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『ロミオとジュリエット』:1968、イギリス&イタリア

 名門のモンタギュー家とキャピュレット家の間では、激しい対立が続いていた。キャピュレット家のグレゴリーやサムソンたちは市場でモンタギュー家のバルサザーやアブラハムたちを見つけ、挑発して喧嘩を吹っ掛けた。バルサザーは相手にせず去ろうとするが、1人が転倒させられたので剣を抜いた。
 両家の面々が戦っていると、モンタギュー家のベンヴォーリオが駆け付けて「町での争いは大公が禁じている」と仲裁しようとする。そこへキャピュレット家のマキューシオが現れ、ベンヴォーリオに襲い掛かった。

 モンタギュー家とキャピュレット家は喧嘩を知り、屋敷から現場へ大勢が駆け付けた。さらに争いが大きくなる中、エスカラス大公が広場に来て制止した。彼は憤慨し、「これで3度目だ。再び争乱を起こせば死刑を申し渡す」と通告した。
 モンタギュー夫人は息子のロミオが加わっていないと知り、胸を撫で下ろした。ベンヴォーリオは彼女に、ロミオを森で見たことを伝えた。ロミオが戻ると、モンタギューはベンヴォーリオに息子の本心を探ってほしいと依頼した。

 ロミオはベンヴォーリオに声を掛けられ、恋人のいない悲しさを吐露した。喧嘩があったことを知った彼は、「憎悪は心を乱す。恋もだ」と嘆いた。貴族のパリスは以前から、キャピュレットに娘のジュリエットと結婚させてほしいと話していた。
 キャピュレットは「まだ娘は14歳にも達していない。早咲きは早く散る」と言うが、「娘を口説けたら別だ」と付け加えた。彼は恒例の舞踏会が夜に開かれること、パリスも招待したことを語った。

 キャピュレット夫人は乳母を同席させてジュリエットを呼び、パリスとの結婚について真剣に考えるよう促した。「好きになれそう?」と問われたジュリエットは、「好きになれるか見てみます」と答えた。
 モンタギュー家のマキューシオたちが舞踏会へ潜り込もうとすると、ロミオは「賢明ではない」と反対する。しかしマキューシオたちは軽く笑い飛ばし、考えを変えなかった。ロミオも彼らに同行し、仮面で顔を隠して舞踏会に潜り込んだ。

 ロミオはジュリエットに目を奪われるが、仮面を外していたためティボルトに気付かれた。キャピュレットはティボルトから知らされるが、ロミオが好青年だという評判を聞いていたこともあり、「この屋敷で無礼を働くな」と釘を刺した。
 鈴の踊りが始まると、ロミオも参加した。ロミオとジュリエットが踊る様子を見たティボルトは激昂するが、キャピュレットが叱り付けた。踊りが終わってレオナードが歌い始めると、ロミオとジュリエットは互いの姿を捜した。

 ロミオは周囲に気付かれないよう、ジュリエットの手を握った。彼は愛の言葉を語り、仮面を外して素顔を晒した。2人は人目を避けて、キスを交わした。ジュリエットが去った後、ロミオは彼女がキャピュレット家の娘だと知って愕然とする。
 一方、ジュリエットもロミオがモンタギュー家の息子だと知って顔を強張らせた。ロミオは仲間が帰路に就く中、塀を越えてキャピュレット邸の庭に侵入した。ロミオはバルコニーに出ているジュリエットに気付き、木陰から様子を観察した。

 ジュリエットが「ロミオ、なぜロミオなの」と漏らし、「私の敵は名前だけ。貴方は貴方だわ」と口にした。彼女が「ロミオ、名を捨てて。代わりに私の全てを受け取って」と言うと、ロミオは我慢できずに飛び出して「受け取ります」と呼び掛けた。
 驚いたジュリエットが「見つかったら殺されてしまうわ」と告げると、「愛されないなら、いっそ見つかりたい。愛されずに生きるなら、憎悪で殺されたい」とロミオは語った。

 ロミオとジュリエットは心からの愛を誓い、強く抱き合ってキスを交わした。乳母に呼ばれたジュリエットは、ロミオに「愛が誠なら結婚の日取りを決めて。明日、人を送るわ。貴方に付いて行く」と語った。ロミオは翌朝になって教会へ行き、ロレンス神父に事情を説明した。
 ジュリエットと結婚させてほしいと彼が頼むと、ロレンスは「ロザラインを忘れたのか」と腹を立てる。「あの恋を葬れと仰った」とロミオは主張するが、ロレンスは「別のを探せとは言っていない」と告げる。しかしロレンスは「この縁組で両家の恨みが愛に変わるかもしれない」と考えて、手を貸すことにした。

