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KingGnuという名の“沼”【後編】~常田大希という男について~


グループのリーダーを務めるGt.常田大希は、Vo.井口理の歌声を「嫌われない声」と称している。


これは本当にその通りだと思う。

彼らの最新アルバム『Sympa』を僕は未だに毎日聴き続けているのだが、井口の声は一切嫌いになる要素がない。恐らく“ガナリ”だとか“鼻にかかった声”がヒットの阻害要因となり得る音楽業界で、井口の全くクセのないクリアな声はバンドにおいて最大の武器になっている。



それに対して、常田の声はあまり大衆向きとはいえない。

常田本人が「俺のダミ声じゃ売れないなと思って...」と語るように、もし彼がバンドのメインボーカルを務めていたら、恐らくKingGnuに今ほどの人気や知名度はなかったと思う。


実際、僕が彼らの楽曲を聴き始めたばかりの頃、常田メインで歌われている『Slumberland』『あなたは蜃気楼』などの曲があまり好きになれなかった。歌が上手いとは思えなかったし(拡声器を使っているせいもある)、単純に井口が歌う曲の方が聴きやすかった。


しかし、KingGnuを深堀りしていくにつれ、僕は常田大希が底知れぬ魅力を持つとんでもない男であることに気づく。




自分が作った曲”を“ヒト”に歌わせる。という覚悟.


例えば僕がこれまで親しんできたメジャーなバンドを挙げると、ミスチル・スピッツ・バンプ・東京事変などある。これらのバンドにおいて、ほぼ全ての楽曲の作詞・作曲はボーカルである桜井和寿・草野マサムネ・藤原基央・椎名林檎が担当しているのだが、KingGnuは違う。


メインボーカルは井口だが、作詞・作曲は全て常田が手掛けている。


この事実は僕にとって最も衝撃的だった。それまでの僕の認識として、“バンド”というものは、「歌を通じて自己表現をしたい者が自分で歌詞もメロディも全て考えて、自分の声で世に届けるもの」だと思っていたからだ。


しかしKingGnuの場合は、常田が作った曲を彼自身が歌うことはせず、「自分より圧倒的に大衆ウケする声」を持つ井口をフロントマンとしてバンドに誘った。もし他に意図があるなら話は別だが、僕は自分なりに解釈したこの「KingGnuの戦略的なポジショニング」に感動した。

このような割り切った判断ができなかったが故に、日の目を見ることなく消えていったアーティストが一体どれほどいるだろうか。

(※バンドに超絶詳しいわけではないので、もしかしたらKingGnuと同様の体制のバンドは他にも存在するのかもしれない)




常田のインタビュー記事やメディアでの発言、その他諸々を考察して感じたことがある。


それは、彼は「大衆にウケなくても自分の表現を貫き通す」というエゴを持たず、「大衆にウケるためにどうアプローチするべきか」に重点を置いているということ。


そしてその結果として、彼は「自分が歌う」という選択肢を捨て、「井口に歌わせる」ことを選んだのではないだろうか。




常田:「コイツ(井口)がいれば、売れるかなぁ…と感じて」(引用:ジロッケン環七フィーバー 2018年7月14日放送より)



その言葉通り、KingGnuの人気ぶりは爆発的に加速した。





真骨頂・Millennium Parade


常田大希を語る上で外せないのが、『millennium parade(ミレニアムパレード)』での活動だ。


millennium paradeは、常田と彼自身が率いるクリエイティブレーベル『PERIMETRON(ペリメトロン)』が主催する、海外音楽シーンへの挑戦を前提に発足したプロジェクトである。


カルチャー誌『EYESCREAM』の6月号で、常田はmillennium paradeについてこのように説明している。

海外で活躍するためには、KingGnuとして国内で人気を得ることとは別軸の考え方で、世界の音楽業界に発信していかなければいけない。(※意訳/引用:EYESCREAM6月号より)



つまり、常田にとってKingGnuはあくまでも国内で成功を収めることに特化した活動。対してmillennium paradeは、海外で名を上げるための新たな施策といえるだろう。


これまでmillennium paradeが公開している曲は、『Veil』と『Plankton』の2曲のみだが、どちらもKingGnuの楽曲とは全く違ったテイストである。


♬『millennium parade - Veil』


『millennium parade - Plankton』


常田宜しく“サビ命文化”が蔓延る国内音楽シーンに向けたものではなく、完全に海外でフィーチャーされるために制作された楽曲だ。メロディはこれといった盛り上がり部分がなく、あくまでサウンドを重視した作り。歌詞はすべて英語である。


もちろん、この2曲においても常田がボーカルを担当することはなく、英詩をネイティブに歌いこなせるErmhoi(エルムホイ. from Black Boboi)を起用している。

常田は全体を取りまとめる総指揮者的ポジション。KingGnuでの立ち回り以上に、millennium paradeではコンセプター・プロデューサー的役割を大いに担っている。




常田は、KingGnuの前身・Srv.Vinci(サーヴァヴィンチ)の結成よりも前、既に『Daiki Tsuneta millennium parade』の名義でソロ活動をしていた。

恐らくその当時から世界を視野に入れて音楽制作に勤しんでいたと思われる。


millennium paradeのプロジェクトが公に発表されたとき、僕は常田大希の一ファンとして、「明らかに他の日本人アーティストとは別格だ」と感じた。




他の日本人アーティストの場合、日本か海外どちらを主戦場に活動するかの岐路に立たされたとき、結果として一方を切り捨てているのが大半のように見えるからだ。


しかし、常田の場合はそうではない。

異なる2つの舞台で、それぞれの需要を的確に分析し、独自の音楽性を違った方向性でもって発信する。

とてつもない鬼才である。



『EYESCREAM』のインタビューで、「KingGnuとmillennium paradeでの音楽性の違い」について問われた際、常田は以下のように答えている。


日本のシーンに対して打ち出していく音楽を表現する場としてのKingGnuと、真新しい聴いたことのない音楽を聴きやすい形で表現するのがmillennium parade。どっちも自分の素直な表現なんです。自分の中にある音楽の、どの方面を強調して打ち出していくかという分け方なので。(原文ママ/引用:EYESCREAM6月号より)



ゆえに、天才。



先月22日、millennium paradeのプロジェクト始動を記念したローンチパーティーがあったのだが、僕は落選して行くことができなかった。

チケット販売開始から応募が殺到し、倍率はKingGnuのワンマンライブ同等に高いものだったとか。


KingGnuにのめり込む過程で気づいた、常田大希の常軌を逸したカリスマ性に、僕は今なお魅了され続けている。

彼の作る音楽に出会えたことが、間違いなく僕の人生に潤いを与えているし、また、彼の作る音楽に共鳴できる感性が自分に備わっていたことにも喜びを感じる。


「心から応援したい人がいる」ということは、とても幸せなことだ。



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