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おまえは「尿意を誤魔化すために観たいエヴァンゲリオンを観ない」という選択ができるかという話だ

今「映画がつまらなかったらすぐに映画館を出る 損切り力」みたいなのが話題になってるけど、それ見て昔に見かけたtweetを思い出した。

音楽がCDからデータになり始めた頃のtweetで、
「今どきの子は、CDを買ったら機械に取り込んで、直ぐにCDをゴミ箱に捨てるんだよ。ビックリしたけど、そのうちそれが当たり前になるんだよね」
みたいな感じの内容だった。

モノで買って、データという「飛んだら終わり」の形にして元を捨てるのは、アホでしかないだろと思った。
それを「合理的な最新の考え方でカッコイイね」と捉えてるのもキモいし、それを理解する俺感も寒かったので、めちゃくちゃ覚えている。

たまに「ロジカルでドライな賢い自分どうですか?」みたいなアピールをする人間がいるけども、それをアピールしてプラスになると思ってるところが全くロジカルではないよね。
寧ろ人間の粘っこいグチャグチャの部分しか感じない。

人生のドラマや美しさや情緒ってのは、ムダの中に生まれるもんだと、あたしは思ってる。


10代の終わりに、友達とつまらない実験映画を夜通し名画座で観て、明け方にフラフラしながら牛丼食べて、始発で帰って、夕方まで寝るとかさ。

好きな人とか憧れのミュージシャンが勧めてたアルバム買って、聴いたけど意味わかんなくて、それでも諦められずに何回も何回も聴いてるうちに「好きかも」てなってきて、今となっては一番好きなアルバムになってるとか。

そういう「なんだこれ」て思ってる時間の中に人生の面白さとか美しさがあるんだと思う。


それ系で言うと、昔ずっと憧れてた音楽関係の人と仲良くなって浮かれてた時、その人から「エヴァンゲリオンの映画に行こう」て誘われて、それが嬉しくてさ、エヴァンゲリオン全く知らないのに観に行ったことがある。

その人、映画始まってすぐ寝始めて、あたし内容分からないのに1人で映画観たのよ。

終わってから聴いたらその人「始まってすぐに尿意がきたけど、トイレに立ちたくなかったから、寝るしかないと思って、寝た」て言ったのよね。

「流石だな」と思ったね。
「これでこそよ」みたいになった。

寝ないぜ?観たい映画に来てるのに、尿意を誤魔化すためだけに寝ないぜ?普通。

いまだにエヴァンゲリオンて聞いただけでこのエピソード毎回思い出すもんね。
その度に「あの映画、全然意味わからなかったけど、観に行ってよかったなぁ」てなる。


そういう出来事が全く無い人生って楽しいかね。
てか、そういうのは必ず人生で起きると思うけど、それを「無駄なものだった」と定義する人生ってどうなのかね。
まぁ、勝手だけどさ、それぞれどう考えようとね。

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