 ベンヴォーリオはマキューシオに、ティボルトからロミオへの決闘状が届いていることを話す。ジュリエットの使者である乳母がピーターを伴って現れると、マキューシオが侮辱的な行為を仕掛けて嘲笑した。マキューシオが仲間と去った後、ロミオは乳母と2人きりになった。
 彼は乳母に、「午後の懺悔に出てほしい。ロレンス神父の教会で挙式する」というジュリエットへの伝言を託した。ジュリエットは帰宅した乳母から伝言を聞き、すぐに教会へ向かった。ロミオとジュリエットは教会で落ち合い、結婚式を挙げた。

 マキューシオは広場へ行き、ベンヴォーリオが「会えば喧嘩になる。帰ろう」と言っても聞かなかった。ティボルトが仲間と共に現れると、マキューシオと互いに挑発的な態度を取った。そこへロミオが浮かれた様子で姿を見せると、ティボルトは決闘を要求した。
 ロミオが拒否して「いずれ分かるが、むしろ君を愛している」と握手を求めると、ティボルトは不快感を示した。マキューシオはティボルトの挑発に我慢できず、剣を抜いた。

 マキューシオとティボルトはロミオが仲裁に入っても耳を貸さず、剣で争い始めた。ティボルトはマキューシオの腹を突き刺して動揺し、仲間に連れられて逃亡した。マキューシオは強気に振る舞うが、「両家とも、くたばれ」と罵って死亡した。
 ロミオは憤慨し、ティボルトを追い掛けて勝負を要求した。彼はティボルトに追い込まれるが、剣で突き刺して殺害した。ロミオは仲間から「捕まれば死刑になる」と逃げるよう促され、ロレンスの教会へ向かった。

 ティボルトの死を知ったキャピュレット家の面々は憤慨し、特にキャピュレット夫人はロミオへの報復を求めた。一方でモンタギュー家も、マキューシオを殺されたことへの怒りを抱いた。大公は両家の主張を聞いた上で、ロミオに死刑ではなく追放処分を通告した。
 事件を聞いたジュリエットはティボルトの死を悲しむが、ロミオを心配して乳母を使者に派遣した。ロレンスは泣き続けるロミオを叱責し、「妻を慰めに行け。夜警が置かれる前に、マンチュアへ行って身を潜めろ」と指示した。

 ロミオはジュリエットの寝室へ忍び込んで共に一夜を過ごし、翌朝になって立ち去った。ジュリエットは母から、父がパリスとの結婚式を木曜日に決めたことを聞かされる。ジュリエットは驚き、結婚する気が無いことを話す。
 パリスと笑顔で話して見送ったキャピュレットは、ジュリエットが結婚しないと言っていることを妻から聞かされる。キャピュレットは激怒してジュリエットの部屋へ行き、命令に従うよう要求した。ジュリエットが泣いて懇願しても彼は許さず、従わなければ勘当すると通告した…。

 監督はフランコ・ゼフィレッリ、原作はウィリアム・シェイクスピア、脚本はフランコ・ゼフィレッリ&マソリーノ・ダミコ&フランコ・ブルサーティー、製作はアンソニー・ハヴロック=アラン&ジョン・ブラボーン&リチャード・グッドウィン、撮影はパスクァリーノ・デ・サンティス、編集はレジナルド・ミルズ、美術はレンツォ・モンジャルディーノ、衣装はダニロ・ドナティー、音楽はニーノ・ロータ。

 出演はレナード・ホワイティング、オリヴィア・ハッセー、ジョン・マケナリー、ミロ・オーシャ、パット・ヘイウッド、ロバート・スティーヴンス、マイケル・ヨーク、ブルース・ロビンソン、ポール・ハードウィック、ナターシャ・パリー、アントニオ・ピエルフェデリッチ、エスメラルダ・ラスポリ、ロベルト・ビサッコ、ロイ・ホールダー、キース・スキナー、ダイソン・ラヴェル、リチャード・ウォーウィック、ロベルト・アントネッリ、カルロ・パルムッチ他。

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 ウィリアム・シェイクスピアの同名戯曲を基にした作品。監督は『じゃじゃ馬ならし』のフランコ・ゼフィレッリ。ロミオをレナード・ホワイティング、ジュリエットをオリヴィア・ハッセー、マキューシオをジョン・マケナリー、ロレンスをミロ・オーシャが演じている。
 他に、乳母をパット・ヘイウッド、ヴェローナ公をロバート・スティーヴンス、ティボルトをマイケル・ヨーク、ベンヴォーリオをブルース・ロビンソン、キャピュレットをポール・ハードウィック、キャピュレット夫人をナターシャ・パリー、モンタギューをアントニオ・ピエルフェデリッチ、モンタギュー夫人をエスメラルダ・ラスポリ、パリスをロベルト・ビサッコが演じている。

