見出し画像

【白昼夢の青写真case2 2次創作「生きる」後編】

枢機卿。
カトリックの序列において、教皇に次ぐ職位だ。その職位につく者は、緋色のマントを纏う。目の前の男が纏うは、まさしく緋色のマント。この人が枢機卿?きっとそうだ。
私はぎりぎりのところで、神に、信仰に命を救われた―
そんな幸せと感激に、心の隅々までが優しい光で満たされた気分だった。

…ところが、何かがおかしい。差し出されたパンを平らげ、ほんのわずかながらのエネルギーを得た私は若干冷静になり、命の恩人でもあるこの緋色のマントの男に、違和感を覚えはじめていた。

何というか、こう言っては何だが、全体的な身なり、立ち振る舞いに、あまりにも気品がない。周りにいる男たちもそうだ。枢機卿のお供なら、もっとこう、いかにも聖職者という雰囲気があるべきと思っていたが、男たちからは、そうした荘厳で清廉な雰囲気は感じられない。むしろ下卑ている。

「どうかしたのか?パンが足りなかったか?」

緋色のマントを纏う男がそう言い、周りの男たちはげらげらと笑った。やはり、違う。枢機卿はおそらく、こんな粗野な話し方はしない。聖職者は、こんな汚い笑い方をしない。弱きものを侮辱ような態度はとらない。

この場では殺人が行われた。あたりには血の匂いが充満し、加えて既に息絶えた者たちも異臭を放ち続けている。なので私も気が付くのが遅れたが、この男も相当、血なまぐさい。そして、ひとつの事実が私を凍り付かせる。

この男のマントを緋色に染め上げたのは、人間の血液だった。

          *

この男は、枢機卿なんかではない。そしておそらく、私たちにとって好ましい存在でもない。私の表情もまた、身体と同様に硬直する。目には、怯えの色も灯っていたことだろう。

「…察したか。なかなか聡明だな、お前。そして近くで見ると、本当にきれいな顔をしている。」
緋色のマントの男は口を開いた。心が、この男の頭のてっぺんから爪先にいたるまで、一挙手一投足にまで警戒しろという警告を発する。

「…察してまではいないけど、あなたは何者?どうして私たちを助けたの?」

「俺は人買い。助けた理由は、お前たち姉妹が美しかったから。そこまで言えば、もう、分かるだろう?」
緋色のマントの男の事も無げな台詞に、暗澹たる現実に、希望からの落差に、目の前が真っ暗になった。

逃げ出すにも、妹を置いていくわけにはいかない。両親も兄も行方不明だ。
緋色に染められたマントを見るからに、人の命を奪うことに躊躇しないタイプだろう。いかなる手段を用いたところで、戦って勝てる相手ではないことは明らかだ。

仕方がないのか。生きていくためには、仕方がないのか。

それにしても、戦争から生き延びた先で待つのが奴隷生活とは、いくらなんでもあんまりではないか。どうして、こんな目にばかり遭わなければいけないのか。神はいないのか。絶望に次ぐ絶望に、心が挫けそうになる。

「逃げれば、お前たちのことは殺す。もしくは四肢を切断して、『そういう商品』になってもらうかだ。お前が決めろ。生きたいなら、俺に従え。そうまでして生きたくないと思うなら、逃げて俺に殺されろ。もう一度言う。お前のこれからは、お前が決めろ。」

それでも私は、生きることを選んだ。旧教徒(カトリック)の根幹にある概念は「生きる」ことだ。このまま死んで、一体、何になるのか。何かを為すために、私は生まれてきたのではなかったのか。生きてさえいれば、必ず何かがあるはずなのだ。

妹は、私が生きていくという意思を示したことが大きかったのかもしれないが、彼女は彼女なりに考え抜いて、やはり自らの意思で、生きるという道を選んでくれた。賢く強く成長してくれたことが嬉しかったので、「いいこ」と言ってあげた。

          *

緋色のマントの男に命を救われ、奴隷として生きていくことが決まってから、セリで競売にかけられる日までのわずかな時間は、思いのほか穏やかだった。

緋色のマントの男とその取り巻きの男たちは、良くも悪くもプロフェッショナルで、「商品」である私たちの価値を落とさぬよう努めていた。私たちの命を脅かすものは何もなく、衣食住いずれに関しても、戦禍をくぐり抜けてきた私たちには、十分すぎるほどだった。

父も母も兄も、今もどこかで、音を立てることも許されず、雨で身体を冷やし、得体のしれない虫を捕まえて食べ、毒素やアレルギーにまで苦しめられるというような、極限の生活をしているに違いない。そんな両親たちの今を想像すると、涙がこぼれそうになるが、私の中の防波堤が、ぎりぎりのところでそれを我慢させた。妹の前では絶対に泣かない。そう決めていた。

セリの前の日の晩だった。まさしく最後の晩餐を終えた私たち姉妹は、二人で過ごす最後の夜を迎える。緋のマントの男にこの場所
-結局、どこにある何なのかはわからなかったけれど―
へ送られてからは、ずっと二人一緒のベッドで眠っている。ベッドは2台あったが、初日から今日まで、それぞれのベッドで別れて眠ることは、一度としてなかった。

「姉さん、起きているかな」

「…眠れないのね」

「私たち、何のために、生まれてきたんだろうね」

「生きて、私にしかできないことをするためよ」

「姉さんには、そんなものあるの?」

「今はまだないわ」

「私は本当は、あのまま戦争で死んでもよかった、というか、早く殺してほしいと思ってた」

「…わからなくもないけど」

「お父さんとお母さん、兄さんは元気かな」

「みんなきっと大丈夫よ」

「そうだよね」

何時間も、延々と、言葉を紡ぎあう。妹は、不安だったに違いない。私だって、妹の立場だったなら、泣きをいれたいことが、どれだけあったことか。着々と確実に、この穏やかな時間は終わりへと向かっていく。1分1秒が惜しい。眠ってなんて、いたくない。

「姉さんと、離れたくない―」

妹が、私を抱きしめる。溢れ出る思いを、もう隠そうともしなかった。

「私だって、嫌に決まっているじゃない」

私の頬を、涙が伝う。

「お父さんにもお母さんにも、兄にも、みんなで会える日が、きっと来るわ」

だから。

「それまで、生きていてね」

「姉さん―」

涙でぐしゃぐしゃになる妹を抱きしめかえす。

「いいこ」

私たちは結局、朝までそうしていた。きっともう会うこともない、妹の感触を、妹のぬくもりを、忘れないように。いつの日か、その温かさと優しさが、弱い私の心を奮い立たせてくれますように―

          *

翌日、私は英国の貴族に、妹は、新大陸に渡ることになる貴族に競り落とされた。私の競り値が確定したとき、市場は異様などよめきに包まれた。
殺されるのを待つだけだった命に、ずいぶん高い値がついたものである。私にそんな価値があると知っていたら、父にも母にも兄妹にももっと良い生活をさせてあげられたのに、と思った。

緋の色のマントの男はせいぜい達者で暮らせ、と言い、私たちは売られた。妹と顔を合わせる機会を作らなかったことは、緋色のマントの男の、せめてもの情かもしれない。

 私は、どんなことをしても生きる。どれだけ、人としての尊厳を穢されても。
そして、生きている限りは這い上がってみせる。人の上に立てば、いつでも美味しいものが食べられて、いつでも笑って過ごしていられる。
戦争を経験して、明日からは奴隷の身分になることで理解した、この世界のルール。

私は、神ではなく自分に祈るようになっていた。私の道は、私の手で切り拓いてみせる。心の中で、そう誓いを立てた。

おわり

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?