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兵庫県淡路島から大分県別府市に移住型就職した話

はじめまして、谷山樹里と申します。
2023年の春から大分県別府市にある小さなシール・ラベル専門の印刷会社、有限会社エイコー印刷の広報・PR担当(ひとり広報)をしています。

私は「国生みの島」と呼ばれる瀬戸内にある小さな島、兵庫県淡路島で生まれ育ちました。幼い頃から、3度の飯より絵を描くことが好きで、チラシの白い裏紙を見つけては、喜んで絵を描いていました。

そんなこともあって、私の絵の技術はメキメキ上達。友達の間でも評判の腕前になっていきました。小学校から高校まで修学旅行のしおりの表紙にクラス全員分の似顔絵を描いて掲載されたという、履歴書には書けないような隠れた自慢があったりします。
進学は絵の道を志すために、芸術大学でグラフィックデザインを専攻しました。

将来はデザイナーになるんだろうなぁとぼんやり考えていたのですが、そんな私が「おんせん県」と呼ばれる観光地、大分県別府市で20数名の小さな印刷会社に移住し、広報担当になるなんて考えもしませんでした。

就職と移住して1年が経とうとしている今、
もう一度自分を振り返り、移住を決めた経緯や、
淡路島への思いをこのnoteに書き記しておきたいと思います。


大好きだった淡路島。

2000年生まれのミレニアム世代に淡路島で育った私。まだ20歳の父と母の間に、3人姉弟の長女として生まれました。

父は生粋の淡路島育ち。母は海を渡って明石焼きが有名な明石市育ち。父の祖父が建てた土壁の昭和レトロ?な家で暮らし、家の周りは田んぼと山。

車がなければコンビニにも行けず、街灯もないような地域でのびのびと育ちました。

淡路島は「島」といわれるだけあって当然海に囲まれているのですが、大きな山もある立体的な島になります。まず淡路島を私目線で山側と海側に分けてご紹介したいと思います。

私の幼少期の山側は自然溢れる県立公園や牧場、無料で子供やペットと遊べる場所も多く、休日になると乗馬をしに来る人や、子供連れやペットを連れた観光の方が来ていました。

よく県立公園の水遊び場に連れて行ってもらったり、バレーボールの練習をしたりと、私にとってはとても思い出深い公園でした。

公園の水遊び場で遊んだ幼少期の写真

海側には小さな商店街や、道の駅、駄菓子屋さん、地元に人に愛されている市場などが沢山あり、小規模ながら活気のある風景がありました。

保育園や幼稚園、小学校・中学校は海側にあり、山側に住んでいた私は母に毎朝・毎晩どこに行くにも送迎してもらっていました。

小学校の近くに駄菓子屋さんがあって、放課後、毎日のように沢山の友達が集まりとても賑わっていました。一度家に帰ってからでないと、駄菓子を買ってはいけないという校則があったのですが、私は家も遠く、ジュニアバレーボールに所属していたこともあり、体育館に荷物を置いてこっそり買いに行っていました。(なお先生にはバレずにやりすごしました。)

島社会の人間関係は狭く濃いもので、バレーボールの監督は、父の学生時代の恩師でした。やりづらかったです。2名のコーチはそれぞれ地元でも美味しいと有名なお餅屋と魚屋の大将で、習い事と社会がクロスオーバーするような人間関係の中、色んな意味で可愛がられて育ってきたように思います。(バレーボールの試合終わりに成果を報告しに行く時、タマにお刺し身を人数分頂いたことも…。瀬戸内で育った立派な魚を取り扱っているので、普通に買えば高級魚。プリプリ感と魚の脂が堪らなく美味しいのです。)