 シェイクスピアの同名戯曲は、これまで何度も映画化されてきた。1936年にはアメリカでジョージ・キューカーが、1954年にはレナート・カステラーニがイギリスで、1954年にはソ連でレオ・アルンシュタム&レオニード・ラブロフスキーが、1964年にはイタリアでリカルド・フレーダが、それぞれメガホンを執った。
 そんな他の作品と比べて本作品の大きな特徴は、ロミオとジュリエットを演じる役者が最も若く、原作の設定年齢に近いということだ。原作ではロミオが17歳、ジュリエットが13歳で、これまでは演技力なども考慮して年配の役者が起用されていた。しかし今回は新人を抜擢し、レナード・ホワイティングとオリヴィア・ハッセーは当時16歳と15歳だった。

 当たり前だが、今の感覚からすれば、ものすごくクラシカルな作品だ。しかし公開された当時は、それまでにない新しい解釈の『ロミオとジュリエット』という捉えられ方をしたらしい。つまり当時としては、かなり斬新な演出という扱いだったわけだ。
 これ以前の映画化では、もっと「シェークスピア劇」としての色が強く、「舞台劇をそのまま映像化しました」という方向性で作っていたようだ。それに対して本作品は、通常の劇映画に近い演出を持ち込んだことが「今までに無い」という批評に繋がったのだろう。

 ただし、その「斬新さ」は必ずしも好意的に受け止められたわけではなく、むしろ「シェークスピア劇らしくない」とか「ロミジュリ作品の良さを失わせている」といった批判も少なくなかったらしい。
 しかし今となっては、もはや本作品こそが『ロミオとジュリエット』のスタンダードといってもいいような位置付けとなっている。これ以前の『ロミオとジュリエット』は、言ってみれば「古典」のようなモノだよね。そして本作品は、現代文におけるスタンダードってことだ。

 この作品に限らずシェークスピア映画は多くの場合、原作戯曲の台詞を多用する。そのため、良くも悪くもストーリーの流れより文学的な表現の味わいを優先する箇所が多くなる。例えばロミオたちが舞踏会へ向かうシーン。マキューシオが急に「マブの女王の夢」について語り出す。まるで小説でも朗読しているかのように、文学的な台詞を饒舌に語る。
 ずっと浮かれた様子だったのに、話している途中で落ち込み、ロミオが慌てて「無益な戯言だよ」と慰める。正直、そこでのマキューシオが何を言いたいのか、なぜ自分で喋りながら暗い気持ちになったのかはサッパリ分からない。

 その後、ロミオは1人になると、マキューシオに負けず劣らずの文学的な台詞を、今度は独り言として語る。「運命の星に掛かっている大事が、今夜をきっかけに、その恐ろしい姿を現し、この命の期限を切るのではないか。僕に課される刑罰は時ならぬ死か」などと言う。
 やたら説明的で、ものすごく不自然な台詞だ。普通は得体のしれない不安を抱いたとしても、そんな長い独り言を口には出さないでしょ。でもシェークスピア映画だと、それが普通なのだ。

 ロミオがジュリエットに一目惚れした時も、やはり長くて文学的な独り言を語る。その表情だけで惹かれたことは充分に伝わるが、それで済ませることは無い。「あの輝きは松明にも勝る。夜の頬を飾る姿は、黒人の耳を飾る宝石」などと詳しく表現する。
 まだ誰かに話しているならともかく独り言なのだから、どう考えたって不自然だ。もっと酷い言い方をするなら、かなり危ない奴だ。しかしシェークスピア映画ってのは、そういう物だ。そこに関しては、フランコ・ゼフィレッリ監督も大胆な変革は控えたようだ。

 ロミオとロレンスの会話シーンで、ロザラインという女性の名前が出てくる。ロミオはロザラインという女性に惹かれ、失恋したばかりという設定なのだ。ロミオが登場シーンで恋人のいない悲しさを吐露したり「憎悪は心を乱す。恋もだ」と言ったりしていたのは、そういう設定があるからだ。
 ロミオがジュリエットではない女性に惹かれているってのは、原作通りの設定だ。ただ、これは無くてもいいと思うんだよなあ。いっそ、「ジュリエットに出会って初めて恋を知る」という設定でもいいぐらいだ。ロミオがロザラインに惚れていた設定が、この物語にもたらす効果って何も見当たらないのよ。

 シェークスピアの戯曲に詳しい人や興味のある人、コスチューム・プレイの作品が好きな人なら、この映画を見るべき価値は充分にある。そういった視点を持たない人にとって、どういう見方が適しているのかというと、それはもう「オリヴィア・ハッセーを見る」ってことに尽きる。
 この世には「その女優を堪能するための映画」ってのは存在している。例えば『ローマの休日』はオードリー・ヘップバーン、『月曜日のユカ』は加賀まりこを見るための映画だ。そして本作品は、オリヴィア・ハッセーを見るための映画だ。細かいことは考えず、「とにかくオリヴィア・ハッセーが可愛くて魅力的」ってことを堪能すりゃいいのだ。

(観賞日:2019年11月29日)

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 なお、今回で毎日更新は終了です。
 詳細は9月23日の『ブログ無段』をお読みください。


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