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“抱っこ紐で出かけた最後の日”はもう過ぎているのかもしれない

毎日noteを更新していても全くもって話題に事欠かないのは、ひとえに娘のおかげといっても過言ではない。


今日も、本来更新するつもりだった内容を1,000字ほど書いたところでふと娘を見ると、ひとりで立ち上がっていた。つかまり立ちしか出来なかった娘が、ついにひとりで、立ったのである。


立ち上がるのはあまりにも突然だった。予兆があったといえばあったし、なかったといえばなかったように思う。

一度立つことを覚えると、本人としても興奮冷めやらぬようで、声をあげてスクワットのように立ったり座ったり。

1日1つずつ新しいことを覚えたとして、1年間で365個のことができるようになると仮定する。ところが0才児を見ていると、1日1個どころかこちらの記録が追い付かないほどに次々と新しい物事を吸収していくようだ。真っ白いキャンパスに色鮮やかな情報が刻まれていくのを楽しみに見守るこの時間は、言葉にかえがたいほどの幸福感をもたらしてくれる。

言葉に関しても、「あー」とか「うー」の喃語に加えて最近では「にゃあう~」と少し響きの違う“コトバ”が出てきたなと思っていた。

新しいことを覚えると同時に、“そういえば最近見てないな”といつのまにか見なくなった赤ちゃん特有の本能もある。眠っているときに歌舞伎役者のように両手をあげるモロー反射はその典型例で、もう見ることはないのだと思うと成長が嬉しいと同時に猛烈に寂しい。モロー反射をムービーに撮ろうと眠い目をこすりながらスマホを長回ししたあの頃が既に懐かしい。

夏場は暑いから、と最近ベビーカーに切り替えていた抱っこ紐も、娘の体重が10kgを超えるであろうこの冬に再び使用できるかどうかは定かではない。私は知らないうちに、“最後に抱っこ紐で出かけた日”を経験してしまっている可能性だってある。


成長が切ないだなんて、贅沢な戯言だということは重々承知している。それでも、娘はきっと遠くない将来でハイハイとは比べ物にならないスピードで歩き回り、友達ができて、学校へ行き……。

「娘が生まれた瞬間、結婚式のことを考えて泣けた」という友人を私は笑ったことがある。特大のブーメランを自分に食らい 今笑いながらnoteを書いているところだが、いつか育児にくじけたときは今のこの気持ちを思い出して前を向けるように、ありのままの想いを文字や写真で残しておきたい。


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追いつかないほど、早いね。


明日も娘と楽しく過ごす。
2020/08/24 こさい たろ

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