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A FILM ABOUT COFFEE を観て

僕はコーヒーが好きだ。勤め先にはコーヒー部があってそこに所属している。今はフルリモートなのでメンバーが集まる事はオンラインでしかないけど、コロナ前は会社に着いてすぐにお湯を沸かし、豆を挽いていた。
オフィスに出社していた時は誰ともなく豆を持ち寄り、朝やランチ後には誰かが淹れ始め、自然とコーヒーポッドの前に人が集まりさりげない雑談が生まれていた。

コーヒーには平和な空間を作り出す力がある。事実コーヒーを飲むときは平和な時だ。苛立っている時や喧嘩中に飲む事は無いと思う。

つまりコーヒーは平和の象徴と捉える事ができる。

昔はコーヒーができるまでの時間やプロセスについて考える事もなかったが、今は待ち時間や自分で淹れる場合はそれも含めてコーヒーを楽しむ時間と考えるようになった。

前置きが長くなったけど、コーヒーは飲む時だけが楽しみではないと勝手に解釈している。この映画を観てそれもやはり正解の気がした。

コーヒー豆にはグレードがあって、この映画はスペシャルティコーヒー市場の生豆バイヤーや大会で勝ち抜いてきたバリスタ、強い拘りを持つコーヒーショップのオーナーを中心にその活躍を追ったドキュメンタリーである。

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画像引用元:コーヒー豆研究所

劇中のインタビューではそれぞれの立場から各々の考え方が理解でき、プロフェッショナル としてのアイデンティティがひしひしと伝わってきた。
ルワンダの生産者が初めて自分達の採った豆でできたコーヒーを飲んだ時の表情はなんともほっこりした。
そしてブルーボトルが日本の純喫茶に影響を受けて創業されていた事は知っていたけど、その真意も劇中の創業者インタビューで語られていた。

東京のブルーボトルではそのような背景を知ってか知らずか若者が行列を作っていた。今はコロナだから人も少ないのだろうけど、そんな創業ストーリーや日本人が与えた影響より「なんか海外からイケてる感じの店がやって来たからインスタにあげたい」という気持ちの方が行動喚起になるんだろうなぁと思うと何とも複雑な気持ちになった。

最近の仕様は分からないけど、マッチングアプリの UI / UX でコーヒー豆と出会えるアプリがあっても素敵と思えた。それこそ「味から選ぶ」や「産地から選ぶ」のような煩わしいテキストはいらなくて直感的に楽しく選べるようなやつ。

そしてこちらは最近僕が行ったお店の中でゆっくりコーヒーを楽しめると感じたyoshinori coffeeからの写真。

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この映画を観て「味わう」は勿論、「待つ」や「淹れる」事だけではなく、「生産の過程」も含めてコーヒーの楽しみ方の一つなのではないかと思えた。

映画の時間もそんなに長くないのでよろしければ是非。


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