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「発達障害に見えません」って見方を変えれば努力の成果が出ていることって気づいた!

ども、あすてんです!
今日も朝5時からnoteを書いて、夜17時まで通常営業をやり抜きました。

その間に、いつも来てくれるお客さんと話したり、お久しぶりに来てくれたお客さんと再開&トークしたり。

あーだこーだやってると、すぐに17時になるんですよね。

ほんとーにあっという間です。

来てくれる皆さんのおかげです!
いつも、ありがとうございます!✨

今日はメンタルが落ちているわけではないのですが、なんか自分の中でうまくいかないな〜とか、このままでいいのかな〜とか、漠然と不安を感じる瞬間が多かったんですね。

(#たまに弱音をはく)

ぶっちゃけ、どれだけ発達障害の自分が意識しても、相手は素直にどう思ってるかを答えてくれない。伝わってるかわからない。

だから、いまの自分のやり方で正しいのか、このまま突き進んでいいのか、不安になる。

トラウマと戦っている人も
不安や恐怖感と戦っている人も
世間や他の人とのズレに納得いかない人も

よくよく考えてみると、悩んでいる人はぼくだけじゃないはずです。

発達障害といっても、ひとくくりにできることは全くといってなく、発達障害が軽そうな方も、重そうな方も、それぞれ違った生きづらさがあります。

特性が重い方は、仕事選びの幅が少し狭まってしまうかもしれないし、ヘルパーさんの手が必要だったり、薬の服用などが必須であったり。
特性が軽いと思われる方も、発達障害の診断が下りずにグレーゾーン認定されるので、どこにいっても「普通はこうだから○○できるよね」と高めのハードルを課されて、キャパオーバーしてしまう。

とくに自分は、発達障害診断(ASD:自閉症スペクトラム)を23歳に受けていますが、めちゃくちゃ頑張れば隠せるので、毎日2倍以上のエネルギーを使って周りに適応することでいっぱいでした。

それでもって、頑張って頑張っても「発達障害に見えないよね」って言葉で片付けられることも少なくなかった。

言われるたびに、悔しかったんです。
こんだけ頑張ってきたのに、見えないだけで済まされるんだって。

俺の毎日毎日本気で意識して生きているこの時間はなんだろうって。

周りの人は何も意識しないでのうのうと生きていけるのはなんだろうって。

過去の自分の心境なので、いまは思ってないですし、みんながみんな大変なのはわかります。それでも、そこに気づくまでは毎日孤独で辛くて

ほんとうに、ほんとうに、経験してきた身からいえるのですが、発達障害の自分と向き合うのって、マジで多変で心折れます。折れまくりです。めっちゃつらいです。

そんな葛藤の毎日のなかで、ふと思いついたツイートがこちらです。

発達障害の自分と向き合うときは孤独です。

どれだけ頑張っても、だれもみてくれないかもしれない。
相談しても「みんな同じ悩みだよ」と一蹴されるかもしれない。

それでも、ひたすら自分を信じて、暗い道を進んでいかないといけない。

諦めない限りねーーーー。

孤独だけどひたすら進むしかない、心細い昔の自分のような人に向けて、今回はnoteを書いてきます。

「発達障害に見えません」は努力の結果

冒頭でも書いたのですが「発達障害に見えません」って言葉、言われた経験がある方もるのではないでしょうか?

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