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本日からダイヤ改正

こんばんは、岡山出身ので―学生です。

今年はコロナウイルスのせいもあり、様々なものが制限がかかったり、生活もガラッと変わりました。

これは、もちろん鉄道業界においても例外ではありません。

深夜帯の乗車率が減少し、終電の繰り上げ。日中でも乗客が少ないこともあり運航の現象と鉄道各社の方々は様々な知識を出し合った結果このようなことになってしまったと思います。お悔やみ申し上げます。

そして、それは歴史ある電車にも影響を与えてしまいました。

今回は、歴史ある電車様の方々にありがとうの思いも込めて記事を書かせていただきます。

まずは、大雑把に紹介していきたいと思います。

185系特急形電車は、日本国有鉄道(国鉄)が東京と伊豆半島を結ぶ特急・急行の置き換え、および上野と北関東を結ぶ急行の格上げ・置き換えを目的に開発され、1981年3月にデビューしました。国鉄時代に登場し、鉄道愛好家から「国鉄型」と呼ばれている電車の一つです。
2021年3月13日に予定されているダイヤ改正で、185系が定期運用に就いている特急「踊り子」および「湘南ライナー」から引退することが発表されていて、首都圏で最後の国鉄型電車となっている185系は、ファンから熱い注目を集めました。
また、この3月ダイヤ改正をもって185系を使用していた臨時夜行快速「ムーンライトながら」の廃止が正式に発表されました。「大垣夜行」と通称されていた。
185系の引退で、残る国鉄型特急車両はJR北海道のキハ183系、JR西日本の381系、JR四国とJR九州のキハ185系のみになります。


ここまででも引退した車両の魅力がお分かりいただけたと思います。

なので、ここからはマニア向けに書こうと思います。

■JR東日本185系「踊り子」

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今回のダイヤ改正では、特急形車両の引退は185系だけだ。185系は東京から伊豆方面に向かう特急「踊り子」で長年活躍していたが、後継のE257系にバトンタッチされる。E257系は中央線の特急「あずさ」「かいじ」などで使用されていたもので、伊豆方面向けに転用されて車体色や車内を一新、既に2020年3月のダイヤ改正から踊り子の一部で使用されている。

185系は国鉄末期の1981年に登場した特急形電車で、現在は首都圏をはじめとする関東エリアだけで見られる車両だ。特急形と言っても、当時は車両の運用(やりくり)の都合で、特急列車のみならず普通列車にも使用する必要があり、グリーン車を除いて各車両に2カ所の扉を設け、かつ扉の寸法も1mと大きくして通勤輸送などにも対応できるように造られた。本来なら、特急よりも格下の急行用とするべき車両だったのかもしれないが、登場当時の国鉄では慢性的な赤字を抱えていて、特急として少しでも収益を改善しなければならなかった事情もある。

伊豆方面の特急が踊り子という名前になったのは185系登場後の話で、それまでは特急踊り子と急行「伊豆」という2本立てとして運転されていた。185系は1981年3月から東海道線の普通列車でデビューし、次いで急行伊豆で使用され、185系の数がそろったところで1981年10月に特急「あまぎ」と急行伊豆を統合、特急踊り子となっている。

185系は特急踊り子に加えて高崎・上越方面向けも登場、大宮まで暫定開業した東北・上越新幹線と接続するべく、上野―大宮間を結んだ「新幹線リレー号」にも使用された。こちらは踊り子用の緑のストライプカラーから車体色を変え、緑色のラインとしていた。

高崎・上越方面向けは1982年3月から高崎線方面の急行「あかぎ」や急行「草津」などで営業運転に就き、東北新幹線が開業した1982年6月から新幹線リレー号で使用されたほか、同年11月からは特急に昇格したあかぎなどにも使用された。

1985年に東北・上越新幹線の大宮ー上野間が開業し、新幹線リレー号が廃止された後は、新特急「なすの」・「草津」・「あかぎ」などの上野発着の高崎・上越方面等の特急で使用された。手軽に乗れる特急として「新特急」という名前が付いていたが、後に「新」が消えて特急に集約、高崎・上越方面の特急の縮小に加え、常磐線の特急から651系が転用されたことで、2016年までに高崎・上越方面の特急からは退いている。

今回、40年間にわたって活躍していた特急踊り子に加え、ホームライナー(着席列車)の「湘南ライナー」が特急「湘南」に改められることで、185系の定期運行は終了する。だが、当面は団体列車や臨時列車で使用される予定で、完全な引退は少し先になりそうだ。

ここで、私からのワンポイント

踊り子は長年にわたり東京から伊豆方面をつないできた特急であります。私もお目にかかったことは何度もありますが、近代的な電車とは違いすこし乗り心地のが悪い。このようなところも愛おしい所でした。また、引退が決まり崎陽軒から緑のラインが特徴的な限定のお弁当も発売されたこともあり、踊り子は観光目的の電車でもありましたが地元の方々などから愛されていた電車であります。

