僕が生きづらさを解消するためにしたこと

初めまして、りんたろうと申します。

最近、生きやすくなったなと感じるようになったので

「どうやって生きづらさを解消したか?」

を書きたいと思います。

まず、僕のプロフィールと生きづらさを表す出来事をご覧頂きたいと思います。

りんたろう
・現在、20歳
・生まれつき吃音症
・学生時代は常にぼっちだった。
・専門学校中退
・現在エンジニアを目指している。
・今年、2021年3月くらいから生きづらさがなくなった

生きづらかった時のエピソード

・学生の頃、休み時間は机に突っ伏してやり過ごしていた
・拗らせコミュ障
・極たまに気を許した人に依存する。つまりメンヘラ
・特に何かがあったわけでも無いのに涙が出る
生きる意味がわからない
・いつでも死ねるように輪を作ったケーブル、マイスリー、ストロングゼロを準備する

大体こんな感じです。

現在と過去で何が変わったかというとメンタルと環境です。メンタルは健全になり、環境はより生きやすい環境になりました。

そのおかげで

・拗らせてたコミュ症が治った
・現在、ニートだけど自己評価が高い
・就活で100社落ちるも気に病んだりしない
・人と比べて落ち込むことがなくなった
・自分より恵まれてる人を見て劣等感を抱くことがなくなった

というふうに生きづらさを感じることが大分無くなりました。別に、僕の何か能力やスペックが上がったわけではないです。確かに、生きてく上でいくらか上がったものもありますが、些細なものです。マイナスからやっと普通になったレベルです。

要するに、生きづらさの原因はメンタルと環境にあります。そこら辺の具体的な改善法をこれから紹介していきます。

ただ書いていて気づいたのは生きづらさの原因は人それぞれだし、まあまあ変数が多く複雑ということです。人間自体も複雑だと思っていて、一度思考がうつ状態になってしまうとなので全てを網羅することはできませんので僕が特に重要だなと思うものを取り上げまあした。

また本編に入る前に、このnoteは現在、無料ですべて読めます。この先も加筆していくつもりです。また、もし読んで、質問などございましたら気楽に質問ください。

そして何より、このnoteで貴方様の生きづらさを解消出来れば幸いです。


太陽の光を浴びるようにした

まず基本中の基本です。生物として人間は、太陽の光を浴びないと気分が落ち込みやすくなるそうです。

なので、1日に少なくとも1時間は太陽の光を浴びるようにしています。

ちなみにこれはとても重要で、逆に言うと、どんなにメンタルが強い陽キャでも太陽の光を長期間浴びないと気分が落ち込むということです。僕の想像だとああいう人は陽キャだから外で遊ぶのではなく、外で遊び、太陽の光をよく浴びているから陽キャなのかなと思ったりしています。

最後に、普段全く太陽の光を浴びない方へのアクションプランとして、散歩することを提案させていただきたいです。現在、一部では緊急事態宣言も出ておりますが散歩なら三密になる事もなしにどの地域の方もできると思います。また、散歩する際は普段行かないようなところに行ったりすると面白いかなと思います。

論理を捨てた

僕がまず気づいたのが、生きるということは論理ではないです。生きやすくなりたいのであれば論理を捨ててください。馬鹿になってください。生きる意味や「幸福とは?」などは考えないでください。

具体的なアクションプランを示すとすれば、今すぐこのnoteを読むのをやめて最寄りの海に飛び込んでください。できれば誰かの手を取りながら。

僕が生きやすくなった要因の一つとしてこれがとても大きいです。もちろん論理が必要な部分も社会生活を送る上では必要ですが、生きる上での本質はそこじゃないと思います。論理を持ち込むのは仕事や勉強だけにしてそれ以外では論理は捨ててください。

他にも具体例を出すと僕は以下のような無駄なことは大嫌いでした。

・お祭り、花火大会、花見などのイベント
・文化祭や体育祭
・写真撮影をする、卒業アルバムを買う
・雑談
・旅行

「花火大会に行ってもどうせ花火うるさいだけだし、花見はどうせ桜見ないし、旅行に関してはどうせ地方にあるものは東京にもあるじゃん。卒業アルバムは見返すことないし。」という感じです。

