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【白昼夢の青写真case2 2次創作「信仰」 前編】

[「信仰」 導入編  ]
薄暗い通りの、小さな、小さな酒場。
その小さな酒場を長年営んできた親父は、4年ほど前から目を悪くし、視力をほぼ失った。今は息子の俺、ウイリアムが実質的な店主として、店の切り盛りをしている。気の利いた料理も作れない上に、およそ酒場の店主など向かない性格だとも思っていたが、父の代からの気のおけない間柄にある常連客たちのおかげで、店はなんとか成り立っている。

…と言いたいが、正直にいえば、全く繁盛しておらず、かなり赤字が嵩んでいる。経営は相当に厳しいと言わざるを得ない。収入は即、滞っていた支払いに消える。想定し得ぬ損害があれば、経営破綻は免れまい。つまり、いつ店を畳んでもおかしくない状況だ。
それでも、いろんな人の好意で、なんとか成り立っている。そんな店だ。

副業として、俺が住むこのテンブリッジの劇団に、自作の脚本を提供し、その対価として少ないながら賃金を得ている。話のネタなら、常連客であるロブやエドが提供し続けてくれているようなもので、困ることはない。話を考えることも、物語を描くことも、全く苦にならない。

しかし、それでも生活は苦しい。テンブリッジの街には、劇作家を目指す者は多い。貴族や軍のお抱えとなれば、栄誉も暮らしも保証される。観劇は、当世における最大の娯楽といっていい。現状、俺への仕事の多くは、埋め合わせ役としてやってくる。この副業で、いまの生活をどうにかできるほどの安定的な収入はアテにできない。

ただ、劇団で働くエドからすれば、俺の作品は、海軍大臣一座のリリー座で、屈指の人気を誇るお抱え脚本家のクリストファー・マーロウにも負けていないという話だ。もっとも、別に誰かとの勝ち負けにこだわりはない。

勝とうと負けようと、お金さえもらえれば良い。
金、金、と、我ながら卑しい。しかし、自分で勝ち取るしかないのだ。この世界は、そういうルールだ。

話作りに専念できれば、もしかしたら、もっとまともな生活を、父にも治療をー

それでも、父が守ってきたこの店を、父が愛されてきた証であるこの店を、俺たちの居場所を、俺の手で潰したくはない。日々の生活にいっぱいいっぱいで、信仰にのみ救いを求める弱き者たちを、また、社会制度の歪みに、理不尽に晒され苦しむ者たちを、見殺しにしたくない。
この酒場の二階は、「旧教徒(カトリック)」たちの避難所、集会所にもなっている。彼ら旧教徒たちは国教会至上主義を掲げるエリザベス女王から、日々苛烈な弾圧に晒されている。先述のエドの本業は、カトリックの司祭である。旧教徒たちの保護もまた、エドの仕事だ。

ある日の夜、店のドアの手入れをしているところを、父に話しかけられた。

「ウィル。そろそろロブたちがくる時間だろ。俺も飲むぞ。」

父は視力を失っているが、勝手知ったる我が家の中であれば、導線さえ確保すれば支障なく歩ける。が、その日に限って、エールの樽が父の導線を塞ぎ、父とぶつかった衝撃で樽は倒れ、運悪く中身が流れ出た。

「酒!酒!!」

音や匂い、足が濡れる感覚で分かるのか、父は足元に流れるエールを掬って飲もうとする。

「バカなことやってないでそこから離れろ!樽を外に出す!」
「バカとはなんだ!そして、なんてことするんだこのバカ息子!飲ませろ!」

俺は親父を無視して出入り口のドアを開け、樽を外に出す。流れ出た量は少なくなく、ここでも痛い出費となった。酒浸しになった店内を清掃するため、ドアを開きっぱなしにする。ボロ布で酒に濡れた床を拭く。父が悪態をついている声が聞こえる上に、屈んで地面ばかり見ていたから、人の気配に気づかなかった。