また、湘南ライナーこと通勤ライナーはビジネスマンの方々の憩いの電車でありました。必ず座れる電車を売りに頑張ってきましたが40年という長い歴史に幕を閉じてしまいます。今思えば、520円ほどの特急券代をケチらなければよかったなと後悔しかありません。まことに残念です。

■JR東日本 キハ40系

JR東日本の秋田地区では、地域輸送で使用されるキハ40系気動車(ディーゼルカー)の置き換えが完了する。男鹿線では2017年から蓄電池電車のEV-E801系が投入され、五能線などでは新形の電気式気動車GV-E400系が2020年12月から営業運転に就いたばかりだ。2021年3月のダイヤ改正では、男鹿線の車両がEV-E801系に統一されるほか、五能線などではGV-E400系の導入が進み、JR東日本のキハ40系が完全に置き換えられる。

キハ40系は1977年に登場した国鉄のローカル線向け気動車で、細かく仕様を変えながら北海道から九州までの全国各地に導入された。JR発足時にはJR北海道からJR九州まで、6つあるJRの全旅客会社に継承されたが、既にJR東海では2016年にキハ40系の置き換えを終えた。JR東日本でもキハ40系の淘汰が進み、2018年に八戸線から、2020年には新潟地区と只見線からキハ40系が引退している。

 JR東日本のキハ40系では、地域別に独自の車体色を採用し、秋田地区のキハ40系では白をベースに男鹿線向けが緑、五能線向けが青としているが、塗り分けはそろえている。また、五能線向けではキハ40系登場時の車体色も復刻、首都圏色と呼ばれる朱色5号の1色塗りの車両もあり、運転時刻も公開している。なお、五能線向けは津軽線でも使用され、秋田にある車両基地(秋田車両センター)から車両を送り込む都合で、奥羽本線も走っている。

秋田地区のキハ40系が引退することでJR東日本からキハ40系が消え、JRグループでキハ40系が残るのはJR北海道・JR西日本・JR四国・JR九州の4社となる。

ワンポイント

キハ40系は完全消滅はしませんが秋田地域からなくなるのはちと惜しい。あののんびりした風景をバックに走るキハ40系は絵にならないはずがない。一度でいいから秋田を走る向けるキハ40系はを見てみたかった。

■JR西日本から消える国鉄形交直流電車

 JR西日本では、北陸地方の七尾線で車両の置き換えが進み、新形車両の521系100番代の導入が完了することで、415系800番代と413系が引退する。

 415系800番代は1990年に登場した交直流電車で、翌年に電化が完成した七尾線向けの車両だ。関西地方の東海道・山陽本線や福知山線などを走っていた近郊形電車の113系を改造したもので、七尾線自体は直流で電化されたが、七尾線から交流電化の北陸本線に列車が直通する都合で、直流・交流のいずれの電源でも走行することができる。

 改造元の113系は20年近くにわたって製造されたロングセラーの車両だが、415系800番代に改造された車両は初期に製造された車両ばかりだ。前回の東京オリンピックが開催された1964年製の車両も存在しているが、2度目の東京オリンピック開催後に引退すると思いきや、東京オリンピックのほうが延期となり、415系の引退が先となってしまった。

 なお、当初から415系として作られた車両はJR東日本とJR九州が引き継ぎ、JR東日本の車両はすでに引退したが、JR九州の415系は数を減らしながらも現役で走っている。

 413系は1986年に登場した交直流近郊形電車で、老朽化した急行列車用の急行形電車を改造し、普通列車で使いやすい車体に作り変えた車両だ。北陸本線の普通列車で使用されていたが、2015年の北陸新幹線金沢開業後は七尾線関連の列車で使用され、現在は415系800番代とともに茜色に塗り替えられている。413系・415系800番代とも、前から見るとよく似た電車だが、415系800番代は片側3カ所に扉があるのに対し、413系は片側2カ所としている点が異なる。

また、413系の中には急行形電車に運転台を取り付けて使用している車両があり、クハ455形700番代という急行形電車時代の形式で使用されている。413系は扉が車体中央に寄っているが、クハ455形700番代は扉の位置が端に寄っていて、急行形電車の特徴を残している。

 JR西日本の413系も415系800番代とともに引退予定だが、あいの風とやま鉄道では413系が引き続き使用される。あいの風とやま鉄道が北陸本線の富山県エリアを引き継いで2015年に開業した際、JR西日本から譲り受けた車両だが、あいの風とやま鉄道では413系の一部車両を改造し、「とやま絵巻」や「一万三千尺物語」という観光列車として運転している。

