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歴史を学ぶ=歴史に学ぶ

「ナチスに興味がある」などと言ったら、人間性を疑われるだろうか。
いや、思想的にはまったく相容れないし、ネオナチなどでもない。あくまで、「研究対象として」興味があるのだ。

「ナチス/ヒトラー=悪」と言い切ってしまうことは簡単だ。たぶん小さな子でも知っている。
だが、それだけではいけないのだろうと感じる。「ナチス/ヒトラー」を「悪」と判断するためには、「ナチスの何が悪なのか」、「なぜナチ党は『民主的に』政権を獲得できたのか。そこには、どのような国民精神が働いたのか」、「なぜヒトラーの演説はあのように人心を鷲掴みにしたのか」、「ナチスのプロパガンダ戦略はどのようなものだったのか」等々、知るべきことが限りなくあるはずだ。

例えば、彼らの宣伝映画・建築・制服等は、端的に言えば「格好いい」。それは、私のような大衆が「格好いい」と思うように意図して作られているのだから、ある意味当然だ。それを知らなければ、「格好いい」→「支持しよう」となりかねない。

世紀が変わった現代であっても、同じことは起こりうる。我々が何も知らなければ歴史が繰り返されてしまうかもしれない。だからこそ、歴史を学ぶことで、歴史に学びたい。

仕事帰りに書店をブラブラしていたら、こんな本を見つけた。

当時103歳だったゲッベルスの元秘書による回想録で、同名のドキュメンタリー映画の制作のために行われたインタビューを記録・編集したものである(日本ではちょうど今、岩波ホールで映画上映中)。

原題は"Ein Deutches Leben"、直訳すれば「あるドイツ人の生涯」といったところか。
歴史について知るのに、当時を経験した人の話を聞くことは意義深い(ただ同時に、個人による主観が入り込んでいたり、近かったからこそ見えたものがある一方で近すぎたからこそ見えなかったものもあるだろう、という点には十分留意する必要はあるのだが)。
回想録の後に付された著者の解説は、ざっと読んだ範囲では民主主義を尊重し、ポピュリズムの台頭に警鐘を鳴らすもので、それなりに政治色が強い。書物を後ろから読むことはルール違反かもしれないが、本書の最後の部分は印象的だ。

私たちは民主主義の価値が疑問視されている過渡期に生きている。もしもまだ生き残っている民主主義政党と市民グループが、どうやったらこの契約を再構築できるのか考えることを始めなかったら、私たちは右翼ポピュリストの波がこの数年でヨーロッパの民主主義を飲み込んでしまうさまを目にすることになるだろう。今こそ、穏健な市民層と社会のあらゆる分野のエリートたちは、自分たちは過去の教訓をけっして無駄にはしないと身をもって示さなければならない。

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