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『まなの本棚』(芦田愛菜)が思い出させてくれたこと

『まなの本棚』は映画、ドラマ、CMで活躍中の女優・芦田愛菜さんが自身の好きな本や読書に対する思いを語った本。

本が大好き!いろいろ好きだけど、辻村深月さんが大好き!

ということだったので、手元に届くのが待ち遠しかった。私も辻村深月さんの本は大好きである。

さっそく読み始めると、芦田愛菜さんがこれまで読んできた本や、山中伸弥教授、辻村深月さんとの対談が読めて「本ってすごいな」と思った。こんなにいろんな人を夢中にさせ、芦田愛菜さんをドキドキハラハラさせたりして、芦田愛菜さんがすごいというより(すごいはすごいが)、本ってすごいな。と思った。

しかし、最後まで読んだ時には「えっ。そうなのか・・・えっ?」と、ちいさな衝撃とも違和感ともいえるようなものが残った。

彼女の本に対する考え方が私のそれとあまりに違ったからだ。

まず、芦田愛菜さんは本に対して次のように話している。

・本がない人生は考えられない
・登場人物のいろんな経験が疑似体験できる
・本と一緒に人生を歩めていることがとても嬉しい
・本がある環境をつくってくれた親に感謝
・これからも読み続けていく

このあたりまでは「ふむふむ」と思えるのだが、

世代や立場が異なる人同士でも、「本」を通じてつながることができるんだ、この本を作る中で強く感じました。
これからも、本がきっかけで出会ったりつながれたりする人たちがいるのかなって考えるとそれも楽しみです。

この引用からも分かるように、彼女は本を「コミュニケーションや出会いのツール」としてとらえているのである。

私は真逆だ。

私は、本は、自分と外の世界を断ち切ってくれるもの、遮ってくれるもの、匿ってくれるもの、殻に閉じこもらせてくれるもの、と、無意識のうちにとらえ、本にはそういう働きを期待していたように思う。

だけど彼女はこんなに天真爛漫に「本はつながるツールです」って言える。すごいなと思った。

その言葉通り、彼女は山中伸弥教授や、「神様」とまで言い切る辻村深月さんとの対談を実現させている。彼女にとって本とはまさにつながるツールである。

本は読者がとらえたいように「楯」にも「剣」にも「椅子」にも「テント」にも「おやつ」にもなりうるものなんだろう。その他いろんなものに。

ここでふと自分のことをふりかえってみる。幼少期に、数十冊の絵本セットが家に届いた。「訪問販売で断りきれなかった」と母が言っていたように思う。

私の父も母も私が知る限りあまり本を読まないので、その点は訪問販売員が訪問してくれたから読書体験ができたのかなとも思うが、どうだろう。またべつの方法で出会っていたかも知れない。

いずれにしてもある日突如としてあらわれた絵本セットは、自分の家にたくさんの絵本があるというその状況は、友達とわいわい遊ぶのが苦手だった私をとてもワクワクさせた。

友達と遊ぶ以外の楽しみ方があるんだ!

いろんなサイズの、手ざわりの、絵の、文の、本を引っ張り出しては、本棚にさし、また隣の本を引っ張り出した。

内容どうこうより、本という物質に対して萌えていたようにも思う。

いまだに装丁を眺め回したり紙の手触りを楽しんだりページのにおいをクンクンすることは大好きだから。

今思えば、この頃がもっともまっすぐに「本を好き」と言えた時期だったかも知れないと思う。

小学校に入ってからも図書室へはよく行っていたが、高学年になるとちょうどそのころ(たぶん)一般家庭にも普及し始めたインターネットに夢中になって、中学高校ではたまにしか本を手に取らなかった。

「もったいなかったな」と思う。今は。この頃に読んだいくつかの本については、とても印象に残っている。もっと読めば良かった。もっといろんなものに触れておけば。でもなんとなく「本に書いてあることで頭がいっぱいになるのは嫌だ。ありきたりなもので埋めつくされたくない」みたいな、ひねくれた自意識過剰があった。あとインターネットの存在感が強烈だったし、発信することに夢中になった。

あれから20年以上。メルマガで詩を発信し始めた当時小学生だった女児は、今もブログを続けている。それはそれで大切な時間であったことに変わりはない。比べるものでもない。

あいかわらず発信に比重が傾きがちな私だが、情報が足りない時やどうしようもない時などは本を手に取る。

そして『まなの本棚』を読んで「本って、読書って、こんなに純粋に楽しんでいいんだ。好きって言っていいんだ。誰かに感想を伝えたり、ここが良かったよねって討論してもいいものなんだ(しなくてもいいものなんだ=自由にふれていいものなんだ)」と感じ、ふたたびいろんな本に手を出すようになった。

さいきん読んだのは塩田武士さんの『罪の声』。グリコ森永事件を題材にした、どきどきはらはらのストーリーである。おもしろかった。

自分がちゃんと好きになれていないようなものを「好き!好き好き!」って言っている人を見るのはつらいことだと、劣等感を刺激されるようなことだと思っていた。

でも、そうとも限らない。

「あ、そうか」「それもそうだ」そんな気づきを与えてくれたりもする。

読みそこねた本、気になっていたのに素通りした本、人がすすめていたゆえに避けてきた本。

「もういいんだよ。好き好きって言っても、言わなくても。読みたければ読めばいいのに」

そんな、当たり前のことを思い出させてくれた本である。

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