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中条あやみは勝ち組か?

「中条あやみは勝ち組だね」

いつも観る中条あやみ出演のCMを見て小学5年生の娘が言った。

わたしは「うーん、勝ち組?かなあ?色々あるんじゃないかなー」と返した。

娘の意とするところは「中条あやみはハーフで美人、性格も良さそう、仕事も結婚も順風満帆」10代の娘の目にはそう映ったのだろう。

わたしも良くわかる、中条あやみは大好きだ。自然な美しさは嫌な感じがしないし、笑顔も素敵、ドラマに出ていても存在感があり、モデルとしても活躍していて可愛くてキュンとなる。

それならそれでいい、確かに人生上手くいっている人ということに分類されそうだ。

人はなぜか本当に順風満帆な人を見た時や、「あの人は良いね、幸せそうだね」という言葉に対しては何か不幸な理由を探したくなる。多分私だけでなく、皆感じた事があるのではないだろうか。

順調な日々を送る人もそうでない人も存在する事は確かだ。一方でこうも思う。人間って、今幸せだなとか、辛いなという感情で割と毎日生きている気がするのでどの時点の幸せや辛さが他人の目に写っているかなんて計り知れない。

勝ち組、負け組、親ガチャ成功、親ガチャ失敗等、そういう人たちの構図はイメージしやすいし、社会にいるたくさんの人たちや、自分自身の経験を通して、大いに理解できるが、なんだか言葉で人間を分類するのは少し寂しい気がする。

言葉やイメージに分類されたり縛られる事なく、良い人生を歩みたい。

人間なら誰しもが何歳になってもどんな事があっても、良い人生を歩みたいと思うはずだ。

自分を取り巻く何かに惑わされる事なく、進む、そのためには自分自身で不運だと決めつけない事が必要だろう。例えばそんな日々が続いた時、辛い時は休んでも良いから立ち止まらない事だろう。明日は良い日になるかもしれない。

勝ち、負け云々ではなく、良い人生とは何か、を決めるのは、いつでも他の誰でもない自分自身なのだ。

(MacBook)

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