火曜、木曜、土曜、日曜はバレーボールを。空いた週には書道教室に通っていました。書道教室は、海沿いにある小さな教室。幼稚園の頃から小学6年生まで通いました。

習い事でパンパンのスケジュールを過ごした私のささやかな楽しみが街角グルメ。
書道教室の休み時間に、友人と商店街にあった小さなお肉屋さんへ。その場で揚げてくれる熱々のササミ揚げを食べながら遊ぶことが、当時のマイブームでした。
ササミ以外にも、豚バラのチーズ巻きや地元の人からその名も「ガブリ」と名称付けられているソーセージの揚げ物などが売られており、お小遣い制の小学生にも優しい100円以下というリーズナブルな価格でした。あの味を思い出すだけでお腹がなりそうです。

中学ではソフトテニス部に所属。中学校では商店街から遠く離れてしまい、小学生の頃に行ってた駄菓子屋やお肉屋さんにも行くこともなくなりました。無理してでも行っておけば良かったと今更になって思います。

淡路島育ちの中学生は、高校生になると島外に出る人が増えます。
島外に出ると、同級生は兵庫県内で栄えている神戸市や姫路市、明石市など都会育ちの子ばかり。

淡路島出身というだけで「田舎」というレッテルを貼られ、クラスメイトからのあだ名も「淡路」と呼ばれたり、青春時代は淡路島のことを恥ずかしいと思いながら学校に行く日々でした。母の実家が近いこともあり祖父母の家から通うことも増え、淡路島に帰るのも少なくなっていきました。

新しくなっていく淡路島。

「淡路」というあだ名も時間とともに薄れ、淡路と私を呼んでいた子ともいつしか友人に。毎日神戸や三宮といった都会で遊ぶ日々を送っていました。青春時代を謳歌していた私は、全く淡路島の変化に気づきませんでした。気付いた頃には、私はもう高校卒業間近。山側の水遊び場があった自然豊かな大きな公園や、海側の小さな商店街の賑わいがいつの間にか消えていたのです。

島の高齢化が進んで過疎化が進み、通っていた保育園や幼稚園は廃園。商店街も廃れてしまい、大きな県立公園は大手が買い取り、空き地の殆どが有料のアミューズメント施設に変わりました。

遊んでいた水場があった場所にできた施設

観光名所と呼ばれる場所も増え、島の衰退をよそに観光客だけがドンドン増加。
来島する人の層も自然を愛する人から、アニメやキャラクターのファンなどの若い層に変わった気がしました。

ツーリングロードも整備されたことで有名になり、美しい海の景色の中でツーリングを楽しみに来る人も多く居ます。しかし淡路島は車道が狭く、国道も二車線。山道になるともっと狭くなって一車線。観光地として人を呼ぶには、おせじにも道幅や道路のインフラ整備が充実してるとは言えません。

最近はGoogle mapのナビでも、最短ルートを提示してくれるので、渋滞を避けるために、観光客は街頭の照らされていない道に導かれているようです。国道も車通りが増えたせいで渋滞はもとより事故も増え、地元住民は連休や休日に車で外出することがおっくうになっています。
最悪なのは、安全運転を心がける高齢者に対して、爽快に走りたい観光客があおり運転をすること。大げさでなくこんなこともよく見かけます。

いろんな施設ができ、テレビに取り上げられ、観光客は増え続ける一方、インフラ設備が整っていない状況での観光地施設の増加は、地元住民にとっては不利益ばかり生んでいるように感じます。
長く地元に住む人は皆が口を揃えて、「淡路島は治安が悪くなってしまった」と少し寂しそうにこぼします。

大分県別府市に移り住んでから「私、淡路島出身で…」というと「良いところだよね〜!」と、とても有り難いお言葉を頂くのですが、正直、私は昔の淡路島の方が好きだったりします。

就職活動で色んな地域を見て回ったのも、心の中のどこかで故郷である淡路島と、似ている地域を探していたのかもしれません。
海や山に囲まれ、郷土料理や魚の味付けも似ている大分県別府市に魅力を感じたのだと思いました。

