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「自分に優しい自分」を許す合図

「口内炎ができた」

夫がこう言ってきたときは、「休む」の合図だ。とりあえず超急ぎの仕事以外は置いておいてねと、なるべくゆっくり過ごしてもらう。できるだけはやく寝てもらう。それは我が家の、大切なルールのひとつかもしれない。

夫は昔から、ストレスや疲労がすぐに口内炎となってあらわれる体質らしい。口内炎は身体からの「あーもう無理!」のアラートで、夫はその声に「はい!」と、とても忠実に休む。

おそらく、その声を感じながらも無理をしたら、もっとひどい体調不良に陥ってしまうのだろう。それが積み重なったら、こころを壊すに違いない。夫の口にあらわれる小さな赤いポッチが、いつも夫を守ってくれている。

口内炎ごときでオフモードになるなんてなんと甘いのだ、それでも社会人か、気合いが足らん、と思う人もいるかもしれない。たしかに文字にしたら、なんだかなよっちいような気もする。

けれどこれは、夫がウン十年の人生の中で見いだしてきた自分を守る方法だ。自分への甘さじゃなくて、たった一人しかいない自分への優しさだ。「自分に優しい自分であることを許可する」のがどれだけ大切かは、周りや世の中を見て痛いほど感じている。

ストレス耐性は、ほんとうに人それぞれだと思う。ひとつの個性であり、能力でもある。

心や身体の声に敏感な人。敏感だけど見て見ぬふりをしてしまう人。身体の声を聞く能力のない人。打ち勝とうとする人。心や身体が無口な人。

そもそものストレス耐性がものすごく強い人だっている。この「強い人」が「弱い人」に対して「甘い!」と責める光景をよく見るけれど、勘弁してほしいなあと思う。ダイヤモンドがクッキーに「なんでそんなに脆いの?」と問いかけるようなもので、素質が違うのだ。もともとの強度はさておき、「あっ」と思ったときに自分が自分に優しくできればいい。

もちろん、もちろん、責任を負っていたり、がんばりどころだったり、常に100パーセント自分に優しくあるのはむずかしい。というか、ふつうに家庭を運営するうえでも仕事をこなすうえでも、それは不可能だ。

わたしだってそうだ、いま、夫が骨折したりむすめが保育園を数日休んだりで、仕事の時間をどうにか確保しないといよいよやばいぞしかし今日は福岡出張だぞ保育園の面談も入ったぞーーーと胃がキリッとしているけれど、だからこそ踏ん張らざるを得ない。

でも、だからこそ、「この一線を超えたらまずいよ」という内なる田中裕子の声には耳を澄ませていたいと思う。それは怠っちゃならないぞと思っている。こりゃやばいと合図があったら、容赦なく休む。

と、自分にもそんなだから、口内炎のある夫に鞭打つことはわたしはできない。それは他人に対しても同じで、「あなたの口内炎」が疼くならその痛みに全力で従ってほしいなと思う。

みんなががんばって見えて「自分に優しい自分であること」を許しづらい世の中だけれど、「わたしの口内炎」ができたらそれは息継ぎのタイミング。周りに比べたら甘ちゃんかなぁ、などと思わずに、動きを止めてみてほしい。

……と、強く思わずにはいられない出来事があった1月なのでした。

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