奇説 今昔物語集 vol.006 -明尊僧正、三井寺へ行く-篇

 「天下之一物」として、源 頼光とともに並び称された平家の武士、平 維衡(これひら)と平 致頼(むねより)。坂東平氏として、関東に領地を持っていた二人は、伊勢の所領を巡って抗争を繰り広げます。最終的には維衡派が勝利し、清盛まで連なる伊勢平氏が始まるわけですが、今回の主人公は敗れた側の致頼の子、平 致経(むねつね)です。

1.藤原頼通と明尊

 今は昔、宇治殿の権力が全盛を誇っていた時のこと、三井寺の明尊(みょうそん)僧正が祈祷のための夜居僧として勤めていた。

 宇治殿とは藤原 頼通のことで、父親の道長

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば
「この世は 自分(道長)のためにあるようなものだ 満月のように 何も足りないものはない」

『小右記』、原文は漢文

と大言壮語した人で、この頃、藤原北家の摂関政治は最高潮の水位になったと言える。また、道長の時代から宇治に別荘を構えていたため宇治殿と呼ばれるが、その建物は現在の10円玉の図柄としても有名な平等院鳳凰堂のことである。

 一方の明尊僧正は、平安中期に「王羲之の生まれ変わり」とまで評され、三蹟(三人の書道の達人)と謳われた小野 道風の孫である。歴史の教科書に出てくる「三筆」は、空海嵯峨天皇橘逸勢の三名だが、この人たちはいずれも平安初期の人である。

 さて、この明尊が、頼道の護身のために夜を徹して祈祷を勤めようとしていたときのことである。頼道は、ふと急用ができたらしく、適当な人物が誰もいなかったので、明尊を三井寺に遣わして、その夜のうちに帰ってくるように指示を出した。

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