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創作をやめられない人々

創作者とも呼ぶべき人々は世の中にごまんといる。

スマホやPCが急速に普及したこともあってかその数は増え続けている。
その創作者というのには僕も含まれていて、こうしてnoteに文章をつらつらと書いてみたり、短歌を詠んだり、音楽を作ってみたり。
色々と創作をしている。

近しい概念として「表現」もある。
自分の中に存在するあらゆるものをあらゆる媒体を通じて吐き出していく行為だが、創作を伴うこともあるので今回は「創作」という単語にこれらの意味を込めて考えてみる。

創作をする人たちは、その多くはやりたくてやっている。
その源泉は承認欲求や自己顕示欲、場合によってはその時々の感情や状況を記録するためということもある。


ツイッターを見ているとたまに、創作をするにあたってもうどうしようもないほど打ちのめされている人や大変な目にあっている人がいる。
創作をする人もそうでない人もそのセンセーショナルな話題に対して一緒に怒ったりRTして批判したりする。

そして中には悪意もなくシンプルな疑問をぶつける人がいる。
「だったらやらなければいいのに」

これは無理解がまねくものなどではなく本当にシンプルな疑問なのだと思う。
たしかにそうなんだろう。自分からあえて創作をして傷ついたのなら、創作をやめてしまえばいいじゃないか。
そう思うのも仕方がない。

しかしどうしても僕はその意見がしっくりこない。
創作とは「やりたい」という意思に根ざすだけではない。
水道の蛇口を塞いでも指の隙間から溢れてしまうように
やらないと決めても自ずと溢れだす激情、風景、閃光が創作をもたらすと思う。
やめようと決めたとしても、辛さから逃げられないものもある。

数年前に亡くなってしまったのだけれど、Pay money To my PainのVo.であるKさんが言ったことがある(うろ覚えなので正確ではないが)
「曲を書く時には不満や怒り、辛さを乗せている。それは非常に痛みを伴うもので、ファンはその痛みををCDとして買うんだ」
バンド名の由来についてだが、創作の痛みをちゃんと吐き出した人だと思う。

また、the GazettEのVo.ルキもコメントしたことがある(これもうろ覚え)
「僕は恋愛の歌を書くとき悲恋からしか書けない。つらいけど、どうしようもないマイナスの感情から、希望を描く事ができる。」
これも創作とはどういうものかという話に通じると思う。

歌手のCoccoは「常に頭の中で勝手に歌が出来上がっていくので辛い」と語ったこともある。
作りたくないのに、どうしても曲ができてしまう。

たとえ辛いことでも、創作をするときに溢れ出してしまうものがある。
作ろうと思ったときに、辛いことがエネルギーになることがある。
創作について「やめればいいのに」と感じる人にはわからないだろう。
それが駄目なのではなく、同じ世界の話として語ると齟齬があるように思う。

先述の人たちほどの辛さはないが、僕も同様に溢れ出すことがある。
音楽をメインにやっているから歌詞が出来ることが多い。
その精度はともかくとして。

世間で創作はどこか娯楽的な印象を持たれることが多いと思う。
趣味というかなんというか。楽しんでこそでしょう?といったもの。
だがそれは違っていて、歯を食いしばりながら創作をする人もいるのだということを知っておいてほしい。


言語のようなものだ。
同じようでいて全くの別物。
しかし今は通じなくても通じる可能性は十分にある。
歩み寄ればいい。

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