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『スウィート ヒアアフター』:1997、カナダ

 ゾーイ・スティーヴンスは電話ボックスに入り、父のミッチェルに連絡する。車で洗車機に入っていたミッチェルは娘がドラッグでハイになっていると確信し、「どういう状態なのか、話す前に知りたい」と言う。ゾーイは泣いて電話を切り、車で去った。
 サム・ブリュネルは遊園地のステージでライブのリハーサルを行う娘のニコールを見て、その歌を「素晴らしい」と絶賛した。ミッチェルは洗車機の故障で閉じ込められたので、車から脱出した。彼はカイル・ラムストンの家を訪れ、外に停まっているスクールバスを見た。

 ドロレス・ディスコルはスクールバスを運転して遊園地に到着し、子供たちを引率する。彼女はサムとニコールに気付いて挨拶してから、子供たちをウサギ館へ案内した。
 ミッチェルがモーテルを訪れると、経営者のウェンデル・ウォーカーは「新聞記者か?」と険しい表情で訊く。「いいや」とミッチェルが否定すると、彼は「事故のことを?」と尋ねる。ミッチェルは「聞いた」と答え、自分は弁護士なので話を聞かせてほしいと持ち掛けた。

 ウェンデルはカイル・ラムストンについて、「酒飲みで嫌われ者だ。免停中で仕事にも就けない。稼いでも酒代に消える」と話した。妻のリサはミッチェルからドリーンについて問われ、「私の学友だった。卒業間近にカイルと付き合って妊娠した」と語る。
 ミッチェルは事故で息子を亡くしたウォーカー夫妻に「賠償金を勝ち取るには、訴えを支持してくれる人が必要だ」と説明し、子供を失った親の中で信頼できる人間を挙げるよう求めた。

 リサがハミルトン夫妻の名を出すと、ウェンデルは「ジョーは空き家から家具を盗んで売ってる」と言う。次にリサがプレスコット夫妻を挙げると、ウェンデルは「銀行ローンを返せず、家と車は差し押さえ寸前だ」と否定する。
 リサはハートリーとワンダのオットー夫妻を挙げ、「養子にした先住民のベアーを亡くした。2人とも大学出の芸術家」と話す。ウェンデルは「マリファナをやってて逮捕歴もある」と言うが、証拠は無かった。ミッチェルはゾーイから電話を受け、まずは医者を信頼するよう話す。1995年12月のことだ。

 1997年11月29日。ミッチェルは飛行機でゾーイの友人であるアリソンと出会い、「ゾーイはお元気?」と問われて黙り込んだ。ドロレスは雪道でベアーをスクールバスに乗せ、オットー夫妻が見送った。
 ドロレスはミッチェルの訪問を受け、子供を送って出て来るのはオットー夫妻だけだったと話す。彼女は「2人はヒッピーだった」と言うが、ミッチェルが「ヤクをやっていたのか?」と訊くと否定して「2人は模範的な市民だった」と言う。ドロレスの夫のアボットは左半身不随で、車椅子を使っていた。

 整備士のビリー・アンセルは、いつもスクールバスを車で追い掛け、娘のジェシカと息子のメイソンに手を振っていた。ドロレスはビリーについて、事故の日もバスの後ろにいたと証言する。ビリーは数年前、妻のリディアを癌で亡くしていた。彼はバスを追いながら浮気相手のリサに電話を掛け、密会する約束を交わした。
 アリソンはミッチェルから「ゾーイとは連絡を?」と問われ、「何年も前にクリニックで会ったのが最後よ」と答える。ミッチェルはゾーイが幾つものクリニックや治療センターに通ったが回復していないこと、今から会いに行くことをアリソンに語った。

 ミッチェルはオットー夫妻の家を訪れ、「私は怒りに声を与え、事故の責任者と戦います」と話す。ワンダが「ドロレスと?」と尋ねると、彼は「違います。彼女は優秀な運転手です。それに学校が掛けていた保険は数百万。戦うのは別の相手です。例えばバスのメーカー」と言う。
 「事故の責任者が?」とワンダが訊くと、ミッチェルは「事故など無いのです。無意味な御言葉です。どこかで誰かが手抜きをしている」と述べた。

 ハートリーが「ドロレスは氷でスリップしてバスが道路から飛び出したと言っていた」と話すと、ミッチェルは「彼女は何年も凍った山道を運転している。誰かが儲けのために安全を犠牲にしたんです」と説明した。ワンダが「費用は高いの?」と訊くと、彼は「いいえ。まず私を弁護士に指名してもらいます。勝訴するまでは無報酬。勝訴で得た3分の1を頂きます。敗訴なら報酬は要りません」と述べた。
 彼は契約書を取りに、車へ戻った。ミッチェルはアリソンに、「私は麻薬中毒の娘に手を尽くした。だが、2週間後には退院し、金を無心する電話が掛かって来る。10年間、一度も家に戻らず、嘘ばかりだ」と吐露した。

