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「運動神経」という言葉が無神経に使われなくなる日

「運動神経」という言葉がある。
Googleで「運動神経 意味」で検索した結果がこちら。

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特にスポーツの専門家ではない一般人が使うのは、2.の方だろう。
後ろに伴う言葉はだいたい「良い」か「悪い」のどちらかで、かなり「絶対的」なニュアンスがある。

そのくせ、何を指しているかは曖昧だ。
「数学神経」「音楽神経」「美術神経」…聞いたことがない、これらから考えてみると、えらく大雑把な言葉である事は、明確だ。

お察しの良い方はもうお分かりかと思うが、運動神経という言葉にこんなに恨みつらみ書き連ねるのは、私が『運動神経が悪い』と言われ続けてきたからだ。

この「呪いの呪文」のせいで、長らく「健康のために何か運動をする」ことは考えられなかった。
が、「ずっと続けたい」と思った仕事が肉体的にハードで、40近くになって転がり落ちるような体力の低下を感じたことと相まって、「これは運動しないとヤバい(ほとんど、ムリに近いニュアンスで)」という差し迫った状況に立たされた。

子供を連れて行ったプールで「たいした距離泳げないけど、でも楽しい」と感じたことと、一人でも出来る、という理由で水泳を選んだ。

その時に出逢った優れた水泳のコーチによって、
運動神経が悪いという事を因数分解すると、こういう事だ
という事を教わり、私なりになんとなくではあるものの体得出来た。

ごく大雑把に言うと、各筋肉の発達と動きのバランス、さらにそれらの連携を含めた動作のタイミングが、それぞれの運動の上手下手や向き不向きを決めるように思う。

そしておそらく、私も含め一般的に「運動神経が悪い」と言われる人は、どこかが弱い(発達していない、もしくは動かすのが苦手)筋肉があって、そこが全体の動きとしてみると、極端なアンバランスとなって表れているのではないかと思う。

たぶん、今現在でもトップアスリートの世界だと、そういう科学的な分析によってトレーニングのメニュー等が組まれているのだと思う。

それが一般の人にも降りてきて、各個人に具体的・科学的なトレーニングや食事のメニューが提示されるようになって、結果として「なんか昔は『運動神経』っていうよく分からない言葉使ってたよね」となるといいなと思う。

今、AIの研究によって動作や神経伝達の仕組みの解明が進み、また一方で医療費削減の為の健康増進の手段としてのスポーツ振興の流れがある。
東京都ではオリンピック・パラリンピック2020大会後を見据え、「大会を機に、スポーツが日常生活にとけ込み…」という内容が盛り込まれた、こんな施策も既に発表されている。この流れからも、個々人の運動習慣が促進されていくことは間違いないだろう。

出来れば、パラリンピックの開催が「ひとりひとりの身体の個性」に目を向けるきっかけとなって、今「パラスポーツ」と呼ばれている種目に関しても包括的に上述の動作や神経伝達の研究が進んで、運動神経というような画一的な評価そのものが「愉しむ(競技としての、ではなく)スポーツとしては意味が無い」となると、ある意味理想的に思う。

そんなこんなを考えると、30年かからずして実現しそうな気もするし、けれど『運動神経』という言葉の根強さを思うと、30年でやっとこさ、という可能性もあるように思う。

ただ、呪われ続けてウン十年、呪いが解けたのはほぼ偶然、の身としては、平成と共に去りぬ、であってほしい言葉は「運動神経が悪い」だ。

これに代わる、具体的で細やかで前向きになれる言葉、それが私の「30年後、あったらいいな」だ。

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