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対話と僕㉓:『批判』を諦めない①

・はじめに

前回は『手段』を悪者にする危険性について書いてみたのだが、今回はそこから着想を得て『批判』という具体的な手段について僕の思いを書いてみようと思う。
内容はタイトルの通りで今までも触れてきた『批判』について整理できればと思う。
一般的には悪い意味で使われる事が多いこの『批判』という言葉を違った視点で捉えなおす機会になればと思う。

・『批判』という言葉の本来の意味

いくつかの辞書に載っている本来の意味は『批評して判断すること。物事を判定・評価すること。』である。
ここで言う『批評』は『事物の美点や欠点をあげて、その価値を検討、評価すること。』とされている。

これを整理すると『批判』とは『物事を判定・評価の判断をすること』であり、その為に『事物の美点や欠点をあげてその価値を検討・評価する』という事になる。
それ自体の良し悪しは別にして、結果的に反対意見を述べるにしてもその前に『検討・評価』が必要であり、その為には対象について『理解』する必要があるのだ。
このように整理してみると『批判』の捉え方が一般のそれとはかなり変わってくるのではないだろうか。
また、非難や論破といった一般的に近しい意味で使われてしまっている言葉との違いも見えてくる。

このように順を追って整理してみると『批判』という姿勢は『理解』を前提にしていることがわかった。
この『理解』こそコミュニケーションの基本となる要素であり、その精度がコミュニケーションの質を左右するといっても過言ではない。

・手段の目的化を防ぐ『批判』

『批判』とは否定的な意見を出すことではなく判定や評価、検討をするものであるという事がわかった。
また、その過程には『理解』が必要である事もわかった。
繰り返しになるが『理解』を経て『批判』へと繋がっていくのである。

冒頭に述べた通り否定的な捉え方をされている『批判』という言葉とは対照的に『傾聴』や『肯定』というトレンドワードは関係性を築くために有効な手段として近年多くの人に認知されているのではないだろうか。
本来は『理解』を促すためのモノだったはずなのだが、所謂手段の目的化が起こってしまっている。
この辺りは以前も書いているので以下の記事をご覧頂きたい。

こういった手段の目的化を防ぐためにも『批判』という思考法は活用できるのではないだろうか。
『理解』の為の『傾聴』『肯定』であり、その結果が『批判』に繋がっていく。
前述の通り『批判』事態は否定的なモノだけを指すものではないので『肯定』にも繋がる可能性もある。
仮に『否定』する事になったとしても『理解』が実現しているコミュニケーションはそこから更に発展していく可能性があるはずだ。
※当然ながら、結果的に『否定』をする場合は伝え方などに配慮が必要である

・『批判』から築かれる関係性

『理解』してくれようとする相手には心を開きやすくなるという感覚は誰もが経験した事があるのではないだろうか。
そして『理解』が進むことで築かれる関係性があるという事も体験的に知っているはずである。

個人的には『傾聴』や『肯定』といった手段は『話し手の味方である』『全てを受け入れる』といったような姿勢を表すものであると捉えている。
話し手としては味方には心を開きやすくなるし安心感も覚えるので一定の関係性が築ける事は予想できる。
ただ、こと『対話』においてはそれらがポジティブに作用するとも限らない。

ここで『批判』がポイントになるのだが、少々長くなりそうなので今回はここまでにしようと思う。
次回は今までの経験から感じている『批判』の先にある『相互理解』と『メタ認知』等々について書いていこうと思う。

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