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ニッポンの勤労観② 禅編

前回に続き、「日本人の勤労観の原点」、つまり日本人にとって「はたらく」ことって元々どういうことだったの?を紹介します。

前回は、稲作を通じた「神様との共創」という考え方が、日本人の勤労観の原点にあったと紹介しました。日常的におこなう仕事のひとつひとつが、この世界をカタチづくる「神様」に繋がっている。だから毎日の仕事を丁寧にやるんだという、世界でも他に類を見ない崇高な精神性です。これは日本古来の土着信仰である「神道」の世界観からくるものですが、一方で日本の外から取り込んだ世界観の中にも、日本人の勤労観に大いに影響を与えたものがあります。それが仏教(特に禅仏教)、そして道教です。

ということで今回のトピックは「日本人の勤労観に影響を与えた禅」がテーマです。

「禅」の勤労観って?

まず「禅」の本来の定義を説明した方がいい気もしますが、それは結構大変で、本筋からも大きく外れてしまう話題になるので端折ります汗。ここではざっくり「禅」=現在日本に広く普及している大乗仏教の一派である禅宗(曹洞宗や臨済宗など)が教えている「坐禅修行を通じて悟りが得られる」という思想、を指すに留めておきます。

禅も仏教の一種なので、最終的に目指すゴール地点はお釈迦様と同じように「悟りの境地に至ること」です。ちなみに悟りの境地に至ると、生きていく上でのあらゆる悩みや苦しみから解放され、この世の真理(この世の正しい見かた)を得られるそうです。(なんだかすごそうですね!?)


いきなり結論から言うと、禅の勤労観とは以下のようになります。

「日々あなたがやっているその仕事こそが、じつは”悟りの境地に至ること”そのものなんですよ」

この教えを聞いて「へー、そうなんだ」と思った方は今の仕事に多少なりとも意義ややりがいを感じているでしょうか。逆に「えっ?そんなバカなwww」と思った方は今の仕事に全くやりがいや意義を感じてないかもしれませんね笑

あのiPodの生みの親スティーブ・ジョブズが学んだ禅が曹洞宗ですが、その曹洞宗を開いた開祖 道元もこの教えに触れ、大いに影響を受けました。

そして、その道元の思想こそが今わたしたちの勤労観の根底に流れている思想の源流でもあります。

典座(てんぞ)の教え

道元は鎌倉時代の禅僧です。道元は24歳のとき、仏道を本格的に学ぶため中国(当時は宋)に渡ったのですが、そこで出会ったのが上の教えでした。

道元が帰国後に書き記した書物の中にこんなエピソードがあります。

道元は宋の港に着き、上陸許可がおりるまで船に留まっていた。すると、
一人の年老いた僧侶が船にやってきた。老僧は修行道場の食事係『典座(てんぞ)』で、港に日本の船が着いたと聞いて晩御飯に使う食材を買いに来たのだった。道元は、本場 宋の仏僧と話せるのが嬉しくて、その老僧に「もっと色々とお話を伺いたいので、今日はここに泊まっていきませんか?」と誘った。しかし老僧は「いや、私は食事の準備があるから」と堅く断ったのである。

 道元は「そんな食事の用意など、新入りの若い者にでもさせればよいではないですか。なぜあなたのように経験を積んだ徳のある方が、坐禅や仏法の議論をせずに、そんな食事の準備などを優先させているのですか?何かいいことがあるのですか?」と老僧に尋ねた。

 すると老僧は大笑いして「日本の若い人よ、あなたは修行とは何であるかが、全くわかっておらぬようだ」と言い残して帰ってしまった。

当時の道元にとって、食事の用意や掃除といった煩わしく面倒な仕事というのはただの雑務であり、坐禅や禅問答といった仏道の探求こそが本務である、つまり雑務と本務を区別していました。しかし老典座は「雑務と本務に何ら区別はないのだ」と道元に教えたわけです。道元はその後、宋の有名な禅寺で修業を積み、正統な仏法の継承者として認められて日本に帰国して曹洞宗を開き、この教えを典座教訓として書物に残します。十数年経ったはずの老典座とのやり取りが鮮明に書かれていたことからも、いかにこの老典座の教えが若き日の道元に衝撃的な思考変革を起こしたかが伺えます。

一般に「禅の修行」というと、坐禅を組んで瞑想する様子をイメージされるかと思いますが、炊事洗濯といった一見、仏法と直接関係ないと思われそうな日々のあらゆる作務のすべてが「修行」であり、悟りに至るために必要な事だと考えるわけです。

言い換えれば、本当に望む結果を得るためには、そこに至る過程(プロセス)もめっちゃ重視するということです。この思想が、禅を通じて日本中に広まっていき、やがて日本独特の””という概念に昇華していきます。