今では、そういうイベントごとや旅行も楽しみますし写真も撮ります。雑談も好きです。あまり、頭で硬く考えず気楽に行動してみてください。楽しもうとしてみてください。

あと冒頭のアクションプランを本当に実行した人はもうすでに幸せだと思います。もしいれば報告ください。面白いです笑

他人の価値観に流されることをやめた

他人の価値観に流されては死んでもダメです。その先は泥沼です。例えば僕の周りでは

・大学か専門学校に進学するのが普通。絶対進学した方が良い

という風潮がありました。そして僕はその価値観に流されて生きてしまったのです。結果、無駄にストレスフルな生活になりました。

進学に関して、反論として

・進学した方が選択肢が増える
・進学しないと学歴フィルターに引っかかる

などがあると思います。しかし、僕の場合、学校に友達もいませんでしたし、企業に就職するために無意味に思える勉強をするのはとてもとても嫌でした。それに僕はそこまでお金に興味がありません。あったら便利だなくらいです。

一度は、学校の先生や周りの価値観に流され進学してしまいましたが、その後退学して正解だったなと思います。是非、周りの「〜すべき」論には耳を貸さないでください。フェアに情報をと入れて、自分の価値観で判断してください。絶対にその方が生きやすいです。

あと、進学の風潮とは別にTwitter上のとある界隈にいた時も、その界隈の価値観に流されしんどくなった経験もあります。これについては「風俗について」についての章でもうちょっと書こうと思います。

こう書いてみるとアホらしいなと思うのですが、多分そういう、周りの価値観に流されてしまう人って結構います。特に若い人には。原因としては偏った情報しかないからです。中々フェアな情報を仕入れるというのは難しいかもしれませんが、気をつけていただきたいです。


誰かの信者になる、信奉することをやめた

僕は誰かの信者になることをやめました。これは先ほどの「他人の価値観に流されるのをやめた」とちょっと重なる部分があります。

「信者になる、信奉する」ということは自分で価値観を選ぶということだと言えるでしょうか?生まれつき、どこかの宗教の家の元に生まれた人に関しては自分の価値観だと言えるかもしれません。小さな頃からそういった価値観の元育ったのなら三つ子の魂百までとも言いますし、それが本当の価値観になってるかもしれません。

しかし、人生がしんどい時にどこかの宗教に入った人の場合、僕はそうは思いません。大体、何か強いものに縋って安心したいだけだと思います。これは僕自身実際に体験したのでわかります。

僕は高校2年生の17歳の時に15万円のとあるオンラインサロンに参加しました。これ自体はむしろ良いのですが、僕は批判的でなく、この主催者の方を信奉してしまっていました。当時の、オンラインサロンに入る際の自己紹介のメモがあったのでご覧ください。人生拗らせているのがよくわかると思います笑(一部編集しています)

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こういう状態の時に、断言口調で「あなたの悩みを解決する方法を知ってる」と言われると縋りたくなってしまうんですよね。そして、その人の言うことが”絶対”になる。

別にオンライサロン等自体は良いものだと思います。僕の場合このサロンに入ったからこそ今の自分がありとても感謝しています。問題はこちら側の態度です。信奉しちゃ、信者になっちゃダメなんです。

もし何かを誰かに教わるとしても、とことん自分が納得できるまで問い詰めた方が良いと僕は思います。尊敬の念は持ちながらもコミュニケーションを徹底的に取ることです。よくそういったサロンや講習、コンサルなどを受けると理解できないことや疑問に思うことを言われると思います。

「あの人が言うのだからきっとそうなのだろう」は危険です。繰り返しますが、コミュニケーションは徹底的に取ることが大事です。コミュニケーション不足はこの信者信奉問題に限らず様々な問題の原因です。

また、信者になったり信奉しないようにするためのアクションプランとしてSNSから離れることをお勧めします。なぜなら大体、そういったサロンや講習、コンサルをする人たちとは一方的な発信をしているからです。これは先ほどの「コミュケーションを徹底的に取る事」ができないと言うことになります。

もし、その人が気になるのならばSNSからその人を覗くのではなく実際に話しましょう。また、普段からその人をSNSを通して見る事自体やめた方がいいです。なぜなら、ネット上だと人は神格化されやすいからです。

