点を見極めて改善策をみつけ足早に実行しようと考えていました。

24歳で起業してから十数年間、利益が回らない商売はなくなってしまうし、どんな高い理想も実現できなくなってしまうということを目の当たりにしてきたので、利益度外視で報告のためだけの活動に見える事業はもったいなく見えたのです。

でも地元の方からすれば急にやってきた何者かよくわからない人間に上から目線で物を言われるのは気分悪いはずです。

それでも「このままじゃ町がなくなっちゃうんじゃないですか?何か変化を起こしましょうよ!」といったモチベーションでいましたが、そもそも地元の方は変化を求めているわけではなかったりもします。

人口減少で町がなくなるといってもそれは行政単位が別の町と統合されるだけで自分たちには関係がないことだ、という方がいるのが現実だったりするのです。

それを「自分が来た以上、そうでない場所に変えるんだ!」っていうのは今度はこちらからの都合の押しつけになってしまいます。

このあたりが移住者、というか地域おこし協力隊としての移住の際に陥ってしまう大きなジレンマじゃないでしょうか。田舎暮らしがしてみたいから、という理由での移住であればさして問題ないように思うのですが起業のチャンスを見極めに来た僕らみたいな人間や町を変えてやろうと意気込む人間にはすごく加減の難しいところだと思うんです。

変化を嫌う地元の方たちにも理由があると思うんですよ。都市部から「俺が変えてやる、教えてやる」とばかりに上から目線で活動する人も実際いますしね。それでトラブルを起こして嵐のように去ってしまってたり。そうなるとアレルギー反応のように余計によそ者を、変化を嫌ってしまったりもすると思うんです。

だからお互いのリスペクト。違いを認め合い、そのうえでやれることはないだろうかと模索すること。同じような思いを持つ地元の方と手を取ってすすんでいくことが地域おこし協力隊としては大事なんじゃないかと思います。

幸い僕らはそういう方々と出会うことができたので、一口に言ってもわからないであろう”みさとサンバル”という新しいビジネスモデルを「やってみよう」の一言で応援してくださり、挑戦を後押ししてもらっています。

それは運というか縁というか、どれだけ制度が充実したとしても再現可能なことではないのかも。でもきっとそういった偶然がチャレンジをする中のどこかで訪れるんじゃないでしょうか。冒頭の愛媛の方もそうだったように巡り合えなければ次の土地を探すのもいいですよね。

価値観の違う者同士だからなおさら「こうじゃなきゃいけない」「こうあるべきだ」という思い込みを互いに取っ払って、手を取り合えたら、素敵な地域おこしの始まりなのかもしれません。


■日常雑記


ちょうどこれを書いている時に美郷町は大雪でした。

雪かきに追われ大人はゲンナリですが子供たちは大はしゃぎ!
その中でも小2の次男坊は「絶対にかまくらを作るんだ!」と一人でおにぎりくらいの大きさの雪を掴んでは山を作ろうとぺたぺた。

小さな手で雪を運ぶ息子

仕事で時間がなかった僕は手伝えんぞ~っと言ってたんですが、2時間ほどたっても大きくならない山を前にひたすらペタペタを続ける姿に心動かされ、結局僕も気合をいれ3日がかりでかまくらを作り上げました。

このあと家族みんなで鍋をしました

挑戦ってこういうことなのかもな、と思った44歳、冬。



プロフィール

田中 利典(たなか としふみ)神奈川県横浜市生まれ。若くも老けても見られないドンピシャな44歳。バリ島在住歴17年。フリーのグラフィックデザイナーもしてます。
バリでの経歴
大学生活を終えて一念発起オーストラリアに留学。その後バックパッカーとしてバリ島から東南アジア、インド、ネパールを周り「旅で世界の表面をなぞるより深く一つの土地に関わってみたい」と一番心惹かれたバリ島ウブドに住みはじめる。24歳で世界の旅行者をターゲットにろうけつ染めのTシャツショップで起業し3店舗まで拡大。その後ウブドの日本人向けのフリーペーパーを発行し編集長を務める。2015年からは欧米人向けのカフェの経営もスタート。並行して主軸となるバリ島の土産用のクッキー、バロンクッキーを2011年から企画、デザイン面からプロデュース。コロナ前まで年間売り上げ個数60万枚を超える。またウブドの日本人憩いの場「和るんあんかさ」にて2012年からネット配信番組「ウブドラジオ」で終了までの8年間毎週メインMCを務め、コアなバリファンを集めた。
島根移住
2020年夏からバリ島の事業をスタッフに任せ、子供たちに新しい挑戦を見せたいとバリ島マス村の姉妹都市である島根県美郷町に夫婦ともども地域おこし協力隊として移住。現在3年目。地域の魅力を商品化⇒情報の発信をミッションにして活動中。”みさとサンバル””またたびクラフトコーラ”を商品化。みさとサンバルはネット販売開始後わずか8分で300個完売。(*バリ島旅行のみかたさん、ありがとう!)






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