見出し画像

丁度よく怖いラインが無かった話

私は小さい頃とても怖がりで、ホラーはもちろん、アニメやコントに出てくる少し怖めのオバケや普通の大きな人形や銅像や…とにかく色んなものが怖かった。

実況者のわいわいさんを見てても思うけど、怖がりすぎる人って、怖いことが起こるのを先に想像しすぎなんだろうな。
毎日「どんな怖いことがあるんだろう…きっと想像を絶するものすごいことだ」と思って怯えていた。

そしたら中学生くらいの頃、大槻ケンヂさんに出会って、筋肉少女帯の音楽や大槻さんが好きな映画や本に興味を持ったのね。
でもその当時の私は、大槻さんは大好きなのに、怖くて曲が聴けないしお勧めの作品にも触れられなかった。
それで「これは、恐怖感を克服しないと先へ行けないな」と悟って覚悟を決めたの。

私はそこから世の中にある怖いものを積極的に調べて、挑戦した。
世の人たちが「これは怖い」というものや、怖そうで避けてたものをどんどん見ていった。

そこでひとつ、とても大きなことに気がついた。

「自分の想像よりも怖いホラー作品は無い」ということ。

少なくとも私は、人が作った怖いもので、頭の中の怖さを超える作品は 無い と思った。
それがわかって以来、私はホラー作品が一切怖くなくなった。
その上、なぜかビックリすらしなくなった。

ビックリしなくなったのは他に原因があるかもしれないが、とにかく正統派怪談からジャンプスケアから雰囲気怖がらせからグロから何もかも怖くなくなった。

これで私も一般的な人間になれた。
そう思っていた。

しかし、ちがった。私は既に一般的な人をかなり超えて”怖がらない人”になってしまっていた。

こうなると、ホラー作品を「うまいね!」とか「新しいね!」という視点でしか見れない。
どんなに怖い演出でも、頭で「あー、なるほどこれは怖いわ」ていう理解になる。
なんせ怖くないから。

これはね、多分すごく損をしてるよね。

「わぁー、怖かったねぇー」っていう楽しみ方ができる丁度いいところを超速で通り過ぎたなぁ。
その時期がなかった。

そういえば、今でも怖い怖いと評判の、現代ジャパンホラーの古典みたいになってる「女優霊」もかなり初手で挑戦したんだけど、感想としては
「あー!なんか雰囲気こわい!怖くなる!怖いことになる!わあー!なんかすごい角度になってんね!色々あるね!おわった…?」
みたいな感じで、ただ映画が怖いらしいことにビビり散らかしていただけだった気がする。

ただ想像でビビってただけで、本当は最初から怖くなかったのでは?ていう気がしてきた。

それなのに割と「怖いの観たい」という欲求は強めなんだよね。怖くないのに。
あと、怖い作品を見て怖がってる人を見るのがすごく好き。
変態なのかもしれない。
多分、怖くする仕組みを面白がってて、それが上手く作用してることにスッキリしてるんだと思う。
ピタゴラスイッチ的なこと。

だから、良い具合に怖く出来てる作品に出会うとめちゃくちゃテンションあがるのよね。
頭の中で大歓声上げてラテンの踊り方してる。
ピタゴラスイッチで凄い仕掛けが出てきた時の感じで「うわー!」てなる。
ここ最近でそうなったのは、「ミッドサマー」と「天使の囀り」。
あと、別の意味で上手すぎて爆笑したのは、チラズアートの「夜間警備」の5階から6階かな。あれは天才。すごかった。どういう思考回路なんだと思った。

基本怖くないので「すごく怖かった」で加点されない分、グロければいいとか驚かせればいい、悲惨ならいいと思ってる映画に厳しくなる。

私の場合は、特に”物凄くリアルな残酷さや悲しみ”を描く時に「それを描くだけの理由や覚悟があるか」で映画に対する評価が大きく変わる。
ただ恐怖として消費するためにそんな題材使ってんじゃねぇと思えば嫌いになるし、ちゃんと伝えたいことがあって腹括って作ったんだと思ったら大好きになる。

「ゴーストランドの惨劇」は大好きな映画のひとつだけど、ホラー映画マニアのレビュー見ると「予想ついたし、展開が〇〇と同じ」みたいな「怖がらせ方のみの評価」がついてたりする。
でもあれはちゃんと描きたいことがあって作られた優しい映画だと思う。
同じ監督の「マーターズ」は、途中マジで「なぜこれを見てるんだろう」て思うくらいただ悲惨だったけど、最後の展開で「美しい映画だった」と思った。

先日「ヴァチカンのエクソシスト」見た時「あー、これくらいの怖がらせが丁度いいかも。どうせ怖がらないし」と思ったりもした。
「辛辛魚めっちゃ好きだけど、辛さに苦しまないのにお腹は壊すから、ここまで辛くなくていいかも」と思った時と同じ感覚。

次に楽しみなのは「オオカミの家」観に行くことだなぁ。

観たらレビュー書きます。
ヴァチカンのレビューも書かなきゃね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?