グラフィックデザインとの出会い

今振り返ってみるとグラフィックデザイナーになりたいという気持ちが強くなったのは高校進学の進路を決める時。自分が大好きなイラストを描いていける仕事についてインターネットで調べたり、友人・先生に何度も相談し、将来の夢に据えたことがきっかけでした。

「芸術大学にいって、早くデザインスキルを身に着けて就職しよう。」
当時の私は、経済面の考慮から家から通える芸術大学を選んだのでした。

高校3年生の夏休みに美術室の鍵を借りて入り浸り、初めて自分のポートフォリオを作りました。まだ手掛けた作品も少なかったので、「高校で何を学んできたか」を面接で話すことに重点をおく、という戦略のもと何とか合格することが出来ました。

高校3年生の頃、面接のために描いた馬の絵

順風満帆のキャンパスライフを堪能していた1年生の終わり、突如新型コロナウイルスの流行によって私を取り巻く環境は一変してしまいました。

大学1年生の頃描いた『自分という存在』 

授業の殆どがオンラインに切り替わり、毎日自宅で授業を受ける日々。友人と仲良く楽しんでいたランチも、時間を忘れて夢中になっていた他愛ない話をする機会も奪われてしまいました。2年生からはゼミを選ぶために久しぶりのキャンパスに胸を弾ませながら足を運ぶと、仲の良かった友人の姿はそこにありませんでした。

新型コロナウイルスによる多くの企業が経営不振になった影響に巻き込まれ、「親の失業で自分は働くことになった」と、連絡が来ました。その他にも、精神的に病んでしまった友人などが周りに増え休学者が続出。一緒に学校に行く友人が一気に居なくなってしまいました。

ゼミに所属しても、授業はオンラインのまま。オンライン授業に慣れていない教授は対応に追われ、本来享受できる授業内容であったとはいえなかったかもしれません。入学当時とは大きく変わってしまったキャンパスライフ。自宅に引きこもることが増え、長く勤めていたアルバイト先からも「お客さんが来ないから…」とシフトを減らされてしまいました。

友達と会う時間がなくなった分、家族や飼い猫と過ごす時間が増えました。
観光ニーズ減のニュースを他所に淡路島はコロナ禍でも観光客や旅行客の数が減ったような実感はありませんでした。それでもなぜか車通りは少なくなりドライブを楽しめる環境に。私は祖母と淡路島内をドライブして景色を満喫。

「あぁ…やっぱり自然は良いなぁ。」と、都会ばかり行っていた1年前とは真逆な生活にいつしか満足していました。

ドライブしながら祖母と色んな話をしたり、母とも過ごす時間が増え、「家族と過ごすこの時間がずっと続けばいいのに。」とも思いました。しかし、バイトもせず家でダラダラと過ごし、いつまで経っても成長しない、そんな自分に嫌気が差していました。今思えば、この期間がなければ私は家を出る決断をしなかったと思います。

大学3年生になると徐々にコロナも落ち着き、大学に足を運ぶことが増えました。呑気に新型コロナの自宅時間を過ごしていた私は、3年生から就職活動が始まっていることに気付きませんでした。周囲にはもう内定をもらった人も。全く就職について考えていなかった私は焦って、就職活動を始めました。

ゼミ内で制作した「LGBTQIA+」のポスター/飲料のWEBサイト

夢を絶たれた就職活動。

何気無く、絵がかけるからという理由で学んだグラフィックデザイン。
これを仕事にできるのかなと、モヤモヤと私の心に残ったまま就職活動を開始。キャリアセンターではリクナビとマイナビの登録案内を促されるのみ。

あまりの準備不足に何から初めて良いか分からなかったので、目についたグラフィックデザイナーの募集にエントリーし、会社説明をオンラインで聞きつづける毎日。

中には面談と記載されているのを見て、「オンラインで会社はどういうものか質問ができる!」と思って申し込んだら、実は面接だった。なんてこともありました。(苦笑)