神格化とは要は自分の視界にモヤがかかっているようなものです。もし気になる人がいるのならばクリアな視界でその人を捕らえることをお勧めします。さもないとしんどいことになるかもしれません。

ちなみに、僕のTwitterのフォローは顔の知ってる人や、明らかに害のない団体しかいません。匿名のアカウントのツイートを見ることは百害あって一理なしだと思います。実際に僕はこのnoteは実名で書いてますし、何かコメントがあれば返信もするつもりです。

最悪を想定し、最悪を心から受け入れた

最悪を想定すると生きやすくなります。なぜならその最悪を避けることが生きる理由になりうるからです。

まずは最悪を想定する。それだけで良いです。ちなみに僕の場合は

・30になってもニートは嫌
・30になっても彼女がいないのは嫌
・30になってもバイトや派遣は嫌
・30になっても人生を卑屈にみるのは嫌

などでした。そしてその最悪を避けるためにエンジニアになるための勉強を始めたという感じです。

僕は人の生きるモチベに確実になるものとして3大欲求、コミュニケーション欲、生存欲求があると思っています。そして、「最悪を想定する」は生存欲求部分に当たります。この五つは他人の価値観が入り込み用のない純粋なあなたの価値観・好きなこと・したいことなのでもし自分を見失いそうなことがあればここに立ち返ると良いかなと思います。

そして次に"できれば"その最悪を受け入れましょう。それができればより生きやすくなります。

僕の例で言うと

僕はエンジニアを目指しています。そして30になってもニートという状態は嫌だ、最悪だとは今も思っています。ですが、最悪、30でニートでいても良いと思っています。何ならホームレスでも良いと思っています。僕はそうなってしまった自分さえも許します。認めます。

これは後の「自分を認めた」の章と重なることなのですが、自分を認めてあげることで、今まで、頻繁にあった自殺願望がなくなりました。


支えられていることを知った

自分がどれだけ沢山の人に支えられているのかを知ると心が満たされ、いきやすくなると思います。少なくとも僕はそう感じます。どれだけ支えられているのかをリアルに想像してみてください。

自分が沢山の人に支えられていることを実感することで必然的にお返しをしたくなります。
お返しができる時もう既に、その人は幸せだと僕は思っています。

どのように想像するかと言うと、

例えば今僕はMacを使ってこのnoteを書いています。このMacはスティーブ・ジョブズさんがいたからこそ今僕が使えています。スティーブ・ジョブズさんだけではないです。表に出ていないだけでその裏には何人ものエンジニアがいたことでしょう。そしてその一人一人にもちゃんとそれぞれの人生があったはずです。楽しかったことや辛かったこと悲しかったこと嬉しかったことがあるはずです。

何が言いたいかというと、そういう人たちを職業の括り「エンジニアの人」、「営業マン」、「経営者」などで見るのではなく一人の人間としてみた方が良いということです。そちらの方が現実により近いですし、人間味がより感じられて感謝の気持ちが湧きやすいです。

今回はMacを例に出しましたがもちろんMacだけでなく何でもそうです。

家、イス、上下水道、服、ベッド、食べ物、本、テレビ、ネット、、、今の世界があること

などなど。

そういうことに思いを馳せると必然と感謝の気持ちで満たされ何かお返しをしたくなります。最後にアクションプランとして短かなものをどれか選んでそれに携わっている人を想像することを提案したいと思います。

ご飯を味わうようにした

こちら、とても重要です。たまに、「ご飯を食べてる時が一番幸せ♪」と言う人がいますよね?正直、少し前までの僕はこれを「気楽でいいな」、「男は飯食ってるだけじゃダメなんだよ」等と思っていました。

僕は間違っていました。ご飯を食べてるだけで良いんです。ご飯はめちゃくちゃ美味しいです。それだけで満足です。

まず、ご飯を味わうためのアクションプランを提案させていただきたいと思います。

お腹を減らす
・「いただきます」、「ごちそうさま」を言う
・命をいただくことを自覚する

一番、大事だと僕が思っているのがお腹を減らすです。お腹を減らせば何でも美味しくなります。空腹は最大の調味料です。

あと、ご飯で満足することのメリットについて触れておきたいと思います。

・毎日幸せになれる
・もう既に幸せなので気持ちに余裕が生まれる
・他人を優先できるようになる

僕の場合、結構「他人を優先できるようになる」が大きかったです。まず前提として僕は、他人にgiveする前に自分が満たされているべきだと思っています。自分が満たされていないのに他人にgiveするのはしんどいと思います。でも自分が既に満たされていればどうでしょう?自分に余裕があればどうでしょう?

