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記憶に焼きつく美しきモノクロの世界。映画『ダムネーション/天罰』

『ダムネーション/天罰』1988 ハンガリー
監督:タル・ベーラ
脚本:タル・ベーラ/クラスナホルカイ・ラースロー

総合評価:4.9/5.0

作品詳細
「サタンタンゴ」「ニーチェの馬」などで知られるハンガリーの映画作家タル・ベーラが、罪に絡みとられ破滅していく人々をリアルに描いた人間ドラマ。以降ほとんどのタル・ベーラ作品で脚本を担当する作家クラスナホルカイ・ラースローや音楽のビーグ・ミハーイが初めてそろい、独自のスタイルを確立させた記念碑的作品。荒廃した鉱山の町。夫のいる歌手と不倫しているカーレルは彼女の部屋を訪れるが追い返され、行きつけの酒場へ向かう。酒場の店主はカーレルに小包を運ぶ仕事を依頼するが、町を離れたくないカーレルは知り合いに運ばせようと思いつく。歌手の夫から彼女との関係を問い詰められたカーレルは、夫に小包を運ぶ仕事を持ちかける。ー映画.comー

限りなく完璧に接近した美しい構図というものが、これ程まで淡々と繰り返されては唸る他ない。

あまりにも当然のこととして解るので一々述べるに憚られるが、映像の芸術家を代表する素晴らしい監督だと思った。

冒頭のショットが記憶に焼き付いて離れない名作というのは幾つもあるけれど、本作はその中でも特出して美しい。完成されている。主人公カーレルが黄昏れるように眺めるその風景は、右手前から左奥、果ての地平線まで連なる鉄塔に石炭を載せた滑車を往復させている。景色は質素で、他には何もない。石炭の行き着くその果てにはどのような景色が広がっているのだろう。
「世界を知らないんだ」と訴えるカーレルが、何も見えないと言いながらもその景色を何度も見据えるのは、まるで滑車の目指す先を羨望しているかのように映る。しかし彼は「この町にいたいんだ」とも口にするので、真意は最後まで分からない。

彼の愛する女はこの町のことを「不安定すぎる。誰も信用できない」と洩らす。そんな彼女の言う通りと言うべきか、降雨のなか建物の入り口に佇む人々が陰鬱な表情を浮かべているかと思えば、次のシーンでは楽しそうに店内でダンスパーティーに勤しんでる。この突飛加減、脈絡の無さは、客観的に眺めるこの町の景色としてありのままの姿なのだろうと思った。

冒頭の美しいショットに続くのは、カーレルの髭を剃る姿。その堅い表情からは威厳を感じさせるが、鋭く、瞳孔の開いているような眼差しを見つめていると次第に、内に秘める狂気を読み取ってしまう。そして剃刀の髭を削る音が恐ろしく耳に響く。
明示されずとも彼への警戒心を掻き立てられる、秀逸なショットだと感じた。

人間的で晴れることのない物語も勿論素晴らしいのだが、この作品を語る上で重要なのはそこではない。

どのような世界にも等しく存在する美を如何に映像へと昇華しているかという点にこそ、『ダムネーション』の、タル・ベーラの真髄が現れている。

「本当の人々の姿を撮りたい」と語るタル・ベーラの技は、説明の少なさや言動と行動の矛盾によって巧妙に実践されていた。長々と台詞の続くシーンもないわけではないが、抽象的な内容や不思議な意図によるものが多く、彼らの心情が真に読み取れるわけではない。しかし、何となく心情を感じとれてしまうことも事実であり、それは秀逸なライティングや構図が雄弁に語る気配があるからだろうと想像する。

稀に不可解な構図や現象に出くわすことがあるが、それでも尚美しさを纏うそのショットには大きな感動に心が揺さぶられる。全てのショットに感嘆としてしまう故に、次は何を魅せてくれるのだと、カットを待ち望む自分がいる事に気付かされた。

作中、モチーフとして犬が何度も登場するが、彼らはいつも何かを嗅ぎ回り、彷徨っている。その中でも、黒い犬が一匹で現れるシーンが二度ある。一度目は、カーレルが神妙な面持ちでバーから出て画面左手の闇に歩き去った直後。彼が消えた闇の中から、すれ違う形で現れ、何かを嗅ぎ回っている。このシーンを見た瞬間、この黒い犬がカーレルのアトリビュートであることが察せられ、嗅ぎ回る、彷徨うという行為が一瞬でカーレルの状況を示唆される。二度目に現れるのはラストに近いシーン、雨によって荒れ、泥の山やゴミの散乱する砂地で今度はカーレル自身が彷徨っている。しばらく歩いたところで死角から黒い犬が現れ、目が合ったカーレルは犬と吠え合う。何度も吠え合い、カーレルが黒い犬に威嚇勝ちして画面奥へと立ち去ってゆく。このシーンは作中において最も印象強いシーンのひとつであるが、仮に黒い犬をカーレルの内面を表すアトリビュートと捉えるならば、含みのある素晴らしい表現だととれるだろう。

粋な表現は随所に散りばめられており、壁やグラス越しに交わされる会話によって、スローなパンの先にある構図を想像させられたり、タバコの煙や珈琲の湯気、霧による奥行きの演出と静的なショット内にゆらめきが生まれていたり、作中何度か流れる音楽のほぼ全てが、作中演奏によるリアルな情景であったり等々、とにかく感嘆とさせられるのは構図のみではなかった。

鑑賞する上で沢山のことに気付かされ充分に驚いたものの、何なのだろう、と不思議に思うシーンも少なくなかった。必ずここに意図がある、と強い恣意性を感じながらも、解らない。しかし、それでも美しさを纏ったそのショットを美的感覚として享受するのみでも、充分な喜びを覚えていた。

今回は劇場で鑑賞したけれど、DVDで手元に置いて、何度も何度も見返したいと思える作品だった。

サタンタンゴも観ようかなあ。。。んー。。






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