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余命日記④ 

夏の風物詩

僕にとっての「夏」は冠婚葬祭の 「葬」が風物詩? でした。
人生で初めて意識して体感した「死」は夏の出来事。序章はすでに春に始まっていてとても身近な身内が白血病と診断され、その後の入院生活を何度も見舞い、親戚も駆けつけ、化学治療だけでなくあれやこれやの民間療法に魔法の水などなど。
まだドラマ「赤い疑惑」も始まっていない頃(その夏が終わり秋になって始まったのが白血病を一躍有名にしたドラマ。百恵さんが綺麗だった)に得体のしれない病と親戚一同が戦って、夏休みを利用して見舞いがてらに帰省していたいとこ達がいるおばあちゃんの家で、戦いが無念に終わったことを知ったのです。
その知らせの電話が鳴るほんの数十秒前に母が突然、狂ったように泣き崩れ叫び、なにが起こったか分からず居合わせたみんながあっけに取られ、なにもできないでいるときに電話が鳴り「亡くなりました」と病院にいた身内からの連絡。この全く合理的でない時系列は未だに謎なんですが、いってみればこれが僕の最初のオカルト体験だったのかもしれません。
ともあれ、以来、何故か近しい親戚の死は夏に起こるのです。
葬儀という厳かな催しの後にやってくる旧盆。田舎だったから提灯を下げて夕刻にお墓参りして、一族がまとまって住んでいた集落の家々に従姉妹や再従兄弟たちがそれぞれ泊まり、夜中まで怪談話やそして亡くなった身内の思い出話をしていたのです。そんなモード?の中で「原爆の日」「終戦の日」を迎えていたので、「死」と「夏」と「戦争」がこども心にも、ぼんやりながらも必然的な「連想」となっていった気がします。

あれから50年ほど。
来週も近しい親戚の三回忌。夏のあっけない逝き方で未だに実感が湧いていません。
それは置いておいても今、「夏」と「死」が昔より近くなっている感じです。でもそれは“受け入れなさい”と囁かれているような…。
この数年「戦争」が当たり前になって昔ほど「終戦の日」も現実味にかけてきているし、あの時の戦争にまつわるドキュメントも進行形の惨劇と否応もなく比べられて、それは「ほら、もうすぐこんな事がまた身近で起こるんだよ」と刷り込まれているような気がしてしまうし。

そんな事を感じる今年も、うちの前の木々では蝉が元気です。来年、またこの声が聴けるのかどうか。それは僕の個人的な状況だけではなくて、もっと大きな意味で心配しなくてはいけないのではないかと思うんです。


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