 ビリーはベビーシッターのニコールにジェシカとメイソンを預け、モーテルに向かった。リサは出掛けるウェンデルを見送り、ビリーとセックスした。ニコールはジェシカとメイソンに、『ハメルンの笛吹き』の物語を読み聞かせた。
 リサが「息子はバスに乗るのを嫌がる」と言うと、ビリーは「寂しいのさ」と告げた。帰宅したビリーは、リディアの服をニコールにプレゼントした。ニコールは迎えに来たサムの車に乗り、ビリーの家を去った。サムとニコールは空き家に立ち寄り、肌を重ねた。

 ドロレスはミッチェルに、事故のことを語った。ミッチェルはアリソンに、ゾーイが3歳の頃の出来事を話した。夏の山小屋で過ごしていた時、ゾーイが毒グモに噛まれた。ミッチェルが医者に連絡すると、病院へ着く前に呼吸が止まったらナイフで気管を切開するよう指示された。幸いにも呼吸は停止せず、無事に病院へ着くことが出来た。
 ビリーはリサと会い、「弁護士に会った。君らが雇ったって?」と口にする。リサが「事故の原因を突き止める」と言うと、彼は「あれはアクシデントだった」と告げる。「ボルトに手抜きがあったのよ」とリサが主張すると、ビリーは「バスは俺が整備したが、正常だった」と述べた。

 リサが「だったらガードレールに欠損があったのよ」と言うと、ビリーは「本気か?」と呆れる。リサが「そう信じたいの」と言うと、彼は「馬鹿げてる」と冷たく告げる。
 「なぜニコールにリディアのセーターをあげたの?」とリサが尋ねると、ビリーは「それが事故の原因か?弁護士より祈祷師を雇え」と突き放した。バスでショーンの隣に座っていたニコールは、大怪我を負うが一命を取り留めた。彼女が退院すると、サムは車椅子用に家を改装していた。

 ニコールはサムが弁護士を雇ったと知り、顔を曇らせた。ミッチェルが会いに来ると、彼女は「事故のことは覚えてないし、考えたくない。それに憐れみは嫌なの」と告げる。するとミッチェルは、「車椅子の君を見て、同情しない人がいるかね?」と言う。
 ニコールが「裁判では本当のことしか言わない」と話すと、ミッチェルは「それでいい」と最後に証言するよう促した。彼がスクールバスの写真を撮影していると、ビリーがやって来た。ミッチェルが「お子さんの話を」と声を掛けると、彼は激しい敵意を示して「この町から出て行け。アンタなんかに我々を救えるわけがない」と言い放った…。

 監督はアトム・エゴヤン、原作はラッセル・バンクス、脚本はアトム・エゴヤン、製作はカメリア・フリーバーグ&アトム・エゴヤン、製作総指揮はロバート・ラントス&アンドラス・ハモリ、製作協力はデヴィッド・ウェブ、撮影はポール・サロッシー、美術はフィリップ・バーカー、編集はスーザン・シプトン、衣装はベス・パスターナク、音楽はマイケル・ダンナ。

 主演はイアン・ホルム、共演はモーリー・チェイキン、ピーター・ドナルドソン、ブルース・グリーンウッド、デヴィッド・ヘンブレン、ブルック・ジョンソン、アルシネ・カンジアン、トム・マッカムス、ステファニー・モーゲンスターン、アール・パストコ、サラ・ポーリー、ガブリエル・ローズ、アルバータ・ワトソン、カーサン・バンクス、サイモン・ベイカー、サラ・ローゼン・フルートマン、マーク・ドナート、マグダレーナ・ソコロスキー、ジェームズ・D・ワッツ、カーステン・キーファール、デヴォン・フィン、フィデス・クラッカー、ラッセル・バンクス他。

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 ラッセル・バンクスの小説『この世を離れて』を基にした作品。カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリ&国際映画批評家連盟賞&エキュメニカル審査員賞を受賞し、アカデミー賞で監督賞と脚色賞にノミネートされた。監督&脚本は『損害賠償調停員』『エキゾチカ』のアトム・エゴヤン。
 ミッチェルをイアン・ホルム、ウェンデルをモーリー・チェイキン、ビリーをブルース・グリーンウッド、ワンダをアルシネ・カンジアン、サムをトム・マッカムス、ハートリーをアール・パストコ、ニコールをサラ・ポーリー、ドロレスをガブリエル・ローズ、リサをアルバータ・ワトソンが演じている。

