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知識の洪水に抗え、母

今日は、娘のリハビリの日だった。

といっても、本人はリハビリなんて意識はまったくない。広い部屋にこれでもかと用意された、ありとあらゆるおもちゃや遊具、ボールプール——貸し切りのKID-O-KID(有料室内遊び場)みたいな環境に、狂喜乱舞。ここに来るとめずらしく動き回って、その姿を見られるだけでうれしくなる。


わたしはずっと、「情報はとにかく多いほうがいい」というタイプだった。ありとあらゆる情報をください、それをもとに自分で考えますから、と。

でも、妊娠してからは「情報量はそこそこでいいな」と思うようになった。そりゃ、マイホームづくりとか転職だったら、いまもできるかぎり情報を集めて納得のいく意思決定をしたい。けれど、妊娠出産子育てジャンルに関して言えば、過情報は毒でしかない。

そしていま、その確信をさらに深めている。

いわゆる「教科書どおり」に育っていない子の周りには、尋常じゃない量の情報がうずまいているのだ。たぶん、発達面で問題なく育った子の親は想像できないくらい、広大な沼が広がっている。

——あれ、そういえば、他の子と比べて遅れてる?
——この行動ってなんだか不思議だな。

はじめはひょんな疑問や好奇心でスマホを手にするのだけど、そうして調べはじめたが最後、アリ地獄へ一直線。どんな特徴を調べても、「わが子にはなにか問題があるのでは」と不安になる結果しか出てこない。

たぶん、わたしは日本の中で、ネットリテラシーが低いほうではないと思う。それでも、めちゃめちゃ心配になるし、ブルーになる。だから、血眼になって検索という世界に没入してしまうお母さんがいるのは、容易に想像できる。

実際、インターネット上の掲示板には憔悴しきったお母さんがたくさんいる。

「粗大運動が遅滞している」
「共感の指さしが出ていないから自閉症」
「まだ歩かない、低緊張かもしれない」
「逆さバイバイ(*)をした、黒決定だ」

(*)自分のほうに手のひらを向けるバイバイ。自分と相手の立ち位置を把握できない自閉症の子に表出することがある、らしい

そんな発達支援センターのプロが使うような言葉を使いこなし、意見を交わす。だれかの仕入れた知識にみんなでわっと群がったり、ああだこうだと予想しあったり。

彼女たちの不安は痛いほどわかる。一方で気になるのが、そのほとんどが断片的な知識であることだ。体系立てて発達や病気について学び、全体像を把握している人はほとんどいない(わたしだってそうだ)。情報サイト、ブログやSNSで見つけただれかの体験談、自分の子の様子を持ち寄り、不安を共有しているのだ。

もちろんそうして、だれかと話すことがストレス解消になる側面もあると思う。それはそれで大事なコミュニケーションだ、間違いなく。

ただ、あまりにも悲観的になったり振り回されたり、あるいは専門用語を振り回す評論家になったりするケースも少なくなくて、それは不健康に感じてしまうのだ。「もうすぐ1歳なのにまだ言葉が出ません」といったごくふつうの内容でノイローゼっぽい文章を見ると、泣けてくる。

いくらでも情報を得られる時代だからこそ、「母たるわたしたち」は抗わなきゃいけない。
断片的な知識の洪水に飲まれ、翻弄されることに。
不安にからめとられ、情報ジャンキーになってしまうことに。

断片的な知識は、そこから次に進むためのきっかけでしかない。より深く学ぶか、より詳しい人に相談に行くか。そこにとどまっていると、ずぶずぶと沼にはまっていく。

わたしは、きちんと学ぶ自信がなかった。だから、大丈夫ですかと差し伸べられた手に「助けてください!」と飛びついた。いま、頼りになるプロに毎月会えることは、わたしを落ち着かせてくれている。ほんとうにありがたい。臆さずひとに頼る末っ子根性が役に立った、と思う。

「適切な人に頼ること」は、お母さんの大切なスキルなのかもしれない。

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