そのお手軽な方法がご飯を味わうです。

自分を認めた

自分を認めましょう。何がなんでも自分だけは自分の味方になってあげてください。それができると確実に生きやすくなります。

あなたには何かコンプレックスはありますか?僕の場合は

・ニート
・陰キャラ


などが事実としてありました。しかし、認めていませんでした。

高校の頃、同級生に「りんたろうくんってインキャだよね」と言われて何も言い返せませんでした。

母親に「うちの子がニートで困ったわ」と言われた時も「いや、俺は勉強をしてるからニートじゃない。学校に行ってないだけで勉強はしてるから学生とほぼ同じだ」とも思いながらも言い返せませんでした。実際のところ現実、世間ではそれもニートと同じ扱いをされるからです。

しかし、現在は「僕はニートです。」「僕、インキャなんですよ。」と堂々といえます。わかるでしょうか?

「僕、インキャなんですよ。」と堂々と言えるインキャとインキャと言われて傷ついてしまうインキャの”生きやすさ”の違いを。ニートの方も同様です。

アクションプランとして、

・自分のコンプレックスを書き出して見る
・そしてそれを認める

というのを提案したいと思います。

まず、現実と向き合わないと何も始まりません。中々受け入れられないかもしれません。簡単にはいかないかもしれませんがそこから始めましょう。

不快なものを遠ざけた

不快なものは遠ざけましょう。あなたを不快な気持ちにさせるもの全てです。不快なものを遠ざけると気持ちが落ち込む機会が減るのでだいぶ楽になります。

僕の場合それは

・攻撃的な曲
・Twitter


でした。恐らくこれは多くの人に当てはまるのではないかなと思います。

攻撃的な曲に関しては、少し説明しづらいのですが、

多分どんな人にでも、苦手な人、近寄りがたい人はいると思います。そういう人達って怖いですよね?例えば僕の場合で言うと先生や目上の人、クラスの一軍のやつです。

攻撃的な曲を聴くと曲の攻撃的なイメージと苦手な人の怖いイメージが掛け合わされてしまいます。そうして、ただでさえ苦手な人が余計に苦手になります。

ではどうしたかというと、代わりに平和な曲、明るい曲を聴きました。そうすると曲の平和なイメージ明るいイメージで苦手な人、近寄りがたい人の怖いイメージが中和されます。

すべての悩みは人間関係から生まれるとよく言います。なるべく苦手な人ともうまく付き合っていけるようにしたいと僕は思います。

実際、苦手な人や近寄りがたい人も実際に喋ってみると実は良い人だったということもありました。(ツイートの2段落目がその感想です。)

実際に、良い人かは少ししか話してないのでわかりかねますが、少なくとも僕にとってのその「怖い人」のイメージは変わりました。そういう、苦手な人、近寄り難い人は僕の知らない世界を知っていそうなので積極的に関われたらなと個人的に思っています。


風俗について

後に書こうか検討中


幸せについて考えるのをやめた

多分幸せとは考えるものではないです。また、幸せという概念は置いておいて良いんじゃないかと思っております。なぜなら、掴み所のないあやふやなものだからです。

そのようなものを気にしても仕方ないですし、そもそも人の気分も諸行無常で移り変わります。どんなに元気な人でも落ち込むこともあるし、悲しくなることもあるし寂しくなることもあるはずです。それが当たり前だと思うので幸せと言うものは、一旦、生きやすくなるまでは置いといて良いんじゃないかと思います。

終わりに

ここまで読んでいただきありがとうございます。このnote、役立ちましたでしょうか?もし役立ってたのなら幸いです。また、何か質問等ありましたら気楽に質問していただきたいです。それともし、良いなと思っていただけらたこのnoteを購入して欲しいなと思います。いただいたお金はエンジニアになるための勉強代に使わせていただきたいと思います。

改めまして、note読んでいただきありがとうございました。

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