「こんばんは…」

せいぜい20歳くらいの、小柄な女性が出入り口に立っていた。少々、迂闊だったかもしれない。

エドやロブの関係者以外の者が来るのは珍しいこの店。そもそも客が来ないというのもあるが、知らない人間を積極的に店に入れないようにしている、という理由もある。店自体が、実質的に旧教徒たちの集まりの場となっており、2階は旧教徒の集会所等であること、そしてエリザベス治世における旧教徒への弾圧の容赦のなさを考えると、このような女性であれ、素性の知れぬ人間の入店を容易く許す気にはなれない。

少し気構えるが、俺は俺で、疚しさをおくびにも出さぬほどには器用なつもりだ。合言葉は、聞かない方が良いと判断し、着席を促した。今は客もいないし、2階に入れさえしなければいい。

「いいんですか?ありがとうございます。」

声でわかった。「あんたのことは…今年の4月に見たことがある。確か、広場近くでエドと一緒にいたよな。」

エドの関係如何では、冷たく追い返す理由もない。様子くらいは見てみるか。

「すごい…なんで?」

「俺は見たもの聞いたものは、全部覚えている。というか、思い出せる。」

「えっ、天才…?」

「忘れられないという病気だよ。」

眼の前の女性は、何とも言えぬ表情を浮かべ、それ以上は口をつぐんだ。言葉に少し、悲しみが籠もったかもしれない。何でも覚えているということは、辛いことを忘れられないということと表裏一体だ。

俺だって、人並みに怒りを、憎しみを、悲しみを、惨めさを、やるせなさを覚えることはある。そんなとき、全てを覚えてしまっている自分自身の能力を恨む。

「嫌なことなんて酒のんで忘れちまったららいいんだヨ。お酒ちょうだい。」

うるせえ、黙れ親父。

「改めて、いらっしゃい。エールでいいかな。」気を取り直し、女性に話しかける。

「はい、あの…」
「私にも頼む。」

やかましい。どさくさに紛れてんじゃねえよ。

…洒落ているわけでも食事がおいしいわけでもない。何か用事でもなければ、若い女性が来るべきような店ではないことは明らかだ。だから、女性にわけありなことはすぐにわかったし、事実そのようだ。やはり少し警戒心を持つか。

 「若い女性のお客様は珍しい。普段もこうして飲むのか?」

今日は違う、と言わせるために、普段の様子を問うてみた。

「いえ、そういうわけではなくて…実は外に飲みに来た経験もなくて…」

「へえ。それは光栄だ。何か、目的があって?」

相手はむしろ事情を話したがっている。ここは直球でいいだろう。

「私を、雇ってくれませんか?」
「「んっ?」」

親父とハモった。これは想定外だった。

          *

「よう、ウィル。いい魚が入ったぞ。」
常連の二人が、揃ってやってきた。
その常連の二人、ロブとエドは、入店するなり、一瞬で険しい顔になる。しかし、顔つきとは裏腹に、声音は優しい。なかなかの役者だ。

「その子は?お客さんか?」

ロブは無難な言葉で様子を探る。

「別嬪さんじゃろう?こう、胸も豊かで…」

親父、目が見えてんのかよ。

「いや、そうじゃなくて…ウチで働きたいと」

「なんと」

エドが驚きの声をあげる。

「ところで、お名前は?」エドが切り出す。こういう場の仕切りは、エドに任せておいた方がよさそうだ。

「アン、といいます。」

「素敵な名前だ。…ん、アン?君か。少し前に会ったね。4月の、その。」

「…はい。私も、いま、司祭様のことを思い出しました。」

「おい、二人はどういう知り合いだ?」私より先に、ロブは私が知りたいことを聞く。

「…アンさん、話しても、大丈夫ですか。」わけありであることは理解できた。そういう心遣いは、さすがエドだと思う。アンと名乗る少女は「私から話します。」と言い、話を始めた。