 紀伊半島を走る「きのくに線」(紀勢本線)では、紀伊田辺―新宮間で使用されてきた105系が引退し、新形車両の227系1000番代に置き換えられる。227系1000番代は現在、和歌山線・桜井線と、きのくに線の和歌山方を走っているが、車両を追加投入して走行エリアが拡大される。

 105系は1981年に登場したローカル線向けの電車で、当初は片側3扉の新車が作られたが、1984年に奈良線・和歌山線(五条―和歌山間)が電化開業した際、首都圏で使用されていた103系を改造したグループが登場し、こちらは片側4扉となっている。

 きのくに線から引退する105系は3扉のグループが大半だが、4扉のグループも2編成だけ残っていた。この2編成はいずれも常磐緩行線で使われていた103系1000番代を改造したもので、現在の東京メトロ千代田線も走行、103系の時代から先頭車だったクハ105形もあったのだが、こちらはダイヤ改正を前にして引退した。

 きのくに線の105系が引退すると、オーシャングリーンに塗られた車両や4扉のグループが消滅する。だが、105系が登場した時から走っている宇部・小野田線や福塩線では、濃黄色に塗られた3扉のグループが引き続き使用される。

■上越新幹線・大村線にも引退車両が

 このほか、上越新幹線・大村線ではダイヤ改正後に引退予定の車両がある。

 1つはJR九州の大村線を走るキハ66・67形で、後継のディーゼルエレクトリック(ハイブリッド)車両のYC1系に置き換えられて引退する見込みだ。

 キハ66・67形は1975年に登場した快速用の気動車で、山陽新幹線博多開業に合わせて設定された筑豊地区の快速列車向けとして作られた車両だ。当初から冷房を備え、高出力エンジンを搭載していたほか、客室には転換クロスシートを備えたハイスペックな車両で、国鉄時代には急行列車として使用されたこともあった。

 2001年に現在の福北ゆたか線が電化されたため、長崎地区に順次転用されたが、現在は大村線沿線の海をイメージした青い塗装のほか、国鉄時代の塗装を復刻した車両もある。また、沿線のハウステンボスをイメージして車体にオレンジ色の塗装を施した車両もあるが、こちらはすでに営業運転から退いている。

 2020年3月のダイヤ改正からYC1系が営業運転に就いたが、順次数を増やしているので、キハ66・67形が完全に淘汰されるのも時間の問題となるだろう。

■上越新幹線から消える2階建て新幹線

 2階建て新幹線のE4系が上越新幹線で最期の活躍をしていて、今秋には引退する予定だ。後継の車両として北陸新幹線でも活躍しているE7系が使用され、上越新幹線では2019年3月のダイヤ改正からE7系が営業入りしている。

 本来ならば、E4系は2020年度中に引退する予定だったのだが、2019年の台風19号で北陸新幹線向けのE7系が長野新幹線車両センター内で浸水し、被災車両を廃車とせざるをえなくなったために、新幹線の車両が足りなくなってしまった。この穴埋めをするべく、上越新幹線向けのE7系を北陸新幹線に差し向けたため、E4系の廃車が先送りされた形になる。

 2021年のダイヤ改正では、JR北海道で新形の電気式気動車H100形が旭川地区や苫小牧地区にも進出し、老朽化した車両の淘汰が行われるほか、2021年度にはJR東海で新形車両の315系が登場する予定だ。新形車両に加え、現役を引退する車両にも注目されることになるだろう。

■ムーンライトながら

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多くの青春を乗せたであろうムーンライト。大垣から東京の夜行電車で青春十八きっぷで行けるとして人気を集めた夜行列車です。現在はサンライズ出雲・瀬戸があり快適に夜中に東京に行けますが、昔はこの夜行列車にのり完全には寝ころべないリクライニングシートに座り腰を痛めた人たちが多いのではないでしょうか。今の40代から60代の人は思い入れがあると思います。高校生、大学生の時にお金のない中でいかに安く東京に行くか。そのために使われていました。また、日を超えるので夜中に車掌さんが巡回に来ることもこの列車の名物です。トイレも今では考えられないものがあったりと乗るとタイムスリップしたようにおもえる列車でした。この列車は期間限定でもいいので復活したほうがいいと思う。

■銀河

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この電車は、いままで期間限定で山陽・山陰を通ってきました。実物を見に行きましたが非常に内装もきれいで爺さんになったら銀河で豪遊したいと思います。

■南風

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岡山から高知をつなぐ電車でした。しかし、これからは岡山には来ません。最後岡山駅にとまった南風をみればよかったと後悔しています。


いかがでしたか。今回のダイヤ改正で引退などする電車・列車は多いです。まだ乗れていない電車もあったので悲しいです。また復活することを願っています。そして、新型の列車が出ることも楽しみにしています。


なお、この記事は鉄道趣味ライター柴田 東吾 さんの記事を一部引用させていただきました。

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