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【児童発達支援センターB園⑧】DAIKIを育てたお母さんのこと<前編>

このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。(自己紹介もぜひご覧ください)
前回に引き続き、児童発達支援センターB園で出会ったDAIKIのことをお話しさせてください。今回も、DAIKIとDAIKIのお母さんにご協力いただきました。
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前回、このnoteを飾る絵を描いてくれているDAIKIのことを紹介しました。今回は、DAIKIのお母さんのことをお話しします。

障害のある子どもたちの幼稚園である児童発達支援センターB園で働き始めたばかりの私にとって、当時のDAIKIのお母さんは、「少し近寄りがたいお母ちゃん」でした。

DAIKIのお母さんは、B園に入園するまでの日々を、「いつもだれかに謝る日々だった」と振り返ります。

自閉症で多動性のあるDAIKIは、周りの人に迷惑をかけてしまうことが少なくありませんでした。保育園の連絡帳には毎日のようにトラブルの報告があり、それに対してお母さんは「ごめんなさい」「すみません」と謝ってばかりいました。

DAIKIが生まれる前、お母さんは子育てについて、「私の言うことを聞かせて、立派な子に育てていこう」「私の子どもなのだから、きっと私が望むとおりの良い子に育つだろう」と思っていたそうです。

しかし、現実のDAIKIは、お母さんの言うことは聞いてくれないし、理想通りに育ってくれません。それどころか、謝らなければいけないことばかり。お母さんは、次第に、だれともかかわりたくないといつも下を向いて暮らすようになりました。DAIKIには何もさせたくない。ただ、DAIKIがトラブルを起こさなければそれでいい、と。

ある時、お母さんはDAIKIについて、「しつけができていないお子さんですね」と言われました。その言葉は、お母さんにとって人生で一番つらい言葉だったそうです。私にどうしろというのか、DAIKIが周りに迷惑をかけるのは私のせいなのか?……お母さんは心が壊れていくような思いがしたそうです。

そんな経験をしてきたから、B園に通い始めたばかりのDAIKIのお母さんは、私には少し近寄りがたい、表情の固いお母ちゃんに見えたのです。

しかし、B園では、DAIKIのお母さんはそれまでとは違う日々を過ごすことになります。

B園の保育士は、障害のある子どもたちのことをよく理解し、療育に関して豊かな経験をもっていました。B園からの連絡帳には「DAIKIくんはこんなふうに園で楽しんでいました」「こんなことをやってみました」と、DAIKIについてよかったことが毎日書かれていました。お母さんは、連絡帳を見て、「こんなことできるようになったんだって!?」と我が子に声をかけるようになりました。

自閉症があるDAIKIは、その頃はまだ周りからの働きかけを受け止め、自分の思いや考えを返すことができませんでした。だから、お母さんの言葉に対してもDAIKIから反応があったわけではありません。しかし、それでも、お母さんは「私は今、初めて子どもと向き合えている」と思ったそうです。

「B園で、私は、子育ての原点に立つことができた」とDAIKIのお母さんは当時の自分を振り返ります。「理想ばかり見ていて、現実を見ていなかった」とも。そんなお母さんが、ようやく我が子の現実に目を向け始めたのです。

DAIKIのお母さんのお話を次回も続けます。

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*DAIKIのお花屋さんです。贈る人のことを考えた美しいアレンジに、いつも心奪われます。

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【前シーズン「A乳児院」の物語も是非ご覧ください】

※私が「障害」を「障がい」と記さない理由は、こちらをご覧ください。


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