内定も無いまま3年生後期に差し掛かり、待っていたのは卒業制作。芸術大学生活最後の砦です。私の通っていた大学では卒業展示があり、美術館やホールを貸し切って全学科の学生が、最後の作品を飾る大掛かりなものでした。

グラフィックデザインとの出会いは、パッケージデザインだったことから、
卒業制作はパッケージデザインと商品のブランディングを選択しました。

しかし、就職活動と卒業制作の平行は思っていたよりも難しく、期限に迫られる日々。就職活動では、ポートフォリオやエントリーシートの作成と、面接日程調整。面接前には学校のキャリアセンターに行き、履歴書の添削や面接練習もしてもらいました。

卒業制作でも、中間発表やゼミの先生との面談。
毎日のスケジュールがパンパン過ぎて、今思い返しても身が震えます。

焦る気持ちに反して卒業制作は遅々として進まず、教授にも心配される程でした。

この時、初めの頃にあった変なモヤモヤの姿をようやく理解したのでした。

私にはデザイナーとして心からつくりたいものがなかった。

絵だけを信じてきた自分にとっては1番と言ってもいいほどの挫折。
これからの自分の人生への迷いを感じました。

就職活動のなかでもグラフィックデザイナーとしての評価を頂けず、
二次面接か最終面接止まり。
「絵を描くのが好きだったから、活かせる仕事がしたい。」と、堂々と言っていた高校生の頃の純粋な気持ちはすっかり消えてしまい自分が本当に何がしたいのか分からなくなり、目の前が真っ暗になったような思いでした。

友人から続々届く内定報告を横に、ただ絶望に暮れる私。
自分探しの助けになればとSNSの広告に釣られて適性診断をやってみれば、就職支援の営業電話がかかってくる有様。正直この時期の私は、本当に精神的にヤバい状態に陥っていたと思います。

とにかく1社だけでも内定をゲットしとかないと。

自己評価は別として、教授から高評価を受けたものは自分の描いているデジタルイラストや、キャンバスと筆で描いたアナログイラストとWEBデザイン。正直、WEBデザインは自信はありませんでした。HTMLのコードも曖昧…。

色々考えた結果、「自分の絵は活かせないけど、WEBデザイナーとしてはもしかしたら…」と、可能性を信じてWEBデザイナーをメインに応募していきました。

スカウト制のアプリを使い、同じ大学の先輩が就職したという
神戸の企業から連絡を頂き、会社説明会と面接へ。
晴れてWEBデザイナーとして内定を頂きました。

今振り返ると本当に申し訳なかったのですが、流されるままスカウトを受け取り選考に進んでいたことで、内定を頂くまで自分がこの会社で何をするのか、全く思い描けないままでいました。勝手なもので内定の安心感とは別に私の中で諦めて捨てたはずの「絵を活かせる仕事がしたい」と、いう思いがフツフツと湧き上がってきました。
現実と夢の間で揺れ続けた私は大学のキャリアセンターに足を運び、沢山相談しました。

「私、多分グラフィックデザイナーに向いていないです。
 でも、絵を活かしたいんです。」と打ち明けると、担当の方はただうなずいて私の話を聞き続けてくれました。最高の壁打ち相手になってくれたと思います。

グラフィックデザイナーの道を諦めきれなかった私は、改めて自己分析をした上で就活を再開しました。

ある企業で最終面接まで進むことが出来たのは縁もゆかりもない九州の企業。面接を受けるために人生で初めて九州の土を踏みました。そこには都市部とは違う魅力が広がっていました。観光地も周りにあって、自然もある。ご飯は美味しく、気温もさほど関西と変わらない。人も温かい。いい街だと思いました。

「ここなら、自分でも成長できるかも。」

その思いも空振りし、この企業とはご縁がありませんでした。私の気持ちはポッキリと折れ、グラフィックデザイナーとしての未来を諦めました。落ち込んだ、というより何だかスッキリやりきった気持ちでした。

