いつまでも、あると思うな「ねぇ遊ぼう〜」
パパ、子供から誘われていますか?
1歳前後になると歩き出し、よちよちとこちらに向かってくる。片言の言葉を発し、抱っこをせがんでくる。
2歳になればもう立派に言語を操り、自分の意思を表示できるようになってくる。
「ねぇパパ〜」
「パパ見て〜」
「パパ遊ぼう〜」
せっかくのお休みなのに、30秒おきぐらいに言われる。どうしてもやるべき仕事があるのに、せがまれる。
以前の自分はクライアントからの電話、スタッフへの指示、ようやくできる自分の仕事を休日にせっせとやっていた。
そこを妨げる子供に、敵意すら覚えるくらい仕事に没頭していた。
昔の自分に言ってあげたい。
「いつまでも、あると思うな、ねぇ遊ぼう〜」
今日は昔の自分に伝える記事です。
1.育児には今しかない
「仕事と私、どっちが大事なの?」
彼女からではなく、子供から言われたらどうでしょうか?
どっちも大事だけれども、7:3で仕事かな?いや、8:2かも。
大事なのはわかっているけど、ほら、ママがいるでしょ。
だからなんとかしてくれるかと思うし、仕事はパパしかやっていないから。
パパが働き成果を出し、出世することで経済的な豊かさをもたらす。これが家族に幸せをもたらす最適解。そう信じていました。
決して、間違ってはいない。だけれども、です。
子供は生まれてからすくすくと育ちます。
・あんなに泣き叫んでいた夜泣きは、徐々に減っていきます。
・よちよち歩きだったと思ったら、3輪車や自転車を乗り回します。
・「あー、うー」しか言わなかったのに、ため息をつくようになります。
・ミルクを飲ませていたのに、おやつをせがむようになります。
生まれてからの進化がめざましい子供。身長や体重もそうですが、できることがどんどん増えていく様子は、本当に驚異的です。
だからこそ、子供が3歳になってしまったら、もうミルクを飲ませられません。
育児は「今」しかないのです。
もちろん仕事も今しかない。けれども、貴重性はどちらが高いでしょうか?
2.何が大事かを考える
自分の価値観、何を大事にするかを考えること。
仕事も大事。育児も大事。
納得解を決めること。これが大事。
私の妻は産後うつになってしまい、家事や育児が手につかない状態になってしまいました。3番目出産し、数ヶ月。上のお兄ちゃんは小学生と幼稚園の時でした。
赤ちゃんのお世話をしながら、膨大な小学校からの手書き資料作成。幼稚園の連絡帳へのコメント記載とお弁当作り。
これを毎日こなしつつ、夜は夜泣き対応…
これは無理ゲーです。産後うつになっても当然。
今はそう思える。
でも、当時の自分は思えなかった。
なんでできないの?俺は仕事しているんだから、ママは家のことやってよ。シンプルにそう思っていた。役割分担という大義名分。
洗濯や掃除もままならず、子供が泣き叫んでいる状態。
仕事から帰ってきてこれを目の当たりにすると、怒りすら覚えていた。
でも、妻が無表情だった。
子供から声をかけれれても、笑いもせず、言葉を返すことなく、赤ちゃんにただただ母乳を与えていた。
それを見たときに自分はようやく気がついた。
気がつけた。
3.自分が選ぶ
当時の自分は、仕事で成果が出ずに、叱責される日が続いていた。
責任感や焦燥感から、なんとかするために時間でリカバリーをする作戦。これしか残されていなかった。
だから休日こそ、自分の仕事ができる日。そう考えてやっていた。
しかし、気づいた。
なんのためにやっているんだ?
仕事で成果を出せず、家庭もぐちゃぐちゃ。
仮に仕事で成果を出せても、この状態が本当に幸せなのか?望んでいたことなのか?
これが本当に目指していた姿なのか?
元々は、幸せになろうと結婚したはず。
ようやく子宝に恵まれ、さぁこれからというときに、妻の具合が悪い。
支えられるのは誰だ?こういう状態にしたのは誰だ?
自責の念を覚えつつ、事態を打開するために、もう迷ってはいられなかった。
仕事への取り組み方、働き方を大きく変えることを決意し実行。
何が大事って、今は育児。
もちろん仕事の手は抜かないけれども、妻を支えつつ、今しかない育児を行うこと。これも人生の選択。
子供が小さいときこそパパの手が必要。
どうせ大きくなったら、パパなんて構ってもらえない。自分が子供の頃を振り返れば、そうだとわかる。
何を選ぶかは自分次第。
周りの目を気にしていては、自分の人生は歩けない。
自分で決める。自分が選ぶ。
自分が何を大事にするか、何を選択するかを流されず決めること。
「いつまでも、あると思うな、ねぇ遊ぼう〜」
さぁ、考えて決めよう。決めたら動こう。
自分で選んだことを正解にすればいいだけ。
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