 この映画は時系列をシャッフルした構成になっているため、しっかり見ていないと途中で混乱してしまう恐れがある。粗筋を読んでいても、ちょっと良く分からない部分があるかもしれない。
 少しだけ説明しておくと、ミッチェルがスクールバスを見るのは事故が起きた後だ。サムとニコールが遊園地でドロレスを見るのは事故の前。ミッチェルがウォーカー夫妻と会うのは、もちろん事故の後。彼が飛行機でリサと会うのは、さらに後の出来事。ドロレスがベアーをバスに乗せたりビリーが追い掛けて来たりするシーンは、事故の当日。

 ミッチェルはオットー夫妻を訪ねた時、バスのメーカーを厳しく糾弾する。「事故が起きれば賠償金。人命は二の次です」と言い、社会の倫理観を問いたいのだと熱く語る。でも実際のところ、彼は高額の賠償金を勝ち取って儲けたいだけだ。そのためにはバスの運転手や学校を訴えても無意味なので、大企業を標的にしているのだ。
 実際に事故の原因が何だったのか、問題がどこにあったのかは、ミッチェルからすると二の次なのだ。彼は遺族のためではなく、自分のためだけに動いているのだ。

 ニコールがジェシカとメイソンに『ハメルンの笛吹き』を読み聞かせるシーンがあるが、ここは大きな意味を持っている。メイソンから「笛吹きは魔法の笛でネズミを退治した。なのに町の人は金を払わず、笛吹きは子供たちを山へ誘い出した。なぜそんなことを?」と質問されたニコールは、「彼の仕返しだったの」と答える。
 「意地悪?」と問われた彼女は、「彼は怒ってたの」と言う。誰に取って、誰が笛吹きになるのか。そのことが人々の行動を大きく左右し、物語を冷たい方向へと転がしていく。

 「怒り」という感情は、この映画では大きなポイントだ。ミッチェルはゾーイについて、アリソンに「怒りと絶望で愛は変質する。湯気の立つ小便になる」と話す。彼はオットー夫妻に、「私は怒りに声を与え、事故の責任者と戦います」と語る。何によって怒りが湧くのか、誰に対して怒りが向けられるのか。喜びが失われた時にも、怒りは生じる。
 リサはビリーが車でスクールバスを追う行為について「子供たちが喜ぶのね」と言い、自分たちのセックスを「これは私たちの喜び」と評する。そんな喜びを奪われた時、悲しみを抱える者もいれば、怒りを燃やす者もいるのだ。

 ビリーは弁護士を雇って事故の原因を突き止めようとするリサに対し、「あれはアクシデントだ」と呆れたり冷たく突き放したりする。そんな彼は怒りの矛先をミッチェルに向け、攻撃的な姿勢を示す。
 御門違いな行動だが、子供を亡くした辛さを受け止め切れず、どこかに怒りをぶつけでもしないと心が張り裂けそうになるのだ。リサとは取る行動や矛先が違うものの、消化できない気持ちを誰かにぶつけようとするのは同じだ。

 ミッチェルはドロレスに、原告として精神的打撃を受けたと訴えるよう説く。するとアボットは、「真の陪審員は、昔から私たちを知っている人々だ。よそ者の陪審員に有罪無罪は決められない」と言う。
 彼の言葉の意味するところは、「裁判で有罪になろうと無罪になろうと、何の意味も無い。重要なのは、町の人々がどう受け取るかだ」ってことだ。裁判が終わった後も、住民は町で暮らしていくことになる。だから、「町の人々にとって何が罪なのか」ってのが大切なのだ。

ビリーはサムに裁判の取り下げを要求し、自分の保険金を渡すとまで言う。彼は裁判によって住民の人間関係が崩れることを、何よりも危惧しているのだ。大勢の子供が犠牲になっても、自分の子供が事故で死んでも、ビリーは事を荒立てないことを選ぼうとする。
 彼は事故の現実から目を背け、表面的な静けさを求めようとする。見せ掛けの平穏であっても、それを選ぼうとするのだ。田舎の閉鎖された「村」という共同体を、そういう歪んだ形で守ろうとするのだ。

 サムはビリーの要求を拒み、裁判を続けようとする。しかし、ここで思わぬ敵が現れる。それがニコールだ。彼女は「ドロレスがスピードを出し過ぎていた」と、嘘の証言をするのだ。
 彼女は自分が車椅子になったことで、サムが「娘をロックスターにする」という夢を失ったことで、心の距離が離れてしまったと感じた。そこで父への嫌がらせとして、嘘をつくのだ。そして加害者にされてしまったドロレスは町を去り、町の人々は過去に蓋をして生きていく。ずっと消えない罪を抱えたまま、心を凍らせたままで。

(観賞日:2021年8月29日)

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