「私の父は、足に障害を抱えながらも懸命に、そして慎ましく暮らすだけの人でした。それでも、旧教徒とみなされ、問答無用に処刑されました。ただ、カトリックというだけの理由で、ただそれだけの理由で、父は無惨に殺されました。みなさんご存知のとおり、この国に信仰の自由はありません。」

アンは無感情に言葉を紡いだ。私とロブは息を飲んだ。父が大きな溜め息をついている姿が見えた。父は視力を失い、その人間の最期を見届けてやれなくなったことを、普段から悔いていた。浮かばれぬ命に対し、今はもう、神に祈ってやることしかできないと。

「4月というのは、4月11日。異教徒狩りとして、広場で父が殺害された日でした。」
「私はその日、現場で父の最後を見届けました。涙を流せば、私も殺されるかもしれません。感情を、表情を押し殺し、立ち尽くし、いよいよ涙をこらえきれず座り込んだところで、声をかけてくださったのがエド様でした。」

父を処刑されたのだ。旧教徒は死に際し見せしめの恥辱を受け、死してなお首は晒され、2度の屈辱を受ける。ふと、我が父のことを思う。父がそんな目に遭うことなど、想像したくもなかった。知ってしまえば、俺には忘れられない記憶になる。父の死を、その憐れな姿を、俺はこの能力のせいで、生涯、その事実を頭の中から振り払うことができないだろう。
そうなれば、俺自身が生きていけるかどうかわからない。心を真っ黒焦げにするほどの怒りの業火に、我が身が耐えうることへの自信がない。とじこめられている火が、いちばん強く燃えるものだ。

「日中は、農場で働きます。夜、週に数日でいいですから、雇っていただけないでしょうか。生活していけるだけのお金が欲しいんです。」

この子を雇うか否かはさておき、店に立ってくれる人がいるなら、自分はもう少し執筆に時間を充てられるのではないかと思った。しかしながら、ここが旧教徒たちのアジトとしての側面をも持っていることを考慮すれば、とてもではないが、誰にでも任せられることではない。そもそも、彼女は金が欲しいという女だ。密告者にも報奨金が出るという制度上、秘密の保持には何ら期待できない。

「あと、私、料理が得意なんです。ちょっと厨房をお借りできますか?試験を受けさせてください。」

私は構わない旨を告げ、彼女をカウンター側に招き入れた。

          *

料理の腕は、見事というよりほかになかった。あの材料で、設備で、ここまで出来るものか。そんな状況下で人様から金銭を巻き上げているという事実は棚に上げ、素直に感動する。ロブに至っては涙ぐんでいる。「ウィルの料理のマズさったらなかったからよ…」

食事を数日に一度しか採らなくなった親父も、匂いや色合いで食欲が惹起されたのか、ここ数年見たこともないほどの量を食べていたようだ。今は満腹感からうとうととしている。アンはとても嬉しそうに「合格ですか?」と聞いてきた。

ひととおり食べ終えたロブは、「いいと思うぜ。ウィル、お前とこの子の二人でお店やってみたら?これならいけるぜ?」と提案した。二人でいれば、彼女を監視体制に置けるというか、彼女の素性など、余計な心配を減らすこともできるか―。まともな料理を提供できるようになることによる、常連客の客単価や仕入れ金額の増加、彼女へ支払う人件費といった、損得勘定を頭の中でざっくりやってみる。これで店の収支が改善されるなら、選択肢のひとつとして用意しておくべきだ。一旦は保留しよう。

「ダメなら週に一日でいいんです。何でもします。よろしくお願いします。」

「うーん。とはいえウチもご覧のとおりだからな…確かにアンのような容姿に優れた女性がカウンターにいて、これだけの料理が作れるなら、悪くはないんだけど。…エド、ちょっと話があるんだけど、いいか?」

エドと二人で話をするため、2階へ移動した。

(つづく)

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