実際に”道”に昇華した有名どころを2つ紹介します。

①茶の湯 ⇒ 茶道

茶道や華道は今や外国人に大人気のジャパニーズ伝統文化の筆頭ですが、作法やしきたりが非常に厳しく細かく設定されています。茶道は、たいへん身も蓋もない言い方をしてしまえば「粉茶にお湯を注いで飲むイベント」なので「抹茶がどんな味なのか知りたい」という結果だけを求めるなら、抹茶粉を器に入れてポットでお湯を注ぐだけなので10秒で終わります。しかし、正統な茶の湯文化を受け継いだ茶道では、客がグイとお茶を飲むその一瞬のために数時間も前からあらゆる準備と手間ひまを掛けるわけです。なぜなら、その準備を含めた一連の過程を茶道の精神として大事にしているからです。

茶の湯を大成した人」として教科書にも出てくる千利休が「茶の湯の神髄は何か?」と聞かれて残した言葉に次のようなものがあります。

「仏法をもって、修行得道する事なり」

「仏道を修行する心づもりで茶の湯の修行を積み、悟りを開くことだ」と言っています。まさに「結果を得るための過程が大事である」という点で「仏道修行と茶の湯は同じ」だといっているわけです。

ちなみに、千利休の先達で「茶の湯の始祖」といわれる村田珠光は、悟りを得るために、あの”一休さん”で有名な一休和尚に参禅を願い出たところ

「仏法は茶の湯の中にあり!」

と一喝されたというエピソードがあります。(※一休和尚は禅僧です)

つまり「悟りに至る道はお前の本業の中にあるのだ、本業の茶の湯を仏法修行として行え」ということです。

この一休さんが珠光に伝えた教えが利休にも受け継がれていたわけですね。

②柔術 ⇒ 柔道

いまや世界的なスポーツとなった柔道を創設したのが嘉納治五郎という人です。明治に活躍した武道家であり教育者です。

嘉納治五郎が格闘技術としての「柔術」を「柔道」と昇華させたのも、単に相手を倒すという”結果”だけを求めるのではなく、その修行のすべてが悟りに至るためのプロセスと考え、礼儀や作法を整え”道”として完成させたわけです。

柔道以外にも、弓道、空手道、合気道など様々な武道が日本にはありますが、どれも元は戦国時代からある武術(相手を倒すための技術)だったわけです。それが柔道と同じように「結果を得るだけでなく、その過程を大切にする」ことで”道”に昇華していったわけです。

③貴重だけど、ちょっと危うい勤労観

このように、禅の思想が無意識のうちに刷り込まれている日本人は、あらゆるものについて最終的な結果だけを求めるのではなく、その過程すらも結果に至るために必要な要素であると捉える見方が身に付いており、勤労観にも出ているわけです。

例えば、野球選手なら「野球道」、役者なら「役者道」など。職業だけでなく、趣味の範囲でも当てはまるかもしれません「これが俺のミスチル道」とか「これが私の村上春樹道」とか。

古今東西、人生を「道」に見立てるというケースはよく見られますが、勤労など結果が求められことにも”道”を見出す民族というのは日本人以外にあまりいないんじゃないでしょうか。前回の神道的な勤労観同様、とても日本らしい精神性だと思います。ただ、この仕事に”道”を見出すことは良い面もあれば悪い面もありそうです。

良い面は、伝統工芸の職人など超絶技巧を持った”匠”がたくさんいるということです。一つの仕事を数十年掛けて積み重ね、磨き上げた技というのは、ある意味で「悟りの境地」に至ったといえます。

ホリエモンが、寿司職人になるのに弟子入りして10年も修行するのはバカげていると言って話題になりましたが、美味い寿司を握るという「結果」だけを求めるなら確かにそうです。ただ、「寿司職人として悟りの境地に至る」には、10年間の修行というのは必要な過程なんじゃないかと個人的には思います。

一方、悪い面としては、この勤労観が「思考停止の免罪符」になりかねない点です。日々自分に与えられた業務を「修行」として捉え、たとえいまは結果が出なくても、積み重ねていけばいつか悟りの境地に至れるはずだ、という考え方は崇高ですが、経済合理性優先の今の世の中では、積み重ねたところで得られるものが小さい仕事がたくさんあります。そういった仕事を30年近く続け、気づいたら「悟りの境地」どころか入り口にすら立っていなかった、なんてことになったら目も当てられません。「修行」が目的になっていないか、自分でチェックするしかなさそうです。

さいごに:サラリーマン道?

私も会社員なので、いうなれば「サラリーマン道」もしくは「ビジネスマン道」ということになるかもしれません。ちなみに「サラリーマン道」でググったらこんな本がありました。

サラリーマン道。評価と賃金を上げ人生の美しき頂きに達するための8つの心得。(潮田奈津 & MBビジネス研究班)

「あなたのサラリーマン道って何?」と聞かれれば、何となくあるような気もします。それはもしかしたら、美学とか美意識みたいなものかもしれませんが。

さて、みなさんの”道”って何ですか?

おしまい。

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