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ノンバーバルで伝わるもの

たまに、ちょっと喋っただけで「この人、めちゃくちゃ頭良い」て分かる人がいて、調べてみたら「そらぁ頭良いだろうよ」ていう経歴で普通に本とか出してたりすることあるけども、そういう人を見つけたらとりあえず本を読んでみることにしてる。

めちゃくちゃ頭の良い人の本は、だいたい「頭良過ぎて何言うてるかわからへんわ」てなるか「めちゃくちゃ面白い!」てなるかなんだけど、お喋りが面白い人の本はだいたい「面白い!」てなる気がする。
まぁ、専門的すぎる本になると当然「わからん!」てなるんだけど、だとしてもお喋りが上手な人の方が「分からないなりに面白い」ことが多い。
普段からたくさんの人と話をして、伝わるラインと伝わらなくなるラインが分かってるのかもしれない。

人間は、誰しも頭の中だけで考えてるのは比較的簡単だと思う。
自分だけが理解すればいいからね。

頭の中で考えてることや感じてる感覚を言語化して、喋って他人に伝えるということから難しくなってくる。
自分の理解と他人の理解が違うから。
どう伝わるか、どうやって伝えるかを考える必要があるしね。
頭の中のものを何らかの方法で外に出す作業は、どんな方法でもそれなりの努力と経験値がないと出来ないことだろう。

文章化するというのは、もっと難しい。
お喋りと違って文章は”固定”されるから、後から付け加えて説明することが出来ない。
書き終えたらもう、読み手に任せてしまうしか無くなるから、書き終えるまでに「なるべく必要なことを全部書いておく」必要がある。

この、「この文章に何が必要で、何が必要ないか」を見分けるのが、文章力とか文才とかセンスとか言うやつだと思う。

頭で考えることから文章へ直行する人と、文章化する前に「喋って伝える感覚」が入ってる人の文章の違いって、多分「読み手をリアルに想像できてるかどうか」だと思う。
お喋りが上手な人は、文章を書くときでも無意識にリアルな人間を想定して「その人に伝わるように」書いているんじゃないかな。

前にブログの書き方の本を読んだ時「誰か一人を想定して、その人に伝えるように書くといい」て書いてあったんだけど、それと同じ感覚だと思う。
頭の中で自分だけ納得する書き方の文章だと、こっちに届いてこない。
相手を想定していると、相手に届く文章になる。

人前で話すお仕事の人も、ただ声を出して喋ってるだけの人と、カメラやマイクの向こうの人に話しかける様に喋ってる人って、明らかに違って聞こえる気がするけど、そういう「意識の違い」で変わることって思ってるより多くて、大きいのかもしれない。

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