就活を終えた開放感と卒業制作でボロボロになった心の癒やしを求めて、気分転換に、と温泉を楽しむために訪れた別府。

おしゃれな旅館に泊まり、部屋についていた大きな檜造りの露天風呂を満喫。別府市のレトロな町並みと、大きな山(高崎山)。山には白く雪が被さり、湯けむりがモクモクと沢山上がっている光景に、感動しました。日本にこんな素敵な地域があるのかと。

大学生の頃、色んな県を見て回りましたが、あの頃の感動はいつまで経っても忘れられません。「さんふらわあ」という大きな船が出ており、関西も近く感じられることから、地元と繋がっているような気がしました。

すっかり心を癒やされ、「ここに住みたい。」と心の底から強い思いが溢れ出しました。

エントリーを締め切っている企業が多い中ではありましたが、マイナビで大分県内に絞り込み、もしまだ何か縁があれば…と、検索。

グラフィックデザイナーやWEBデザイナーの募集は無かったのですが、
興味のある分野で、自分の絵を活かせそうな仕事は…と、眺めていると、ある企業が目に入ってきました。

有限会社エイコー印刷。広報を募集していたこの会社の求人が気になってしまいました。

大分県別府市はシールでも有名?「エイコー印刷」

エイコー印刷は大分県別府市にあるシール・ラベル専門の印刷会社。
会社説明会で訪れた社屋は印刷会社とは思えないきれいな外観で、海沿いで工場地帯とは思えない景観の良い場所にあります。

社長の安部は元マイナビ出身。私の父と年齢も変わらず、家族を大切にしている方でした。自己紹介の時に「営業の星の下に生まれたと思っている…」と語り、いい意味で社長らしくない現場感漂う人でした。

従業員数は23名。継続勤務年数が長い方が多く、年齢層も幅広い。働いている人数が少ない分、仕事は一人二役以上。高効率経営でメリハリの効いた働き方をしている、と。

印刷会社は残業が多いイメージがありますが、創業時から根付く完全定時内就労の文化(1人あたり月0.5時間以内)で、ズラリと並ぶ19台の設備は同業他社だと100人から200人規模に匹敵するレベルの台数と聞き心が踊りました。

毎年採用活動をしていない上に、今回の募集要項は初めての「広報・PR」。社長の新しい取り組みで、今まで自分が行っていた各SNSの運用や、HPの製作事例やブログコンテンツへの強化を目的とした求人でした。

40歳を超えて、最早自分がネット社会で活躍する主力の世代ではなくなったと自覚したことで広報・PRを新卒で募集するに至ったと、会社説明会で話してくれました。

エイコー印刷での面接や内定の出し方も、なかなかにインパクトがあるのですが、またの機会にじっくりお話したいと思います。

入社してからも、県外から来た私を受け入れてもらえるか不安だったのですが、皆さん私に優しく接してくれました。
私は普段通勤は自転車なので、まだ車も持っていない私を気遣ってくださって、雨の日は送迎してくれたり、買い物に遠出は出来ないだろうと、連れて行ってくださる優しい先輩に囲まれています。

人間関係も大きく変わった私の人生。いろんな土地を見回って、暮らしてみることで自分の人生への可能性や、親元を離れて自立する大変さを痛感しました。

キラキラして見える広報の実態は、思ったよりも泥臭く、毎日下積みで奮闘の日々…。これもまたの機会にじっくりお話ししたいと思います。(笑)

2024年の4月からは新卒で技術者2名入社で私も先輩になります。
社会人の先輩としてしっかりせねばッ!と、毎日奮闘中です。

ここまでnoteを読んで頂き、ありがとうございます。

もしよろしければ、今後も私の就活やリアルな移住型就活のお話しを綴っていきたいと思っていますので是非フォローして頂けると幸いです。

それでは今回はこの辺で。

企業noteの運用も始めましたので、是非こちらも見ていただけると嬉しく思います。


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